300本塁打に届かなかった選手たち。残り5本で3年連続0本も。中田翔と山田哲人はあと12本と29本
日本プロ野球で300本以上のホームランを打った選手は、868本塁打の王貞治を筆頭に、44人を数える。最初に300本塁打に到達したのは、1965年7月4日の山内一弘。直近の44人目は、2021年9月29日の松田宣浩(当時・福岡ソフトバンク・ホークス/現・読売ジャイアンツ)だ。
一方、300本塁打まで30本以内に近づきながら、届かなかった選手もいる。これから到達するであろう、中田翔(読売)と山田哲人(東京ヤクルト・スワローズ)を除くと、270本塁打以上300本塁打未満には、12人が並んでいる。
なかでも、前田智徳と真弓明信の2人は、300本塁打まで残り一桁に迫った。それぞれ、295本塁打と292本塁打でキャリアを終えた。
2008年の途中から、前田は、ほぼ代打専門の選手としてプレーした。全休の2009年を経て、最後の4シーズン、2010~13年は計188試合で205打席。2012~13年は打率.333(60打数20安打)を記録したが、ホームランは、2010年5月21日が最後となった。
真弓も、最後の数シーズンは代打出場が多かったが、こちらは、ブレイクするまでに時間を要した。最初の4シーズンは、計121試合で1本塁打。一軍6年目の1978年に初めて規定打席に到達し、クラウンライター・ライオンズから阪神タイガースへ移った1979年に初の二桁となる13本塁打を記録した。
2119安打を記録した前田――2000本目は2007年9月1日――と違い、真弓は、2000安打にも112本足りなかった。300本塁打と2000安打をそれぞれ100%とした場合、真弓の292本塁打と1888安打は、その97.3%と94.4%となる。このどちらも90%以上100%未満は、真弓、木俣達彦、福留孝介の3人しかいない。木俣は95.0%と93.8%(285本塁打と1876安打)、福留は95.0%と97.6%(285本塁打と1952安打)だ。上の写真の稲葉篤紀は、90%未満と100%以上。261本塁打と2167安打だ。
もっとも、福留の場合、2008~12年にメジャーリーグで記録した本数を加えると、いずれも100%以上の327本塁打と2450安打となる。ちなみに、レロン・リーは1969~76年にメジャーリーグで31本塁打、404安打なので、日米の合計は314本塁打と1983安打。1981~82年に0本塁打、29安打のブーマー・ウェルズは、277本塁打と1442安打だ。
2000安打に迫った選手については、こちらで書いた。