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あの時、私は九段会館で死線を彷徨った  同僚女性の死、そして巨大霊園での邂逅 #これから私は

鵜飼秀徳ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事
東日本大震災で2人の死者を出した九段会館(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

東日本大震災では東北地方を中心に1万5899人の死者、2527人の行方不明者を出している。うち東京都内で命を落としたのが、7人(消防庁発表)だ。九段会館(千代田区)では2人の死亡者と、31人の重軽傷者を出した。大ホールの吊り天井が落下して、そこで行われていた専門学校の卒業式を直撃した。当時、専門学校の講師として式に参加し、石膏でできた天井の直撃を受けて、全身15カ所を骨折する重傷を負ったのが、葬祭コンサルタントの二村祐輔さん(67)だ。隣席に座っていた同僚の金子いづみさん(当時51)は即死した。二村さんは東日本大震災から10年の節目に際し、インタビューに応じた。当時の生々しい状況を振り返るとともに、金子さんの葬儀や一周忌における不思議な邂逅の話、震災とコロナ禍との共通点などを明かした。

九段会館前の駐車場で、二村さんはトリアージを受けていた
九段会館前の駐車場で、二村さんはトリアージを受けていた写真:ロイター/アフロ

石膏天井がドーンと落ちてきた

鵜飼 当時の二村さんや金子さんの状況を教えていただけますか。

二村氏 卒業式は午後2時に開始しましたが、私は別件があって、20分ほど遅れて会場に入りました。すでに卒業式は始まっていて、ステージ上では生徒の表彰が行われているところでした。大ホールは1階席に加え、後部に2階席が設置された構造。卒業生、父兄、教職員など600人近くが着席していました。私と金子さんはステージから3列目の中央のあたりの席でした。私は『お待たせ』と、先に座っていた金子さんに会釈をして彼女の左隣に座りました。しばらく経って、にわかにホールが揺れ始めたのです。

鵜飼 東京が揺れ始めたのは午後2時46分。都心の震度は5強でした。揺れは3分を超える長い時間でした。天井はどのように落ちたのですか。

二村氏 校長先生や来賓が座っているステージの頭上には舞台照明がぶら下がっていて、その照明がガシャガシャと左右に大きく音を立てて揺れていました。私は、それが来賓の方々に落ちてくるのではとヒヤヒヤしながら見ていました。

鵜飼 卒業式という、厳粛な場だからこそ、多少の揺れでは動じてはいけないという雰囲気だったのでしょうか。

二村氏 最初はそうだったかもしれませんが、揺れはさらに大きくなってきて、ステージの照明が落ちるのではと不安になってきました。司会の人が『落ち着いてください。出口に殺到するといけないので、指示があるまでその場に着席していてください』とアナウンスを始めました。しかし、私はあまりにも揺れがひどいので不安になり、金子さんに『これはちょっと危ないね。外に出たほうがいいですよ』と告げ、腰を上げた瞬間、石膏でできた天井がドーンと落ちてきたのです。私たちは逃げるまもなく直撃を受け、ガーンと床に打ち付けられました。

鵜飼  天井からパラパラと何かが落ちてくるといった予兆はあったのですか。

二村氏 直前のことはよく分かりません。ただ、2階にいた生徒の証言では、『天井がふわっと落ちてきた』と言うのです。バラバラと崩れて落ちてくるのではなく、天井ごとはがれて、まるでじゅうたんが上から覆いかぶさるように落ちてきたと。落下した天井の総量は5トン以上もあったそうです。被害に遭ったのは前から5列ぐらいまでの人たちです。2階席と1階席の後部、そしてステージに座っていた人は何の被害もありませんでした。事故が起きた大ホールの天井は竣工以来、補修などは行われていなかったようです。

鵜飼 直撃を受けて、意識はあったのですか。隣にいた金子さんの様子などは?

二村氏 私は、前後の椅子の背のおかげで圧死は避けられました。しかし、左肩に強い衝撃を受け、床に激しく打ち付けられました。隣の金子さんの様子を確認することはできませんでしたが、彼女はまともに頭に石膏の塊を受けてしまったようです。わずかな違いで金子さんは即死、私はかろうじて一命を取り留めました。この時、1列後ろに座っていた、もうひとりの講師先生も亡くなっています。

 私を含め助かった重傷者も、首の骨折、両足骨折などひどい怪我を負いました。私は事故直後、流血していたことは分かっていましたが、肩の骨が外に飛び出していたことには気付きませんでした。痛みは感じず、意識はしっかりとして終始冷静でした。天井が覆いかぶさったので視界がなくなり、真っ暗になっていました。

 会場からは『大丈夫かー』『すぐに助けるぞ』などの叫び声が聞こえてきました。気づくと口の中で何かがゴロゴロとしている。前歯が5本ほど折れているようでした。私はとっさに『歯をなくしてはダメだ』と思い、背広のポケットに入れたことを覚えています。私はすぐ近くにいるはずの金子さんの安否が気になり、声をかけて生存を確認したかった。けれども、『ひょっとして返事が返ってこなかったら…』と、お亡くなりになっている可能性が頭をよぎり、とても怖くなって、声をかけてあげられなかったのが正直なところです。その場で金子さんの死を確定させたくなかった。後から話を聞くと、金子さんは即死だったようです。

駐車場でトリアージが始まった

鵜飼 どのように救出されたのですか。

二村氏 卒業式で若い男性が何百人もいたことが、不幸中の幸いでした。余震もおきる中、生徒たちが落ちてきた天井を持ち上げ、けがをした人をどんどん引っ張り出してくれました。レスキュー隊が到着するよりも早く、外に搬出されました。

 私たちは九段会館の駐車場に運ばれ、寝かされました。近くで心臓マッサージを受けている人がいましたが、それが金子さんかどうかわかりません。救急隊が到着すると、トリアージ(重症度によって治療の優先度を選別すること)が始まりました。私は『なかなか運んでくれないんだな』と思いました。私は3年前に心筋梗塞を患い、以来、血液をサラサラにする薬を飲んでいて、お医者さんから『二村さん、ケガしちゃダメだよ。血が止まらなくなって死んじゃうからね』と厳しく言われていたので、救急隊にそのことをしきりに訴えました。

 とにかく、ものすごい崩落だった。私はてっきり首都直下型大地震で九段会館全体が崩壊、いや東京全体が壊滅しているに違いないと考えていました。九段会館の駐車場に寝かされ、青空を見上げると周囲のビル群はいつもどおり。九段会館も壊れていないし、普段の東京の日常が広がっている。なんだ、私がいた場所だけが被害に遭ったんだ、と初めて気付きました。

九段会館に到着したレスキュー隊
九段会館に到着したレスキュー隊写真:ロイター/アフロ

鵜飼 地震後、都内は大渋滞になりました。無事、病院に運ばれたのですか。また、実際のケガの程度はどのようなものでしたか。

二村氏 道中は、かなり時間を長く感じました。病院に到着するまで、救急隊員がマイクで途切れなく「前をあけてください」と叫んでいましたね。この頃、すでに都内では大渋滞が始まっていたようです。

 私は新宿区の大学病院のICUに運ばれました。診断は鎖骨や肩甲骨、肋骨など15カ所の骨折に頭部の裂傷、前歯が5本欠落などでした。全治2年ほどで10年が経過した今でも肩の痛みが残っています。しかし、病院の先生に無理を言って4月1日に退院させてもらいました。まだ、骨もくっついておらず、松葉づえもつけないような状態でしたがね。

病院で気丈に振る舞う二村さん(二村さん提供)
病院で気丈に振る舞う二村さん(二村さん提供)

巨大霊園で、偶然目の前に

鵜飼 早期退院した理由は?

二村氏 入院中、東北の被災地の行政や葬祭業から多数の問い合わせがきて、病院内では対処できなくなったのです。東北の沿岸に打ち上げられたご遺体を東京に運んで火葬する方法を教えてほしい、など。現地の行政は機能不全になっていましたから、私のところに相談が集中したようです。

鵜飼 金子さんの死亡を聞いたのはいつでしたか。

二村氏 震災の翌日12日、病院で妻から聞きました。私は信じたくないという気持ちでしたが、現実は受け止めるしかない。金子さんのお葬式が藤沢であるのというので、妻が代理で行くということになりました。

 そこで不思議なことがありました。妻がお葬式に向かう電車の車内で、向かい側に座った見ず知らずの女性が喪服を着ていたので会釈をしたそうです。すると、『金子の妹です』と。この偶然の引き合わせを妻から知らされて、私は初めて金子さんの死を実感し、涙を流しました。

 体が動けるようになって、金子さんのご家族への弔問に向かいました。一周忌のタイミングでは、藤沢にある金子さんが眠っている霊園から講演会の依頼が偶然に入り、不思議なご縁だなと思いました。この時、初めて金子さんのお墓参りに向かいました。そこは何万基という数の墓が並ぶ巨大霊園。しかも、同じデザインの墓石が無数に並んでいるので探すのが大変です。しかし、なぜか誘われるように向かった目の前にあったのが、金子さんのお墓でした。すべては偶然か、いやきっと金子さんが引き合わせてくれたのだと思います。改めて死者とのつながりを強く意識した経験でした。

金子さんのお墓(二村氏提供)
金子さんのお墓(二村氏提供)

日本遺族会との裁判

鵜飼 二村さんは、亡くなった金子さんともうひとりの女性の遺族とともに、「建物の安全管理に問題があった」として、国や日本遺族会(古賀誠会長)を相手に刑事・民事の両面で告訴しました。しかし、日本遺族会は九段会館を廃業にし、建物を国に返還。刑事捜査では、「地震の規模が大きく、事故を予見することはできなかった」として立件は見送られました。治療費や慰謝料などは出たのですか。

二村氏 治療費は、手術や歯のインプラント、リハビリなど総額300~400万ほどかかりましたが、治療費や弁護士費用など差し引いたお見舞い金は200万程度でした。死ぬような目に遭っても、そんなものかと思いました。

 裁判としては3年ほどかかりました。しかし、日本遺族会は途中で解散してしまいました。要するに訴訟先が消滅してしまったわけです。訴訟先が日本遺族会から所管の厚生労働大臣に代わり、結果的にはうやむやになってしまいましたね。

二村さんの肩に入っていたボルト(二村氏提供)
二村さんの肩に入っていたボルト(二村氏提供)

鵜飼 東日本大震災の10年目の節目にあたって、伝えておくべき教訓はありますか。

二村氏 災害は予見とそれに基づく防災措置が大事ですが、災害が起きてしまった後のことも重要です。例えば東京都は首都直下型地震を想定して、各地に防災拠点を設けています。私も視察しましたが、水や食糧、医薬品の備蓄は万全のようでした。

 死に関する準備は何もない。具体的には、遺体を収める納体袋や棺桶、あるいは死者をすぐに供養できる造花や仏具など。大災害になったら、死者が出ることは必然です。そんなこと考えたくないという人もいるでしょうが、けっしてそこから目を背けてはいけないんです。

 実際、東日本大震災直後、私は葬儀社から多数の遺体の扱いの相談を受けました。身元のわからないご遺体がブルーシートを敷かれた床に並べられている。私は『床に直にご遺体を並べるのはいけません。非常時だろうが机などを使って、手厚く安置してあげてください。花もあればお供えして』などとアドバイスしました。修羅場だからこそ、死のケアが大事なのです

「九死に一生」で感じた「人間到る処青山あり」

鵜飼 九段会館は建て替えが決まり、一部のデザインを残し、2022年に17階建の近代ビルに生まれ変わる予定です。事故のあった大ホールも取り壊されます。

二村氏 私は長年、葬祭を仕事にしてきました。現在、都内の大学でも教えていますが、大学の学生や葬祭業者さんには、過去の節目というのはとても大事だということを説き続けてきました。『過去にこういうことがあった』『こういう人が生きていた』などという、過去に基づく感性教育をもっとしていかないといけないと思います。東日本大震災の他にも8月15日の終戦記念日。国民はなんとなく追悼の気持ちを表しますが、だからといって、この日が国民の休日になっていて全国民で追悼するわけではない。時間の経過とともに関心が薄れ、亡くなった方への追慕の気持ちはどんどん失われています。どうも日本人は冷たいよね。

鵜飼 自然災害という点では同じ「新型コロナウイルス感染症」の流行が続きます。大勢の方が死に直面し、亡くなりました。

二村氏 私は3.11の九段会館での事故以来、コンサートに行けば必ず天井は見上げます。そのときにいつ死んでも人はおかしくないのだと改めて感じます。東日本大震災とコロナも重ねて見るべきだと思います。つまり、人は歳をとって死ぬのではなく、いつ何時も死と直面しているということ。だから、常に死を意識して、日々、自分の役割を果たしていくことがとても大事なのです。ひとことで言えば、「人間到る処青山あり(どこでも骨を埋めるつもりで日々、精一杯生きること)」です。

オンライン取材に応じる二村さん(Zoom画面、筆者作成)
オンライン取材に応じる二村さん(Zoom画面、筆者作成)

二村祐輔(ふたむら・ゆうすけ)

1953年生まれ。葬祭実務に18年間従事し、2千数百件の事例を経験。1996年にメモリアルビジネスコンサルタントとして独立。日本葬祭アカデミー教務研究室を主宰。2006年に東京観光専門学校に日本初となる「葬祭学科」を設立する。行政や葬祭業界主宰のセミナーでの講演のほか、『60歳からのエンディングノート入門』(東京堂出版)などの著作も多数。最新刊に『葬祭サービスの教科書』(キクロス出版)。東洋大学国際観光学部非常勤講師など

ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事

1974年、京都市生まれ。成城大学卒業。報知新聞、日経BPを経て、2018年に独立。正覚寺(京都市)第33世住職。ジャーナリスト兼僧侶の立場で「宗教と社会」をテーマに取材、執筆、講演などを続ける。近年は企業と協働し「寺院再生を通じた地方創生」にも携わっている。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)、『絶滅する「墓」』(NHK出版新書)など多数。最新刊に『仏教の未来年表』(PHP新書)。一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事、大正大学招聘教授、東京農業大学・佛教大学非常勤講師など。

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