【京都市】中京 文豪に人気があったお多佳さんに詠んだ「夏目漱石の句碑」が御池大橋西詰めに!
木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を 隔てゝ 男女哉
漱石
文人たちの間で人気があったという名物女将だったお茶屋「大友」の女将、お多佳さん(磯田多佳女)について詠まれた「夏目漱石の句碑」が、鴨川沿いにありました。
お茶屋「大友」の女将、お多佳さん(磯田多佳女)といえば、祇園白川の姉は祇園一力亭の女将おさださん。
「大友」については、昭和30年に吉井勇、谷崎潤一郎らによって祇園白川に建立された『かにかくに碑』が有名です。歌碑に刻まれている歌は、吉井勇の作で毎年「かにかくに祭」が舞妓芸妓により行われます。
「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」。
「大友」には、夏目漱石、谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れた場所です。
過去記事をご参照ください→祇園甲部の花街真ん中にある『かにかくに碑』とは…
また谷崎潤一郎についての過去記事もご参照ください→ 圧巻の紅葉『神護寺の地蔵院』特別ご開帳と「期間限定御朱印」授与♪
ここは、幼い頃からなんども頻繁に通っている御池大橋西詰め。
比叡山が眺められる大好きな場所の一つです。
この夏目漱石の句碑のある御池大橋西詰の南側は「句にゆかりの現地」らしいです。
漱石は生涯、4度に渡って京都を訪れたそうです。
その中で、漱石が投宿していた木屋町御池の「北大嘉」という宿がこの場所にあったということです。
画家である津田青楓のすすめで木屋町御池の旅館「北大嘉」。
鴨川を挟んだ反対側にお茶屋「大友」のお多佳さんへ送った一句が、これで祇園白川と木屋町という鴨川を間に挟んだ関係性がわかります。
女将である磯田多佳女と交友を持つ夏目漱石ですが、ある日、二人の間に小さな行き違いが起こります。
そこでこの句が送られたそう。
即興の一句だったと言われるように、定型文とは違う文字数が気になりますね。
駒札には…
『木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに、「春の川を 隔てゝ 男女哉」 漱石 句碑は昭和41年(1966)11月、「漱石会」が明治の文豪夏目漱石(1867~1916)の生誕百年を記念して、句にゆかりの現地に建てた。』とあります。
夏目漱石といえば誰でも思い出すのが「坊ちゃん」「吾輩は猫である」や「三四郎」「こころ」「草枕」などの代表作品ですね。
このころ、夏目漱石は48歳だったそう。ちょっとしたシチュエーションを考えるとロマンチストな方だったのでしょうね♪
鴨川を眺めながら文豪の世界に浸ってみてはいかがでしょう〜
夏目漱石句碑
京都市中京区上大阪町 御池大橋西詰