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知床観光船海難事故について現時点で分かっていること

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
(写真:イメージマート)

 船舶事故。話はよく聞くが実体験からかけ離れているため、憶測や個人的な感想が渦巻くのがこういった類の事故の特徴です。現時点で水難学として説明できる、つまり分かっていることにフォーカスして事故を解きます。

時間軸について

(断りがないものは真相報道バンキシャ! 4月24日より)

4月23日

 午前10時 ウトロ港を出港

 午後1時13分 「沈みかけている」と運行会社に無線連絡

 午後1時18分 「船首が浸水している」「エンジンが使えない」とカシュニの滝付近から救助要請

 午後2時頃 「船体が30度傾いている」その後消息を絶つ

 午後4時半頃 海上保安庁航空機などが続々と現場到着(北海道放送)

4月24日

 午前5時5分 北海道警察の航空機が「知床岬」先端で3人を発見(北海道放送)

 昼過ぎ  救命用の浮輪と浮器が発見された(毎日新聞)

 夕方   海上保安庁、事実上「沈没した」との見方(TBS)

水温

 図1は知床岬の東における海面の水温を示します。

図1 知床岬の東における海面の水温分布(気象庁データをもとに筆者作成)
図1 知床岬の東における海面の水温分布(気象庁データをもとに筆者作成)

 4月23日の水温は2.44度でした。同じグラフにある5年平均値は約1度ですから、平年よりはわずかに暖かい程度の低温です。平年値は8月終わりに最高値を付けますが、それでも17度です。

 2度から3度の冷水の中で、人の推定生存時間は普段着で1時間弱、防寒着を着ていても1時間強です。救命胴衣の着用は保温には何ら寄与しないので、着用によって生存時間が延びることはありません。

 水温の上昇とともに推定生存時間は延びます。水温が17度を超えていくと救助が来るまでの間、生存することが可能だと言えます。知床岬の東の海上ではそのような水温の出現はほんの数日間に限られるでしょう。

救助隊の所要時間

 第一管区海上保安本部千歳航空基地から双発プロペラ飛行機、釧路航空基地から回転翼航空機が出動しました。

 海上保安庁が保有する機体でプロペラ飛行機(DHC-8-315)は最高速力約440 km/h、回転翼航空機(S-76)は最高速力約270 km/hです。千歳航空基地から現場までは直線距離で約300 km、同釧路航空基地からは約150 km。数字だけで言えば、それぞれ1時間以内に現場に到着できることになります。

 ところが、海上保安庁に救助要請がかかった午後1時過ぎに航空機が他の業務に入っていれば一度航空基地に戻り、給油をしてから現場に向かうことになります。なぜなら、海難救助活動においては「現場にて空中にとどまる」という特殊な燃料の使い方をしなければならないからです。S-76を例にとれば現場まで向かう時間と現場で救助する時間を合わせた活動時間はせいぜい2時間です。往復に2時間かかれば、実は救助活動がほとんどできないことになります。

 結果として、午後4時半頃つまり日没時刻である午後6:14頃の前には現場、すなわち消息を絶ったとされる知床半島のカシュニの滝付近に到着し捜索活動に入ることができました。限られた活動時間の中で、漂流該船あるいはその船尾か船首の一部が海面上に出ていることを期待したと思います。透明度が高い海域なので、上空からの視認が十分できるはずでした。短時間のうちに現場を特定し、救助活動を集中させるとの戦略だったと思慮されます。しかしながら、現場では船体はおろか浮遊物すら発見することができず、23日は日没を迎えることになりました。

該船の状況

「船首が浸水している」「エンジンが使えない」「船体が30度傾いている」の3つの状況から、自力航行は不能な状態だったことになります。船首の浸水があるということで、船体が30度傾くのは船首が沈み船尾が海面にあって躓くような恰好で30度傾くか、あるいは左右のどちらかに30度傾くかのどちらかであったと考えられます。

図2 船首が沈み30度傾いた船体のイメージ(筆者作成)
図2 船首が沈み30度傾いた船体のイメージ(筆者作成)

 図2は仮に船首が沈んだ場合の船体の位置関係を示した空想図です。30度という数字だけで、「様々な状況が厳しい」というメッセージが伝わります。まず船体のほぼ半分が水に浸かります。そして客室の浸水が始まっていること、船室外に避難するにしても船尾側の出口に向かって客室内を「上る」必要があること、完全沈水まで時間がないこと。最終的なSOSだと言わざるを得ません。

 船首に浸水する原因としては、船体に穴が開いたことが最も考えられます。船体を構成する素材つまりFRP(繊維強化プラスチック)の特性として、傷の進展を抑えることができる、ある程度の衝撃は変形しながら力を吸収することができると期待されます。しかしながら、突然の衝撃、つまり岩礁にぶつかる、漂流物にぶつかる、大型海中生物にぶつかるなどには弱い素材で、この衝撃によってFRPの船体に穴が開くことは十分あり得ます。

要救助者の発見

 結局、事故翌日の24日朝5時過ぎ、日の出の時刻午前4:26頃を迎えてから要救助者の発見に至りました。さらに救命浮環(浮き輪)や救命浮器が半島に漂着している様子が発見されました。発見現場は知床半島のカシュニの滝付近から半島に沿って北東の方向14 kmほど進んでいました。

 図3は当日4月23日午前11時頃の知床半島付近の海流の様子を示します。

図3 知床半島付近の日別海流(気象庁のデータを筆者が一部抜粋)
図3 知床半島付近の日別海流(気象庁のデータを筆者が一部抜粋)

 この図から知床半島の現場付近では半島に沿って東から北東の方向に矢印が並んでいることがわかります。この方向に向かう海流がありました。薄い青はその速さがおよそ時速1 kmであることを示しています。つまり、船体や浮遊物は海流に乗って半島に沿って知床岬の方向に向かって移動すると考えられます。

 23日午後1時頃にエンジンが停止し、漂流が始まったとすれば、ご遺体が発見された時刻の24日午前5時頃まで、およそ16時間経っていることになります。知床岬付近、つまりカシュニの滝付近から14 kmほど離れているのであれば、時速1 kmの海流で流されたとする計算結果(16 km)とほぼ合うことになります。

 同じように救命浮環や救命浮器が陸に漂着しています。こういった救命器材は船体の沈没とともに海上に浮きあがるようになっています。海面にいる人々の浮力を助けるためです。逆に言えば、こういった浮遊物の発見は該船の沈没を意味することになります。そのため、海上保安庁は24日の日没をもって「事実上沈没した」という苦渋の見方を示すことになりました。

船体捜索へ重点が移る

 まだ発見されていない方々は、沈没したとみられる該船の船室に閉じ込められている可能性があります。船体を発見し、海面に引き上げる活動が急がれるわけです。

 ところが現場付近の海底地形が捜索をより難しいものにしています。図4をご覧ください。現場付近の海図です。何か同心円状の地形に気づくでしょうか。(図4は都合により5月2日に削除しました)

 同心円状の地形は、すり鉢状に周辺より深くなっている箇所です。知床半島の沿岸では水深30 m程度までは緩やかな傾斜になっています。この傾斜のどこかに船が沈んでいれば上空からの目視捜索でその痕跡がわかる可能性があります。ところが、現場付近の海底構造は複雑でその沖のすり鉢状の海底では深さが急激に100 m以上落ち込んでいます。船体の捜索は浅い所から徐々に深い所に移動して行うものですが、こういった複雑な海底地形は捜索の方法をより難しくします。

さいごに

 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、行方不明の方々が一刻も早く救助されることを心から願っています。

 さまざまな事故原因の憶測が流れています。この事故を一言で語るとすれば、「低い海水温」だと考えます。同様の形態の事故は2020年11月19日に香川県坂出市の与島沖の瀬戸内海で発生しています。当日の海水温はほぼ20度でした。海中に飛び込んだ子供たちは救助に来た船に引き上げられるまで命をつなぐことができました。

 これまでしっかりと議論されてこなかった「低い水温」における水のレジャーの危険性については、今後どこかのタイミングでしっかり議論されるべきと考えます。

参考 知床観光船の船体捜索に使われるソナーとは

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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