「犯罪が少ないっぽい」日本を変える? 痴漢レーダーが作るビッグデータの意義
数年前に電車内の「痴漢」など性暴力問題を取材しはじめて以来、考え続けていたことのひとつが、現代の防犯のありかただ。20~30年前と比べ、社会は大きく変わり、科学技術の発展は目覚ましい。
けれど防犯については、未だに駅構内のポスターに「痴漢は犯罪です」と貼られれば良いほう。素人考えかもしれないが、もう少しなんとかならないのか。
そんなときに知ったのが、「犯罪機会論」を研究する小宮信夫先生だった。街中で犯罪が起こりやすいのは、「入りやすく見えにくい場所」。犯罪者の動機よりも「機会」に着目し、環境づくりによって「犯罪機会」を減らしていく試みを提唱している。
一方、最近になって注目されているのが、「痴漢レーダー」。10人中9人が通報しないという調査結果もある電車内の痴漢被害などを、アプリのボタンを押すことで報告し、被害を可視化・データ化していく取り組みだ。ヤフーの社員だった女性2人が独立して始めた。
被害者にマンツーマンディフェンスをさせるのではなく、地域でゾーンディフェンスを行うという犯罪機会論の考え方。ビッグデータによって犯罪の発生しやすい場所を明らかにしていく痴漢レーダー。お互いの取り組みを知ることで、生まれるものがあるのでは……? そんな思いから対談の場をセッティングした。
【プロフィール】
小宮信夫(こみや・のぶお):立正大学文学部教授。社会学博士。日本人として初めて英国ケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。著書に『写真でわかる世界の防犯――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)、『犯罪は予測できる』(新潮新書)など。公式サイトは「小宮信夫の犯罪学の部屋 」
禹ナリ(う・なり)/片山玲文(かたやま・れもん):「痴漢レーダー」の開発元である、株式会社キュカを2018年に設立。もともと禹さんはヤフーのエンジニア、片山さんは企画開発担当だった。
暗数の可視化が絶対に必要
――痴漢レーダーは8月のリリースからすでにサービス利用者数が4万人という反響です。
片山さん(以下、片山):私たちは前職のヤフーの頃から、インターネットで集まったユーザーの声やデータを産学連携に使うことをずっとやってきました。データを研究者に提供することで世の中が良くなっていくことを長年見てきていたので、痴漢レーダーについても連携していきたいと思っています。
小宮さん(以下、小宮):痴漢レーダーは表に出ていない被害を可視化する取り組みですね。素晴らしい。日本は、犯罪の実態の可視化という点で欧米に20年遅れていると私は思っています。
警察の「認知件数」は被害届の数ですから、被害の実数ではない。ですからイギリスやアメリカでは5万人~10万人といった規模で毎年、暗数調査を行います。「この1年間に犯罪に遭いましたか?」「それはどんな被害?」「被害届を出しましたか?」と聞くわけです。
日本ではこの調査の回数が少なく、規模も小さい。今年はちょうど7年ぶりに行われていますが、対象者は6000人ほど。実態がわからないのに対策を立てられるでしょうか。
「犯罪は少ないようです」では対策は始まらないので、可視化は絶対必要です。
片山:その通りです。この問題に向き合うときに、不都合な真実を暴かれると余計なコストが発生するじゃないか……という反発も出てくる。利害関係のない私たちのような会社が無邪気に可視化するといいのかな、と。
小宮:そうですね。その地域の治安が悪いと明らかになることが「不都合な真実」である企業はあるでしょう。ただ一方で、一般の警察官はそこまでずる賢くない。素朴に、認知件数が実態だと信じている。「被害者は必ず被害届出しますから」って言う人もいる。
データが多ければ多いほど正確性が増す
禹さん(以下、禹):通報をためらうのは被害者だけではなく目撃者もそうです。痴漢や盗撮を見ても、巻き込まれたくない、見間違いかもと思って躊躇します。警察や駅員への通報はハードルが高くても、アプリのボタンを押して報告をするだけならできる。そういう人も多い。
片山:だから痴漢レーダーには「痴漢や盗撮を目撃した」という第三者が報告できるボタンもあるんです。
小宮:それはいいですね。データは多ければ多いほどいいですから。
よくこういうのをやっていると、「見間違いや被害妄想で報告するやつもいるだろう」と言う人がいるけれど、そういうのもデータの中に入っていいんです。パイが大きくなればなるほど傾向がわかる。それがビッグデータのいいところですから。
禹:仰るとおりだと思います。集まっているデータでも、「これはいたずらの報告だろう」というものはだんだん見えてきます。
小宮:これがなかなか警察には理解されないところ。僕は、子どもの行方不明事件が起こったらすぐにたくさん情報を公開して目撃情報を集めたほうがいいと警察に言ってるんです。でも警察は、「間違った情報が集まって振り回されるから」と嫌がるんですね。
データが集まるほど、正しい目撃情報の地域は真っ赤になるんだけど、ビッグデータについてなかなか理解されない。
パトロールにも選択と集中が必要だが……
禹:警察を辞めた人に、毎日のパトロールについて聞いたことがあります。「最近こっちに行っていないから、今日はここに行ってみようかな」と、そういう感覚でルートを決めていると聞いて、すごくアナログだと思いました。
――小宮先生の犯罪機会論に沿えば、「ガードレールがなく車での連れ去りがしやすい場所」「ひと目につきづらい場所にある公衆トイレ」など、犯罪機会の可能性が高い場所について効率の良いパトロールができるはずですね。
小宮:はい。私は犯罪機会論に基づいたホットスポット・パトロール(危険な場所を重点的に回るパトロール)を推奨していますが、「痴漢レーダー」のデータもホットスポット・パトロールに応用できます。データの裏付けがあれば、さらに精度の高いパトロールができるはずです。
片山:子どもの学校では年に一度、保護者たちが地域を歩いて「防犯マップ」を作りますが、それが手書きのアナログなんです。どこかに掲示されるわけでも、毎年のデータを積み重ねていくわけでもない。デジタルに置き換えればいつでも見られるしデータも蓄積されていくのに。
小宮:高齢化していますから地域パトロールは今、お年寄りが多い。そうなってくると余計に選択と集中が必要で、漫然と適当にやるのは一番ダメなんだけど、日本人は精神論が大好きなのでね。「頑張ればなんとかなる!」って。
安全は最優先の福利厚生
小宮:ところで、痴漢レーダーのようなキュカさんの取り組みは、どのように収益化するのでしょう?
片山:3つあって、1つはデータを不動産広告のレコメンドに運用すること。2つ目は、保険会社や警備パトロールと組んだ商品開発。痴漢の発生を知らせたら、次の駅で警備会社の人が待っていてくれるというようなものです。3つ目はそれ以外のデータ運用・販売です。
小宮:なるほど、良いのではないでしょうか。
片山:痴漢が多いのはやはり電車なので、鉄道会社にもデータに関心を持ってもらいたいです。あとは一般企業ですね。福利厚生として、通勤電車での駆けつけパトロールのサービスを社員に提供するというのは、これからの社会であり得ると思います。
小宮:良いですね。僕は随分前から、安全は福利厚生の中でもトッププライオリティだということを言ってるんです。経営者には、社員の安全についてもっと考えてほしいですね。
片山:あとは制服を来ている子どもが被害に遭いやすいので、学校とも連携したいですね。
「接触」の前に「物色」がある
片山:痴漢レーダーは、被害に遭った人か目撃した人がアプリで場所を報告するというシンプルなシステムです。緯度経度を使っているので、海外の情報を報告することもできます。小宮先生が「こんなデータがほしい」と思うものはありますか?
小宮:電車の中の痴漢や盗撮であれば、路線や車両の中での位置を知りたいですね。車両の中でも特に狙われやすい位置があると言いますが、データが取れたらいいと思います。
禹:街中の場合はどうでしょう。
小宮:これは難しいかもしれないですが、被害に遭った場所だけではなくて、どこから尾行されていたかがわかるといいですね。大人へのわいせつ被害でも子どもの連れ去りでも、最初に犯人が被害者を物色するのは人通りの多い場所です。
大人の場合は、人気のないところや、自宅まで尾行されてそこで被害に遭うことが多く、子どもの場合は物色の次に接触と連れ去りがあります。騙して他の場所へ連れて行かれるんですね。
連れ去りなどの前段階である物色の時点が、防犯に関しては大事です。
――被害に遭った人がどの時点から尾行されていたかを調べるのは難しいかもしれないですが、痴漢レーダーで「〇〇駅の近くの公園や民家で被害報告が増えている」といった傾向がわかれば、駅前など人通りの多い場所にカメラをつけるような防犯対策ができそうです。
割れ窓理論で犯罪を予測できるか
片山:現在、痴漢レーダーでは、報告する際にユーザーが痴漢・盗撮・つきまとい・露出・ぶつかり・それ以外の迷惑行為の6つを選べるようになっています。今後は街中の落書きや不法投棄などまで広げてはどうかと思っています。
軽犯罪にも当たらないものについてデータを集約していくことで、割れ窓理論(※)のように街中の犯罪との因果関係が見えてくるかもしれません。
(※)割れ窓理論…割れた窓や不法投棄されたゴミを放置しておくと犯罪が発生しやすくなるという理論。軽微な犯罪を取り締まることで凶悪犯罪の予防につなげる考え方。
小宮:いいですね。実は日本の警察でも、予測型警察活動は行っています。子どもが知らない人から「声掛け」されたというような情報をAIに覚えさせて、犯罪予測を行っている。けれど問題があります。犯罪に至らないような、ただの「声掛け」まですべてAIに覚えさせても、意味がない。
単なる挨拶なのか、連れ去り目的やわいせつな言葉での声掛けなのか、子どもが区別できないこともあります。そこを精査しないといけない。
片山:行為自体を明確にしてデータを集めたほうが良いということですね。
「親にも言えない子どもの被害」の可視化を
小宮:そうですね。期待するのは、親も知らない被害の可視化。性的な被害の場合は特に「親にも言えない」子どももいます。親経由のデータだけでなく、子どもがひとりでポンと押せるようなアプリになると良い。親も知らない子どもの被害、それは警察も把握できていないことですから。
片山:今後のプロダクトで実現していきたいです。現状だとスマホでしか痴漢レーダーは使えないので、スマホを持っていない低年齢の子どもは使えないですし、高校生でも学校にスマホ持ち込み禁止の子は使えません。簡単に持ち歩けるデバイスになるといいのかな。
小宮:まあ、近いうちに小学生もみんなスマホを持つようになると思いますけどね。
片山: もうひとつお聞きしたいのですが、データが集まってマナーの悪い街というのが可視化されるとしますよね。私たちは性善説を信じているので、「じゃあちゃんとゴミ捨てしよう」とか、意識が変わるといいと思っているのですが、逆に犯罪者から「あの街が狙い目」と思われてしまうことがあるのかな……と。
小宮:それに似たことは僕も質問されます。「子どもに安全な場所を教えても、安全な場所で油断した子どもを狙う悪い大人がいるかもしれない」と。でも、犯罪機会論で言う「安全な場所」で大人が子どもを狙ったら、捕まります。ひと目につきやすく見つかりやすい場所、捕まりやすい場所だから安全なのです。
性犯罪者は衝動的に犯行を行うと思っている人が多いですが、実際は彼らも捕まりたくはないから、捕まらない場所を理性的に選んでやっているのです。
いずれにせよ、防犯のために被害の可視化は必要です。
潜在的な差別意識の可視化も必要
――先程、警察の話が出ましたが、被害者から話を聞いていて思うのが、警察の対応が属人的ということです。人によって良かったり、呆れるほどひどかったり、統一されていない。
小宮:その問題はありますね。僕も警察大学校で20年近く教えていますが、警察官が学ぶのはほとんど法律科目。法律を学ぶことはもちろん必要ですが、一方で行動科学や犯罪学の研修が少ない。それでも昔よりは良くなりましたが、警察官の研修プログラムに問題があると思っています。
片山:ユーザーからも警察や駅員の対応が残念だったという声が上がっているので、そういう対応を録音しておいてもらって、サービス上で公開したらどうかと思っています。弁護士さんとも相談していますが、警察官は公務員なのでその対応の公開は公共性があります。
小宮:警察官の対応を録画する、公開する、それでいいんだという文化ができたらと思いますね。なぜなら、それぐらいしないと人間が持っている潜在的な差別は表に出ない。
痴漢の問題も、背景にあるのは男性至上主義でしょう。被害の可視化も必要ですが、日本の女性蔑視、潜在意識の可視化・顕在化が必要です。それが巡り巡って被害防止になります。
痴漢の次に多い「ぶつかり行為」
片山:ちなみに、痴漢レーダーの報告で一番多いのは「痴漢」ですが、痴漢の次に多いのは何だと思いますか?
小宮:なんだろう、露出かな?
片山:それがぶつかり行為なんです。昨年、新宿駅での「ぶつかり男」の動画が話題になりましたが、すれ違いざまにわざとぶつかられた、叩かれたという被害報告が多いです。
小宮:怖いな、そこまで来ましたか。そのデータは僕も使わせてほしいです。日本では自爆テロ型の犯罪が今後増えていくと予想しています。怒りの沸点が下がっている。その文脈でずっと話していますので。ぶつかりが増えているというのは、怒りの沸点が下がっているということですから。
禹:データを分析中なので、出したらお送りします。
小宮:ありがとうございます。禹さん、片山さんたちのやっていることは、すごく意義のあることです。これからも期待しています。
(※小宮さん提供の写真以外は筆者撮影)
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