痴漢は「解決済みの問題」じゃない 慶応生が「 #NoMoreChikan 」に取り組む理由
痴漢や盗撮などの被害に遭ったり、目撃したときにアプリ上で「報告」する仕組みによって犯罪の「ビッグデータ」を集めることを狙うアプリ「Radar-z」。
このアプリと連携して慶應義塾大学の学生たちが「#NoMoreChikan」という取り組みを始めている。
「『仕方ない』で終わらせるのはもうやめよう。一緒に声をあげたい」をコンセプトに、寄せられた声を警察や鉄道会社に届けることを目指して取り組んでいる3人の学生と、指導する小笠原和美教授(元・北海道警察函館方面本部長)に話を聞いた。
●日常的だった電車内での痴漢被害
ーー小笠原教授の授業の中で出た話題から「#NoMoreChikan」の取り組みを考えたとのことですが、性犯罪の中でも特に痴漢について考えようと思ったきっかけを教えてください。
須田小百合さん:中高時代、女子校に通っていたのですが当時は毎日のように友人たちが「今日は電車で痴漢にあった」「今日はバスで……」って話をしていて、日常化していました。
まるであってもしょうがないことかのような雰囲気になっていて先生たちも気にかけない。根本的な解決策がないからこうやって「日常化」してしまっているんだということに違和感がありました。
本田義明さん:同じく最初は高校の時です。僕は女子が少ない都心の共学に通っていましたが、女子から「痴漢にあった」「スカートを触られた」といった話を聞くことがありました。
小笠原先生の授業を受けて、痴漢をそんなに気にしていない高校時代の感覚が異常だと気づきました。母校でアシスタントとしてアルバイトしていたこともあり、高校生が日常的に性被害に遭っている現実をなんとかしたいと思いました。
佐久川姫奈さん:私は高校時代の3年間をカナダで過ごしていて、性暴力全般について日本とは認識が違うなと感じています。カナダでは例えば、性的な被害を見たら傍観者にならないようにするという教育がありました。
カナダでは痴漢に遭ったことがないのですが、日本に帰ってきたら友達が被害に遭っていて「やめてくださいとしか言えない」「キモいけどどうしようもない」と。その違いが気になっています。
●被害に遭ったらどうすれば良いのか教えていない
ーー痴漢にまつわる現状を調べて感じた課題を教えてください。
須田:痴漢が性犯罪と認識されていないことです。多くが迷惑防止条例違反にしかならなかったり、「痴漢」というと冤罪の問題だという意識が強い人が多かったり、痴漢の被害自体が社会問題として認識されていないんじゃないかと思いました。
2011年の警察庁調査(「電車内の痴漢撲滅に向けた取組みに関する報告書」)では痴漢の被害に遭ってても10人に1人しか通報していないという結果が出ています。認知されていないから「起こってない」ことになって、埋もれている被害が多いのではないかと思いました。
本田:学校が生徒に防犯教育はしても人権教育を行わないことが気になっています。性教育にしても「性器の教育」ばかりで、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)には触れていなかったり。
痴漢被害について学校と警察との連携が被害者中心ではなかったり、「被害に遭わないように」ばかり教えて、被害に遭ったときにどうすれば良いのかを教えないことには問題があると感じています。
佐久川:活動を通して、強い問題意識を持って活動している人とそうでない人の意識や情報の差を感じています。北米やヨーロッパでは行われるような学校などの組織単位でより包括的に予防教育を行う段階に来ていない点が課題なのではないでしょうか。
ステークホルダーとなる人やキーパーソンの認識が重要なポイントなのではないかと思っています。
●「露出が多い方が狙われる」という誤った認識
ーーステークホルダーとなる人、というと?
須田:たとえば子どもが痴漢に遭ったときに相談する大人。そのときに親が「あなたのスカートが短いのが悪い」と言ってしまうと、子どもは声を上げられなくなります。
スカートの丈と痴漢被害が関係ないことや、露出が多くて被害が多いと思われている夏はむしろ性被害相談件数が少ない(※)など情報を伝えていかないといけないと思っています。
※1997年10月から1998年1月までに警察が扱った強姦と強制わいせつ事件の被疑者553人への調査では、被害者の選択理由として「挑発的な服装」をあげたのはわずか5.2%。また、全国の鉄道警察隊が受理した電車内痴漢の相談件数(2013年からの5年間)では、7月・8月はむしろ4〜6月よりも相談件数が少ないなど、むしろ夏は被害相談が少ない傾向がある。
『痴漢とはなにか』(牧野雅子/エトセトラブックス)の中では、学生が夏休みで電車に乗る機会がなく、痴漢被害に遭う機会そのものがないからと分析、「このことは、学生・生徒を『狙った』痴漢事件があり、電車内の痴漢事件を、発生場所の問題としてひとくくりにするのではなく、未成年者に対する性犯罪という枠組みで見直す必要性があることを示唆してもいる」と指摘している。
佐久川:それから、権力を持つ人、パワーのある人がこの問題に興味を持ってもらいたいです。たとえばハンコの問題って、河野大臣のひとことで変わりましたよね。キーパーソンにアプローチすることが大事だと思っています。
須田:課題解決の方法はひとつではダメで、いくつも同時に進めていくことが必要です。
●不当な人権侵害に、あまりにも力を奪われている
ーー小笠原さんは1994年に警察庁に入庁。継続的に性暴力の被害者支援や予防教育に取り組まれた経験を活かし、母校の慶應義塾大学で教えてらっしゃいます。
小笠原和美教授:大学ではジェンダー論や社会安全政策を教えています。本田さんと須田さんが履修していた「働くこととジェンダー」という授業にゲストスピーカーの一人として「Radar-z」開発者の一人である片山玲文(れもん)さんをお呼びしたのが、この取り組みのきっかけでした。
「Radar-z」は性犯罪の問題をITを使って対策する取り組み。民間企業が犯罪対策に取り組んでいる画期的な事例として学生に紹介したいと思ったのです。
須田:実は、1〜2年かけてまったく同じようなアプリ開発をしていたんです。痴漢などの犯罪のデータを集めようというコンセプトで。
同じ思いで動いてくれている大人がいるとわかってうれしくて、片山さんがいらしたとき、興奮して手を挙げて質問しました(笑)。
小笠原:私が授業中に驚いたのは学生たちの反応です。痴漢は日常的にあったけれど、誰も助けてくれないと諦めていたと。勇気を出して訴えても周りの人が誰も助けてくれなかったと。
不当な人権侵害に対してあまりにも力を奪われていると感じました。でも、鉄道会社に勤める知人に話したところ、「痴漢対策ってもう結構いろいろやっていますけど」「何が足りていないですか?」と言われて……。そのとき、こちらも「具体的に何を」と言えなかったんです。
●重点を置く事項と捉えられていない痴漢という犯罪
ーー未成年の頃から被害に遭っている被害者の「被害に遭い続けて、大人に相談しても重く受け止められることもなく、もう諦めるしかないと思っている状況」と、大人側が考えている状況に大きな差があることを感じます。警察ではどうなのでしょうか。
小笠原:痴漢は、被害申告できたとしても刑事裁判まで至らないこともありますし(※)、電車での通勤通学が多い都市部では積極的な取り組みもありますが、警察全体で見たときにそこまで重点を置く事項にはなっていないと思います。ポスター、アナウンス、防犯カメラが既にあるので「何か他にある?」「そんなに大きな問題ですか?」という感じでは。
先ほど須田さんが紹介してくれた警察庁調査は2011年に行われていて、電車内に防犯カメラをつけるきっかけとなったものでしたが、その後の取り組みは被害者側に「泣き寝入りしない」ことを促すものが目立ち、それを支える動きとしては、一部の鉄道会社におけるアプリの試験的導入にとどまっています。
※裁判の負担を考えて被害者が示談に応じるなどした場合、加害者が逮捕されても起訴猶予となることがある。
須田:以前、警察や鉄道に連絡して「こういうアプリを作ってみたらどうか」と相談したこともありましたが、「予算がないから」という感じでした……。
●早い段階からアンコンシャスバイアスを教えて
ーーネット上を見ていると、学生の中でもだいぶ意識の差があるように感じます。性被害に遭った学生を、同じ大学の男子学生が「ネタ」にして誹謗中傷しているケースを数年前に見たことがあります。
須田:社会人と接していても、違和感を覚えたことがあります。そこまで露骨ではなくてもインターン先で「女の子なのに頑張るね」「女の子だからそこまでしなくていいよ」と言われることも。
その発言は決して悪気があるわけではなく、メディアや教育など日本社会が形成した「ジェンダーバイアス」が根底に潜んでいるのだと思います。無意識の偏見・差別をどう取り除いていくかが課題だと感じます。
本田:大学に入学するよりも前の段階で形成されている部分は大きいので、できれば高校の段階で、性差別や社会の中のアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)についても伝えることが必要だと思っています。
高校から必要と言うと「高校は3年間しかないから時間がなくて難しい」と言われてしまったりするのですが、早い段階から。
●「責められている気持ちになる」と言われることも
ーーこの問題に取り組んで、周囲からはどんな反応がありますか?
須田:友達からは応援してくれるなどうれしい反応があります。一方で、ある研究フォーラムに出たときに男性教授から「痴漢はすでに解決している問題だよね」と言われてしまいました……。
佐久川:私は「Safe Campus Keio」という性暴力や性差別をなくすための取り組みをする団体に所属しているのですが、その取り組みについて応援してくれる方は多いです。
一方で、「責められている気持ちになる」「活動している人に女性が多いから入りづらい」と言われたりすることもあります。
本田:周りの教授・友人からは好意的に受け止められています。大学では国際政治・安全保障を専攻しており、将来はそういった方向でキャリアを築きたいと考えているが、そちらはかなり男社会。
将来、そういった男社会コミュニティに入ったときに自分の活動がどう思われるのか、そのような男社会の中で将来どう生きていくか……ということは考えざるを得ません。
●声はまだ足りない、変わらなければという意識を
ーー今後、「#NoMoreChikan」の取り組みをどう行っていきたいかについて教えてください。
須田:今よりもっと声を上げられる状況になればいいと思っています。被害を言える環境になればなるほど抑止効果がある。Rader-zにデータが集まったら、それを元に政策提言をしていきたい。
本田:政策提言という大きな部分もそうですが、より身近なところをどう動かすか。学校単位でRadar-zのアプリを導入してもらったり、地道に現実的な行動を通して、最終的に包括的に動いてくれる制度ができたらいいと思っています。
佐久川:やはり、鉄道会社や警察に動いてもらいたい気持ちはあります。データや声を集めることが、キーパーソンにアプローチできるきっかけになると思うので、さらに呼びかけていきたいと思います。
小笠原:若い学生にこんなことを言わせてしまうのがおかしいと思っています。長年解決できていないこの問題について、周囲にいる大人たちが気付き、「見てみぬふりをしない」ように変わらなければいけないと思います。
性暴力が身近で起こったとき、傍観者に行動を呼びかける啓発動画「ActiveBystander」をたくさんの人に見ていただきたいですね。
(画像提供=Radar-z)
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