【鎌倉殿の13人】北条泰時の子・時氏の負傷した馬を完治させた武士の意外な正体
鎌倉幕府軍の総大将・北条泰時の嫡男・時氏も承久の乱に参戦していましたが、その時氏が乗る馬は、宇治川での戦いで、負傷していました。敵が放った矢が命中し、鏃(やじり)が体内に食い込み、抜けなくなってしまったのです。
相当、苦しそうな状態でしたので、何とか治す術はないかと、周りの者に尋ねてみても、治療の仕様がないとのこと。そうした時、官軍方に友野遠久という武士(西面の武士=院御所の西面に伺候した)がおりました。
幕府から見たら、敵方ではありましたが、彼は、馬の飼育にかけては「伯楽」(名人)というべき者でした。時氏の馬が負傷して弱っていることを聞いた友野は「治しましょう」と申し出ます。泰時も友野の申し出に感動し、早速、馬を友野のもとに引いて行かせます。
すると、友野は、鏃を引き抜き、療養させ、忽ちのうちに、時氏の馬の調子を回復させてしまったのです。この現象に、人々はとても珍しいことだと感嘆したようです(1221年6月18日)。
承久の乱においては、馬だけでなく、勿論、人間も傷ついたり、亡くなったりしました。そうした人々(武士)の姓名は、調査され、書き出されて、泰時に知らされます。そして、その姓名録や軍功録は、鎌倉に送達されます。それを基にして、恩賞を決めるのです。