筆者が見過ごせないとコロナ禍で渡航までした理由。ジュネーブで見た米ロ首脳会談【現地ルポ】
6月に入り、ニューヨークに住む筆者のもとにある「お知らせ」メールが届いた。申請の締め切りは、会談日からわずか5日前。パンデミックが収束していない中での渡航に不安がなかったと言えば嘘になる。しかし、世界の主要リーダーが顔を合わせる滅多にない機会を見逃したくない一心で、気づけば着の身着のままで現地に飛んだ。
本稿の内容
- 現地レポ
- 取材後記
行き先はスイスのジュネーブ。16日に、アメリカのバイデン大統領とロシアのプーチン大統領の初の首脳会談(U.S. – RUSSIA Summit)が執り行われた。
両氏の会談といえば、バイデン氏が副大統領時代の2011年、プーチン氏とモスクワで握手を交わし、大統領に就任後も2度、電話会談をしている。しかしバイデン氏は、伝えたいことに誤解がないよう「実際に会って対話する重要性」を改めて強調していた。そして今回の大統領同士の初の直接対話が実現となった。
この会談をどうしても見過ごせなかった理由
この会談を見過ごせなかった理由は、2国間のみならず今後の世界情勢の鍵を握る重要な会合だったから。スイスの外務省にあたるFDFAよりメディアセンターの席が用意され、ワクチン接種済みの記者特例として到着後の隔離も免除されたのだから、行かないという選択肢はなかった。
言わずもがな、アメリカとロシアの関係は良くない。一触即発の状態だ。
米NBCが会談直前に行ったインタビューでも、プーチン大統領自らが「ここ数年で最悪の状態」と認めた。「両国ほど核ミサイルを発射する準備ができているところはない」(タイム誌)のだから、さらなる関係悪化によって世界情勢が大混乱に陥る可能性も否定できない。アメリカの同盟国である日本にとっても、対岸の火事ではない。
特に近年、さまざまな問題をめぐって緊張がさらに高まっていた。双方が相手国の大使を追放するきっかけとなった(ロシアが関与していると見られている)相次ぐサイバー攻撃をはじめ、米大統領選の介入疑惑、また核軍縮など安全保障、ハバナ症候群、中国、中東、ウクライナとの関係、人権問題や制裁などについて双方の言い分は対立している。
会談に先立ち、米各紙や専門家の多くは悲観的だった。「両氏はサミットに警戒」(USAトゥデイ)、「双方は、軍事的脅威から人権問題まで困難な議題に向き合うだろう」(ニューヨークタイムズ)などと、冷え切った関係改善は容易ではないことを匂わせた。
会談前、大統領として初の欧州歴訪中だったバイデン氏は、「世界の民主主義の結集」と表現するG7やNATOのリーダーたちと直接対話をし、「パンデミックからの復興」と「より良い世界の再建」のために各国と連携することを改めて確認。同盟国のバックアップがあることを強調していた。
関係性を「最悪の状態」と認めたプーチン氏は一方で、言葉の端々に両国関係の問題解決のための共同作業をする「準備」ができていると、意欲もうかがわせていた。
会談当日
この会談では通例とは異なることがいくつかあった。1つは、遅刻魔のプーチン大統領が、時間通りに現れたこと。
プーチン氏の各国トップ陣を待たせるのは有名な話で、エリザベス女王を14分、トランプ前大統領を1時間近く、安倍前首相を2時間半、メルケル首相を4時間以上待たせたことも...。
筆者は事前に、プーチン氏がロシアからジュネーブ空港に到着するのは当日の午後12時30分で、日帰りするという情報を掴んでいたのでこの日も遅れるかと思いきや、予定時間に到着したので拍子抜けした。
この「遅刻なし」についてワシントンポストによると、事前に両国で示し合わせていたそうだ。プーチン氏にとって遅刻、つまり相手を待たせる行動は、自分が心理的に優位に立てる戦略の1つ。だが、今回の相手は強国アメリカだ。バイデン氏を会場で待たせるようなことがあってはならぬと、プーチン氏に先に会場入りしてもらうよう交渉がなされていた。
通例とは異なる2つ目は、会談後の記者会見が合同ではなく個別で行われたこと。CNNによると「米大統領5人と会談してきたプーチン氏にとって、合同記者会見で有利になることが多かった」。アメリカ側は今度こそ不利な立場を避けたいと、個別会見を提案したようだ。
これについて、メディアセンターへの道すがらに出会った、英語ニュースサイトのスイス人記者ミッシェルさんはこのように言った。
「バイデンにとっては個別会見は正解だった。あの年で8日間の欧州歴訪はタフだろう。前日エアフォースワン(大統領専用機)から降りる時の表情も疲労が滲み出ていた。一方日帰りのプーチンは気力が有り余っているだろうから合同会見はフェアとは言えない」
バイデン氏がジュネーブに到着した日の夜に筆者が乗ったタクシーの運転手も、運転手間でバイデン氏の気分が優れず病院を探している(いた?)と教えてくれた。信憑性については不明だが、筆者の目にも確かにバイデン氏は疲れているように見えたので心配だった。そして翌日はにこやかに会談に現れたので安心した。
プーチン氏の会見から見える会談内容
ワシントンポストによると、会談の期待値がそもそも低く設定されていたため、双方はいくつかの問題で「やや前進」という嬉しい余韻を残しながら、予定より早く終了したという。当初は5時間以上の可能性もあると見る米メディアもあったが、会談自体は3時間ほどだった。
合意内容は、核軍備管理に関する長期的かつ戦略的な対話の開始、サイバーセキュリティに関する専門家会議の開催、互いの国から追放された大使を再び戻す方針など、すでに多くのメディアで報じられている通りだ。双方が歩み寄った成果として評価すべきだろう。
筆者は会談後、プーチン大統領の通訳を介した記者会見をメディアセンターで聞いた。アメリカが重視したサイバー攻撃問題についての記者からの質問に「ロシアの関与はない」と改めて否定し、「逆に我が国へのサイバー攻撃のほとんどはアメリカからだ」と反論。ナワリヌイ氏や人権について聞かれた際も、アメリカのBLM運動や銃撃事件などを引き合いに出し「それらの人権はどうなのだ?」と批判した。ロシアでの民主化デモの参加者に対する取り締まりについては、1月に起こった議会議事堂襲撃事件の抗議者の逮捕と比較した。(バイデン氏はこれらの比較に首を傾げている)
バイデン大統領がロシアとの関係で望んでいる、「安定した予測可能な関係」について、プーチン大統領はNBCのインタビューで「国際問題において最も重要なこと」と同調していた。実際にはそんな関係をロシアが阻止していると言われていることに対して、プーチン氏は「アメリカも国際社会の基盤を破るように条約や協定から離脱し、予想外のことをしている」と、厳しい表情で返すシーンも見られた。
会談中にバイデン氏からプレッシャーを感じたかと問われ、「それはない。アジェンダを設定する以外は」とプーチン氏。バイデン氏の印象については「政治経験が豊富で建設的な人」と表現し、リラックスしたフランクな会話がなされ「プロダクティブ(生産的)な会合になった」と評価した。
ほかにも、より安全な世界のための自然(気候変動問題)や海洋保護、新型コロナ対策や児童の健康について、議題はさまざまな分野に及んだという。ビジネスの話だけではなく、バイデン氏が母親の話をしてくれたエピソードも語った。
プーチン氏は記者の質問への反論後も「問題解決のために、両国は共同作業をしていかなければならない」「バイデン氏と話をし、合意することは可能だと感じた」と、歩み寄る姿勢を示した。
もしかするとプーチン氏の秀でた話術や交渉術の1つなのかもしれないが、狡猾で荒唐無稽なことを言っているだけの独裁者のようには聞こえなかった。また会談前の両首脳の記念撮影の際、リラックスして少し微笑んで座っているバイデン氏と、彼の表情を何度か一瞥するプーチン氏が印象的だった。
米ロ2国は「対立」「敵対関係」などと表現されることが多いが、会談後に公開されたオフィシャルの写真からは、直接対話で生まれた人間模様も垣間見ることができる。
「安定した予測可能な関係」実現するか?
会談前に双方が伝え合った「生産的な会談を期待」(プーチン氏)や「異論がある時、予測可能で合理的に伝え合う」(バイデン氏)などは、有言実行された。
バイデン氏は個別会見で、会談の目的:(1)両国の利益のため世界のために、何をするべきかをはっきりさせる。(2)直接コミュニケーションをする。合衆国として同盟国の利益を損なうことには責任持った行動をとる。(3)双方が優先することや価値観をはっきりとさせる ── を果たしたことを明言。そして「自分が今やる事はやった。1年以内に、重要な戦略的対話が実際に行われているかどうかわかるだろう」と言い、今後も協力し合える関係になるはずと期待を寄せた。
両首脳がこの日会った際のボディランゲージも興味深かった。まずバイデン氏が先に手を差し出し、それに応える形でプーチン氏が大きく歩み寄り、しっかりと握手を交わした。まるでこの会談自体のアウトラインのような光景だ。
少なくともこの会談により「最悪の事態」は阻止できた。関係改善への第一歩を踏み出したと期待したい。
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■ ジュネーブの状況と人々の会談への反応【取材後記】
最後に。
せっかくジュネーブを訪れたので、現地の新型コロナウイルスの状況と会談に対する人々の反応も紹介する。
スイスは特に昨年の秋以降、コロナ感染が拡大したが、最近はイスラエルとアメリカに続くワクチン接種率の高さで、17日の時点で7日間平均の陽性率は251人と減少傾向にある。
ジュネーブでは店内や公共交通機関では依然マスクを着用せればならないが、屋外では人々の半分以上がマスクを外していた。ちなみに筆者も「うつさない・うつらない」ためにワクチン接種は済ませており、念には念を入れ、新型コロナの検査も出発前、サミット前日、最終日前日と1週間で3回も受け、すべての結果が陰性だと確認。安心して取材活動に集中することができた。
人気の日本食惣菜店で働くスタッフによると「ジュネーブはパンデミックで半年以上も店が閉まり死んだ街になっていたけれど、最近ワクチンの浸透でやっと活気が戻ってきた」と言った。
パレスチナ出身イギリス育ちで、当地に移住して20年以上になるタクシー運転手マンツールさんによると、パンデミックで飲食店などは大打撃を受けたが、「自分たちは働いて税金を納めると政府から手厚い保護として返ってくる」と不満そうな様子は見られなかった。ただ、観光客はまだ街に戻って来ておらず、早期の観光業復活に期待を寄せた。
世界的に重要なサミットを経済の大打撃を受けた都市で開催するのは、街の復興への重要なトリガーになる一方、会場周辺はテロを警戒し、最高レベルのセキュリティ態勢となった。ステイホームが呼びかけられ、車両やバスの侵入や一般の人々の通行は禁止され、迂回を強いられるなど混乱も見られた。メディアバッジを取得していた筆者でさえ、会談当日、メディアセンターに行くのに相当遠回りをさせられた。
「街の人は、市民生活に支障を来すのは容認できないという気持ちでいる」と話すのは、メディアルームに設置された新型コロナの検査会場で出会った、ドイツ語メディアで働くスイス人記者アナさん。
「空港に近い場所で開催すればいいのに、なぜこんな市内の中心にある会場を選んだのか、まったく理解不能。テロでも起こったらどうなるかと人々は心配していた」とやや強い口調で訴えた。
ただし、他都市もサミットを誘致していた中でジュネーブが選ばれたのは市民として名誉なことだと認め、「不満がありながらも、人々は『受け入れる』という気持ちでこの日を迎えた。ホスト国の私たちにとっても、大切なサミットになったことには変わりない」。
以前ニューヨークの政府機関で働いていたというバーバラさんは、散歩がてらサミット会場となった18世紀のヴィラ「Villa La Grange」を携帯電話で撮影していた。「誘致に成功しこの街に2人のリーダーを迎えることを、市民は誇りに思っている」。
一方でバーバラさんはこのようにも言う。
「ここは本来レマン湖畔に面した市民の憩いの場、グランジュ公園なの。中には素敵なレストランや花園、アクティビティもある。それなのにゲートを閉め、鉄線の柵で市民を外側に追いやった。私たちの人権や自由はどうなる?自国の国益ばかりで何が人権に関する協議よ。世界のリーダーが集まった時、本来なら市民の自由や人権こそ、話すべきではないか」
再開発で整った湖畔の説明もしてもらいながら、しばらく一緒に暮れゆく夕焼け空を眺めた。そして別れ際、笑顔でこのように言ってくれた。「ジュネーブは本来、鉄柵もゲートもない開かれた、自然豊かで美しい街。公園内や湖畔にある噴水の近くを自由に散策して街を存分に楽しんでほしい。また次回ゆっくりいらっしゃい」。
(Text and some photos by Kasumi Abe)無断転載禁止