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文大統領も参戦…ヒートアップする「北朝鮮原発推進」疑惑

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
18年4月27日『板門店宣言』に署名し握手する南北両首脳。共同取材団提供。

先週木曜日の晩に明らかになり、金曜日に野党代表の「利敵行為」発言を経て韓国政界のトップイシューとなった「北朝鮮原発建設推進ファイル」騒動。週明けの今日、与野党はもちろん長官・大統領まで参加した大激論が繰り広げられている。

●野党代表の「利敵行為」発言に文大統領も不快感

「そうでなくとも民生が困難な状況で、捨てるべき旧時代の遺物のような政治対立を煽り、政治を後退させないよう願います」

1日午後2時から開かれた首席補佐官会議で、文在寅大統領はこう述べた。婉曲な表現ではあるが、今回の騒動に触れた一節として韓国メディアが一斉に報じた。

矛先は、第一野党・国民の力の金鐘仁(キム・ジョンイン、80)代表に向かっている。

発端は先月28日の韓国メディアの報道だった。

19年12月、監査院による監査のさなかに産業通商資源部(経産省にあたる。以下産業部)所属の公務員3名が、「北韓(北朝鮮)地域での原発建設推進方案」というタイトルの文書を含む13のファイルを削除したことを証拠と共に報じたのだった。

ファイルが作成された時期の18年5月が南北首脳会談直後(18年4月27日)だったこともあり「何かしらの対価として、北朝鮮に原発建設を持ちかけていたのではないか」という憶測を呼んだ。

【参考記事】「北朝鮮に原発建設を推進」…韓国政府'削除ファイル'の実態とは

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20210129-00219960/

そして翌29日、この件について金鐘仁代表が文書で「韓国の原発を閉鎖し、北韓に極秘裏に原発を建ててあげようとしたことは、原発ゲートを超えて、政権の運命を揺るがす衝撃的な利敵行為」と発表したのだった。

この発言が今回の騒動に火をつける形となった。同日、青瓦台(大統領府)は「とんでもない話」と反応し、「北風工作と変わらない無責任な発言」と強く反発した。

「北風」とは、北朝鮮の脅威を過度に煽ることで反共保守世論を強める政治工作を指す。90年代までは効果があったため、選挙シーズンになると実際に保守陣営により行われてきた歴史がある。

今年4月にはソウル市と釜山(プサン)市で市長を選ぶ補欠選挙があり、来年3月には大統領選挙もある。青瓦台はこうした事情を前に、金代表が有りもしない”疑惑”をでっち上げ、文政権に「親北朝鮮」のレッテルを貼ることで政治的な利益を得ようとしていると、怒りを露わにしている格好だ。

そして冒頭の文大統領の発言もこれに連なるものだ。「旧時代の遺物」がすなわち「北風」を指している。2000年代以降は影を潜めた「北風工作」を行い、社会の革新ではなく容共反共で陣営を分けようとするならば、確かに政治の後退ではある。

●産業部の弁明

とはいえ、削除されたファイルがどんな経緯で作成され、その中身は何だったのかに対し注目が集まっているのは事実だ。

これに対し、韓国政府の関連部署はいち早く対応した。先月31日、産業部は報道資料を通じ「『政府が北朝鮮に原発を建ててあげようとした』という主張は事実ではないと確認した」と明かした。

さらに文書の作成背景については「18年4月27日の第一次南北首脳会談を開催した後に、今後の南北経済協力が活性化する場合に備えて、産業部の各部署別に多様な実務政策アイディアを検討した」とし、「北韓の原発に関連する文書の場合にも、エネルギー分野における協力アイディアの次元で検討した内部資料である」と説明した。

1月31日、産業部が発表した資料。この日は日曜日だったが事案の重大性が勝った。産業部提供。
1月31日、産業部が発表した資料。この日は日曜日だったが事案の重大性が勝った。産業部提供。

その上で、「これらの文書はあくまで北韓地域だけでなく、韓国内の別の地域に原発を建設したり韓国内の原発から北への送電に言及したりするなど、具体的な計画ではなく、アイディアの次元である」とした。そして「追加の検討や外部への公開もせず、そのまま終結したもの」と結論づけた。

なお、韓国紙『朝鮮日報』では1日、文書の内容について「北朝鮮の新浦(シンポ、KEDO[朝鮮半島エネルギー開発機構]が軽水炉建設を進めた)地域での原発建設」や「DMZ(非武装地帯)への原発建設」、そして韓国で建設が中断した「シンハンウル原発から北朝鮮に向けた送電」であると解説している。

こうした「原発」へのこだわりは文政権の脱原発の基調と合わないため、逆にこれらの文書があくまで産業部などによる検討文書に過ぎない証拠となる、という見方もある。

※1日夜、産業通商資源部は資料のうち一つを全文公開した。18年5月14日に作成された「180514_北韓地域原発建設推進方案_v1.1」で、全6ページにわたる。内容は上記の『朝鮮日報』の記事内容に沿うものだった。

●文→金へのUSBファイルは

一方、今回の騒動で改めて脚光を浴びたのが、文大統領が18年4月27日の南北首脳会談で北朝鮮の金正恩委員長に手渡したとされるUSBファイルの中身だった。

文政権の『新韓半島経済構想』をまとめたこのファイルの中に「原発建設」という内容が含まれていたか否かに注目が集まった。

これについて1日、南北関係を主管する統一部の李仁栄(イ・イニョン)長官は韓国のラジオに出演し「『新韓半島経済構想』ファイルの中身を緊急に検討したが、原発の“原”の文字もなかった」と明かした。

さらに「統一部の次元では、いかなる場合にも北朝鮮に原発を建設することに関する議論をしたことがない」と述べ、疑惑を一蹴した。

また、与党所属で18年4月当時、国政状況室長を務め南北首脳会談に深く関わった尹建永(ユン・ゴニョン、51)議員は『YTNラジオ』に出演し「南北首脳会談の過程で原発の”原”の文字も出ていない」と、文大統領が金委員長に原発建設を提案したという疑惑を否定した。

『韓半島新経済構想』の中身については「南北が経済協力をし、朝鮮半島の新しい成長動力を作ろうという内容」と説明した。

なお、これまで件のUSBファイルは「徒歩橋」での単独会談中に文大統領から金委員長へと渡されたものとされていたが、首脳会談を行った建物である板門店の韓国側施設「平和の家」一階で渡したことが今回明らかになった

1月31日、「対北原発疑惑 緊急対策会議」を開いた第一野党・国民の力。中央が金鐘仁代表だ。同党提供。
1月31日、「対北原発疑惑 緊急対策会議」を開いた第一野党・国民の力。中央が金鐘仁代表だ。同党提供。

●「削除」については未解決

この記事を書いている瞬間にも与野党の応酬は続いている。

第一野党・国民の党は改めて国会による国政調査を要求している一方、与党・共に民主党側は「常識的に推進できない事業をなぜ問題視するのか。選挙のためと考える他にない」と、あくまで「選挙に向けたこじつけ」との姿勢を崩していない。金代表を告訴する動きもある。

確かに、今回の一件には筆者も大きく驚き、先週金曜日の段階ですぐに記事にした。だが整理して考える場合、以下の二つの点から「北朝鮮への原発建設」をもって騒ぐことは的外れに思える。

まず、「完全な非核化」が実現する場合にその対価として原発を建設することは、特別なアイディアではないという点だ。過去のKEDOによる実際の建設は言うまでもなく、李明博(イ・ミョンバク、在任08年2月〜13年2月)政権時にも同様のアイディアが存在した。完全な非核化を前提にこうしたインセンティブを考え、検討することは、何ら不自然ではない。

次に、文大統領と金委員長が秘密裏に推進するには「非現実的すぎる」点が挙げられる。完全な非核化が行われない段階で北朝鮮に原発を提供することは、NPT体制や国連安保理による北朝鮮への経済制裁に正面から挑戦することになるため、国際秩序の中に存在する韓国が推進するにはリスクが大きすぎる。

それでも「なぜ削除したのか」、「削除は誰の指示だったのか」という点は解決しておらず、まだまだ騒動は続きそうだ。ネット上には「原発の設計図を渡した」といったフェイクニュースも溢れている。

いくら大きな選挙を控えているとはいえ、南北分断に関わるイシューの持つ破壊力をまざまざと見せつけられた数日間だった。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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