【戦国こぼれ話】宣教師ルイス・フロイスは、織田信長・豊臣秀吉をどう評価したのか
企業の成果主義では、あくまで仕事の中身を評価し、人格などは評価外である。しかし、現実には「あいつは生意気だ!」と私情を挟むことは珍しくない。戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、織田信長・豊臣秀吉をどう評価したのだろうか。
フロイスは織田信長と豊臣秀吉という2人の天下人に接近し、自著『日本史』にその評価を書き残している。フロイスの目に、2人の姿はどう映ったのだろうか。
■織田信長の評価
最初は、織田信長の評価である。フロイスによると、信長は朝早く起床し、酒を好まず食を節するなど、極めて健康的な生活を送っていたようだ。
背丈は中ぐらいで、髭は少なく、声は快調(甲高いということか)だったという。その性格は好戦的で正義感が強く、名誉心に富んでいた。
また、貪欲な性格ではなく、平素は穏やかであったが、ときに激昂することもあったと記す。癇癪持ちだったのだろうか?
信長は常日頃から軍事的修練を欠かさず、老練な戦術を身に付けていたという。家臣の忠言には耳を貸さなかったが、家臣からは畏敬の念を抱かれていた。
王侯に対しても軽蔑した態度を取り、人々は絶対君主に対するように服従したとフロイスは述べている。かなり怖い人という印象を受ける。
信長の強さはどこにあったのか。信長は理性的で明晰な判断能力を有しており、神仏などの迷信を一切廃していた。戦局が厳しくなっても、忍耐強く戦い抜いたという。
それゆえ、フロイスは信長を稀に見る優れた人物と評価し、まさしく天下人にふさわしいと大絶賛した。
ただし、信長がキリスト教だけに目を向けず、さまざまな宗教を庇護すると、フロイスは宗教的な見地(キリスト教は一神教)から、その評価を下げている。
■豊臣秀吉の評価
次に、豊臣秀吉の評価である。『日本史』には、秀吉の出自を語る一節がある。若い頃の秀吉は山で薪を刈り、その売買で生活を支えていたと記す。
また、秀吉の身長は低く、とても醜い容姿で、髭は少なく目が飛び出していたという。フロイスは秀吉に対して、好印象を持たなかったようだ。
フロイスは秀吉の片手は指が6本あったと記すが、それは前田利家の『国祖遺言』という書物にも書かれていることだ(外国の史料にも記述あり)。
フロイスは、秀吉に対して良からぬ感情を抱いていたようだ。秀吉は戦闘に熟練していたが、気品に欠けていたと指摘する。
周知のとおり、秀吉は一介の百姓から身を起こしたといわれているので、天下人にふさわしい品位がなかったのだろう。
秀吉は抜け目のない策略家で、決して本心を明かさず、偽ることに巧みで悪知恵に長け、人を欺くことに長じていたとフロイスは指摘する。
さらに、極度に淫蕩で悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していたと徹底してこき下ろす。ここまでになると、もはや誹謗中傷のレベルである。
フロイスが秀吉を評価しないのは、天正15年(1587)にバテレン追放令を発布し、キリスト教の布教を禁止したからだ。
慶長元年(1596)、秀吉は26人のカトリック信者を長崎で磔刑に処している。つまり、フロイスは秀吉による禁教などの影響もあり、必然的に評価を下げたのである。
人を客観的に評価するのは、非常に難しい。それは、宗教者であるフロイスも同じだったといえるのである。