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転用されるも放置状態だった駅舎 廃止から18年で解体 のと鉄道能登線 松波駅(石川県鳳珠郡能登町)

清水要鉄道・旅行ライター

平成17(2005)年4月1日に廃止されたのと鉄道能登線は、今年で廃止から18年が経つが、駅設備の撤去はあまり進んでおらず、今なお多くの駅が廃止当時の姿を留めたまま残されている。起点の穴水から20駅目の松波(まつなみ)駅もそんな駅の一つだったが、今年の10月20日から駅舎の解体工事が始まり、ついに姿を消すことになった。

駅舎
駅舎

松波駅は昭和38(1963)年10月1日、宇出津(うしつ)から延伸してきた国鉄能登線の終点として開業。翌39(1964)年9月21日の蛸島延伸で中間駅となっている。昭和63(1988)年3月25日に第三セクター・のと鉄道に転換されたが、平成17(2005)年4月1日の路線廃止に伴い、廃止となった。駅があったのは旧:珠洲郡内浦町の中心・松波市街の外れで、旧内浦町の玄関口として急行も停車していた。内浦町は昭和33(1958)年12月1日に改称するまで珠洲郡松波町を名乗っていた。

駅舎
駅舎

駅舎は駅前より一段高い階段の上にあり、平成19(2007)年11月に改装されて「松波城址情報館」に転用されていた。ただし、近年は放置状態で、見学もできなかったようである。今年で築60年の節目を迎えるが、10月20日から来年3月15日までの工期で解体工事中だ。

駅舎内
駅舎内

入口から中を覗いてみると、松波城関連資料が展示されているのが見えたが、ここ数年の閉館状態を表すかのように床には埃が溜まっていた。駅裏手にある松波城は室町時代の文明6(1475)年に能登畠山氏三代目・畠山義統の三男、畠山義智によって築城されたと伝わる城で、約百年間、松波畠山氏六代の奥能登支配の拠点だった。天正5(1577)年、上杉謙信の家臣・長沢光国に攻められて六代城主・松波(畠山)義親が自害して落城した。上写真に見える肖像画は最後の城主・松波義親のものだ。

駅構内
駅構内

駅構内も線路や信号設備が撤去された以外はそのままで、草に埋もれるがままという廃駅らしい情景を見せていた。駅舎以外のホームなども合わせて撤去されるのかどうかは不明だ。

駅舎(ホーム側)
駅舎(ホーム側)

正面は情報館への転用に合わせて改装されていた駅舎だが、ホーム側は原型を留めていた。どこからか種が飛んできたのか屋根の上にも草が生えており、このまま放置されれば自然に還ってしまいそうな雰囲気だった。

ホーム
ホーム

ホームは島式1面2線。ホーム上にはのと鉄道転換後に設置された待合室があったが、こちらも荒れて廃墟のようだ。元々あまり丈夫な造りではなかったのか壁も剥がれてしまっていた。

ホーム上屋
ホーム上屋

ホーム上には急行停車駅らしく立派な上屋もあった。旧2番線跡は雑草と竹藪の侵食でほとんど自然に還ってしまっている。これらの設備がどうなるのかは不明だが、廃止から18年もの間放置されてきたのと鉄道能登線の廃駅もこれから撤去が進んでいくことになるのかもしれない。

鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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