「死ぬ前1か月の医療費さえ削ればよい」落合陽一氏×古市憲寿氏対談で見えた終末期医療の議論の難しさ
1月2日に公開された、落合陽一氏と古市憲寿氏の対談が話題になっています。
落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語る #2 「テクノロジーは医療問題を解決できるか」
特に専門家を中心に議論を呼んでいるのが、下記の古市憲寿氏による発言です。
古市氏が「財務省の友だちと細かく検討した」結果、指摘している内容をまとめると下記2点のようです。
1)社会保障費(特に医療費)は、終末期医療、特に死の1か月前に多くかかっている
2)「最期の1か月の延命治療」をやめれば、社会保障費減額への効果が大きい
ただし少なくともこの記事からは、上記の指摘にどのような裏付けがあるのかはわかりません。
そこで、実際のレセプト(医療サービスにおける請求書のようなもの)データをもとに終末期医療のコストについて検討した2015年の研究(※1・詳細は末尾を参照)を見てみました。
「死ぬ1か月以内の医療費は確かに増える」が、その影響は限定的
まず、実際に亡くなった方が、その前の1年間でどのくらい医療費がかかっていたかを月別にまとめたグラフです。
グラフを見ると、確かに死亡前の3か月くらいから医療費が大幅に増えており、そして最も増えるのは死の1か月前だということがわかります。
では、ここさえ減額できれば、医療費を大幅に減らすことが可能なのでしょうか?
次のグラフは、1年間にかかった高齢者全体の医療費のうち、終末期医療(期間内に死亡した人※2)にかかった割合を示したものです。
全体の医療費のうち、終末期医療(死亡した人)にかかった費用は1割程度にすぎません。そのほかの9割は、生存した(終末期医療ではない)人にかけられています。
非常に乱暴な仮定ですが、仮にあと「1年で死ぬ」と予測された高齢者は完全に医療サービスを利用できなくしたとして、それで削減できる医療費は1割前後にすぎないということです。さらに死亡前の「1か月」に限定すれば、全体の3%程度にすぎません。
というわけで、「死亡前の1か月に限定して医療サービスを減らせば、医療費を大幅に削減できる」という指摘に関しては、データの面からはそこまで影響は大きくなさそうと言えそうです。
その延命治療はムダなのか 判断する難しさ
また、さらに難しい問題があります。
さきほど、死亡1-3か月前に医療費が大幅に増える、というグラフをお見せしました。「全体から見れば大したことがなくても、この増えちゃう部分だけでも減らせれば、意義があるんじゃないの?」とも思えてきますよね。
しかし、死亡した人の中には、いろいろなケースがあります。
「医療的にはそれほどすることもないけど、ずーっと病院に入院していて、そのまま体力が落ちて亡くなった」というケースもあれば、「それまで元気だったのに急に脳卒中で意識不明となり、救命できるかもしれないので入院して手を尽くしたけど、残念ながら亡くなってしまった」ケースもあるでしょう。
前者のケースについては、人によってそれを「ムダ」と考える視点があるのかもしれません。しかし後者のケースに関して、救えるかもしれない命を「どうせ死ぬかもしれないから助けない」という選択をとることはできないと感じます。
今回ご紹介した研究では、こうしたケースごとの違いを意識した分析を行っています。それが下記のグラフです。
少しわかりにくいですが、aとして示されているのが「死ぬまでの1年間、全く入院しなかった」ケースです。bは「死亡する1か月もしくは2か月前から入院した」ケースです。そしてcが「死亡する前の1年間、ずっと入院していた」ケースです。
一目でわかる通り、死亡前の数か月間で急激に医療費が増えているのはb、すなわち「死の1-2か月前から入院した」ケースです。
bの典型的なケースを推測すれば、「何かの病気を抱えながらも自宅で過ごしていたけれど、急に脳卒中などになって入院し、手を尽くした(それによって高い医療費がかかった)けれど残念ながら亡くなってしまった」というものです。
この医療費をムダと言い切ってしまってよいのか?少なくとも、こうしたケース全員に「手を尽くさない」選択をした場合に、亡くなる人がどのくらい増えてしまうのか、それは社会として許容できるかなど丁寧な議論をしなければ、結論を出すのは難しいでしょう。
なお、冒頭の古市氏の発言にある「胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり」という人は、おそらくですがcのカテゴリー(長期入院者)を想定していると思われます。
cのグラフを見ると、確かに年間を通じて医療費がかかっているものの、死亡の1か月前の伸びはbと比較して、かなりゆるやかです。
なので、今回のデータをもとに考察した場合、「死の1か月前」だけを問題にしても根本的な対策にはつながらないと感じます。
どのような医療を選び取っていくか?適切に議論する大切さ
終末期医療にかかるコストについて、検討するうえで基礎的な判断材料となりうることについてご紹介してみました。
いま、日本の医療費は年間で40兆円を超え、持続可能性が危ぶまれています。冒頭の記事の落合氏の言葉にもあるように、「考えないと。背に腹はかえられない」状況であることは間違いありません。
ですので、日本を代表する若き論客たちが活発に議論を行うことそのものは素晴らしいことだと思います。
ただ記事を読んでいてどうしても気になったのは、「安楽死」という問題を、「コスト」と関連付けて語る意識が見え隠れすることです。
この方向で議論を進めていく先にあるのは「生死の選別」です。最終的には「生産性のない人間は、社会から排除されたほうが良い」という意見がでてくることさえも考えられます。
筆者は、安楽死に関しては、医療費などのコストとは完全に切り離して「病などを抱えた人が、自身の人生をより満足して完結させるための選択肢のひとつ」として議論すべきだと考えています。(この点については、様々な意見があるでしょう)
なお、いま増え続ける医療費の最大の要因は、「高齢化」ではなく、新薬など高度化した医療をまかなうコストだということが判明しています。
残念ながら、「ある世代」や「ある状況の人」を狙い撃ちにすれば問題はすっかり解決、という簡単な問題ではありません。
社会全体の幸福感を維持しつつ、いかに「身の丈にあった」医療システムを構築していくか。
必要なのは、「日本社会全体として、求める標準的な医療のレベルをどこに位置づけるか」という地味で面倒な議論を繰り返すことです。
今回の論客たちの指摘もひとつのきっかけとして、私たちひとりひとりが考え議論を深めていくことこそが求められています。
筆者:市川衛 監修:五十嵐中(東京大学准教授(医薬政策学))
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※1(文献1)
レセプトデータによる終末期医療費の削減可能性に関する統計的考察
鈴木亘 『学習院大学 経済論集』第52巻 第1号(2015年4月)
▼富山県における65歳以上の国民健康保険加入者の1998年4月から2003年3月の5年接続レセプトデータを用いて、終末期医療費の現状を確認した研究
※2
医療経済の分野では「終末期医療」と言った場合、死ぬ前の1年間にかかった医療費を検討することが多いようです。今記事でもそれに合わせ、断りなく「終末期医療費」という言葉を使っている場合、「死亡の前の1年間の医療費」を示しています。
【参考とした文献】
「麻生発言」で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?
二木立『日本医事新報』「深層を読む・真相を解く(21)」2013年3月9日号(4637号):30-31頁