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村田諒太、東京五輪出場の夢

本郷陽一『RONSPO』編集長

徹夜でテレビのザッピングをしていた。どの局も同じような内容だったが、大晦日の夜のような錯覚に陥った。何か、こうワクワクするような高揚感である。遠く日本のちょうど裏側のブエノスアイレスから歓喜の映像が届いた時、招致に関わった人々の努力と情熱を思い、こみ上げるものがあった。

スポーツメディアに関わる人間にとって、これ以上の喜びはない。ただ、招致に成功したから、それで万々歳ではダメだ。これを機会に、やるべきことがたくさんあるはずである。それらの議論をアテネ五輪出場経験があり、室伏広治を兄に持つ、室伏由佳さんとしたので、今後、なんらかの形で、その話を出したいとは考えているのだが、今日は“東京五輪の夢”の話を記しておきたい。

先日、戦慄のプロデビューを飾ったロンドン五輪金メダリストの村田諒太と、東京五輪の話をした。

彼は、ふと本音を漏らした。

「東京五輪には、できれば出たいですわ。2つ目の金メダルを目指したい。可能なら(笑)」

プロ転向したばかりの男が、そんな夢物語を語ったのである。

2020年。7年後は、そう遠い話ではない。

「オリンピックって、やっぱり特別な場所です。海外の選手も『ここで人生を変えてやる』という気概を持って挑んできます。会場の雰囲気も含めて世界選手権などとは、まったく違っていました。そして階級も、たった10個しかいない。何人も世界チャンピオンのいるプロの世界とは違いますよね。ほんとに、あの決勝のリングに立てたとき、なんて幸せなんだと思いました。でもね。ひとつだけ引っかかるのは、東京五輪は日本の選手にとってホームという恩恵があること。競技によっては、代表枠も優先的に開催国に渡されるものもあります。難しい難関であればあるほど、僕のモチベーションは高まるんです」

ホームのオリンピックとなると、環境の面でも、いろんな恩恵が考えられる。そういう追い風の中での戦いよりも、思い切り逆風の吹くアウェーでの戦いに燃えるのが村田らしい美学だが、一度、プロ転向してから引退、再びアマチュアで現役復帰して、メダル獲得となると、それは、今だかつて誰も成し得ない、これ以上ない難関になるだろう。

7年後となると、村田は35歳。これまでボクシング競技は、健康上の問題から34歳上限の年齢制限があったが、34歳から40歳に引き上げられた。年齢は障害とはならない。

ただ、プロアマの問題が村田のプロ転向を契機に大きくこじれている。アマ側がプロ転向の際の“移籍金”発生など多くの約束事を盛り込んだ誓約書を選手に書かせたり、プロのジムでトレーニングをしている選手をアマチュアの大会で明らかな不公平な判定で負けにしたりと、プロアマの関係は氷解どころか、むしろ再び大きな亀裂へと向かっている。そこで、村田が再びアマチュア復帰を実現するのは、アマのトップ、山根会長との相当のネゴシエーションと、彼らへの何らかのメリットを考慮しないと、決して許されることのない夢物語ではある。だが、今後、村田本人が五輪出場へ強い意志を持ち、今後のプロ生活の歩みの中で、彼に大きなバリューが加わっていれば、決して不可能ではないのかもしれないとも思う。

現在、国際ボクシング協会は、AIBAボクシングプロフェッショナルという新団体の立ち上げを模索している。NBAのドリームチームが大人気となっているバスケットなど他の五輪競技のようにプロとの融合に対しては積極的ではある。7年後に、そのAIBAプロと連携ができるなら、決して村田の東京五輪出場は滑稽な話ではない。

「常識にとらわれず何かをしでかす」のが、村田の流儀なのだ。

いずれにしろ、村田には、デビューしたばかりのプロの世界で、その頂点に立つという夢ではなく目標がある。

「オリンピックの金メダルのように絶対的な価値感のある世界チャンピオン。そこにチャレンジしたいんですよ」

その目標の続きに2つ目の金メダルという夢の世界があるならば……そんなことを考えさせてくれるだけで、2020年の東京五輪が楽しみになってきた。

『RONSPO』編集長

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。

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