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薬剤耐性「トコジラミ(南京虫)」が観光業の脅威に

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:アフロ)

 衛生環境や住環境が良くなり、ほとんど絶滅したかと考えられていたトコジラミ(Cimex lectularius、Cimex hemipterus、Bed Bug、南京虫)がここ20年で大復活を遂げ、世界の公衆衛生の問題になりつつある。国境を越えた移動が増え、薬剤耐性をつけた結果と考えられるが、海外からの観光客が激増している日本も人ごとではない。

シラミともダニとも違う

 シラミといえば、まずケジラミやアタマジラミだ。アタマジラミは最近、日本の子どもに流行していることが問題となっている。だが、今回は南京虫、つまりトコジラミについて述べる。

 トコジラミはシラミ(シラミ亜目、ヒトに寄生するのはケジラミ、アタマジラミ、コロモジラミ)の仲間ではなく、セミやアメンボなどと同じカメムシ(半翅)目に属する昆虫だ。また、クモの仲間のダニ類(Acari)やノミ(Pulex irritans)とも違う種類で、トコジラミはカメムシのように刺激を与えると尾部からごくわずかだが異臭を放つ。

 もともと洞窟に生息するコウモリに寄生していた仲間が、ヒトが洞穴に住むようになってから宿主を変えたと考えられている(※1)。

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幼虫からサナギにならず成虫になる不完全変態のトコジラミの生活環と成虫。Via:Olivia Lai, et al., "Bed bugs and possible transmission of human pathogens: a systematic review." Archives of Dermatological Research, 2016

 以来、ヒトとトコジラミとの関係は長く続く。20世紀初頭には英国の家庭のほとんどすべてで南京虫がいることが確認されたほどで、これはトコジラミの幼虫(幼生、Nymph)の生存を可能にする冬季の暖房がこの頃に広く普及したためだ。

 かつては日本におけるトコジラミの被害も多く報告され、特に第二次世界大戦直後の衛生状態が悪い時代に蔓延した。だが、DDT(dichlorodiphenyltrichloroethane、現在は環境汚染物質や発がん性物質として禁止)の使用により、一時期ほぼ姿が確認されなくなる。

復活するトコジラミ

 ところが、21世紀に入る前後から日本では再度、被害が報告されるようになり、先進国を含む海外からもトコジラミによる被害情報を耳にするようになった。これは国境を越えるような移動や世界規模の貿易が頻繁になるとともに、DDTでほぼ撲滅されたトコジラミに対する知識の欠如、そして重要なのは薬剤耐性をもった種類が広がったせいと考えられている(※2)。

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トコジラミに関する研究論文の数の推移。21世紀に入る頃から増えていることがわかる。Via:Pascal Delaunay, et al., "Bedbugs and Infectious Diseases." Clinical Infectious Diseases, 2011

 トコジラミの習性は夜行性で暗くなると出てきて、呼吸で生じる二酸化炭素や体臭などを感知して吸血できる生物(ヒト、イヌ、ネコ、ネズミなど)に近づき、口吻を皮膚に差し込んで吸血する。刺されてもあまり痛みを感じないが、唾液に含まれる物質がアレルギー反応を引き起こして強い痒みを生じさせる。

 唾液に対するアレルギー反応が出るのは何度か刺された後で、痒みも数時間から2、3日後になる。そのため、痒みの正体がわからず対処が遅れることも多い。

 トコジラミによる刺し口(噛み跡)は1つから数カ所だ。口吻が長いために衣服の上からも吸血できるが、ほとんどは肌の露出した部分に何カ所も刺し跡が残ることもある。また、ダニ類、シラミ類との刺し口の違いは明確ではなく、医療機関で診断されても原因不明の虫刺されとされることも少なくない(※3)。

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トコジラミの刺し跡。2カ所というのは俗説で1〜数カ所、ないしはもっと広範囲に及ぶことがある。Via:Pascal Delaunay, et al., "Bedbugs and Infectious Diseases." Clinical Infectious Diseases, 2011

 トコジラミは45種類以上の病原体を持つことが知られているが、危険な人獣共通感染症などを媒介するという報告はまだない。だが、喘息やアレルギー反応によるアナフィラキシー(蕁麻疹)などの重篤化の報告がある(※4)。

 アタマジラミなどに比べて日本ではまだ大きな問題になっていないが、米国やEU諸国など世界各地でトコジラミの蔓延による観光業への影響が出始め、公衆衛生的な観点も含め、ここ10年ほどで宿泊施設や飲食店、小売業などトコジラミの駆除費用や休業、顧客からの訴訟問題など、経済的な被害が無視できないものになっているようだ(※5)。

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赤と緑の円でトコジラミ(Cimex lectularius、Cimex hemipterus)による被害報告を示した地図。南北の回帰線(Tropic of Cancer、Tropic of Capricorn)で種類が異なる。Via:Melissa M. Silva-Medina, et al., "Bedbugs, Cimex spp.: Their current world resurgence and healthcare impact." Asian Pacific Journal of Tropical Disease, 2015

難しい駆除

 トコジラミの完全な駆除はなかなか難しい。そもそもトコジラミによる被害なのかどうか判別ができないこともあるが、トコジラミの成虫は環境変化や飢餓に強く、最近、薬剤耐性を持つ種類が出てきているためだ。

 害虫駆除業者に依頼するのが確実だが、薬剤散布のほか、薬剤被害軽減のため、温度変化に対する脆弱性を利用し、室温を上げるなどして部屋全体を熱する方法が採られることも多い(※6)。旅行先では最後に洗濯物を熱処理し、旅行カバンは床やベッドの上に置かず、トコジラミを持ち運ばないようにすべきだ(※7)。

 ただ最近、駆除のための熱処理をしたケースで、高血圧性心疾患で亡くなった女性が出たという症例報告があり、空調を戻すなど熱を完全に除去することが重要のようだ(※8)。いずれにせよ、米国の観光地などではトコジラミによる被害が広がっている。海外からの日本への渡航者も増えている状況で警戒する必要があるだろう。

※1:Sandor Hornok, et al., "Phylogenetic analyses of bat-associated bugs (Hemiptera: Cimicidae: Cimicinae and Cacodminae) indicate two new species close to Cimex lectularius." BMC, Parasites & Vectors, doi.org/10.1186/s13071-017-2376-1, 2017

※2:Alvaro Romero, et al., "Insecticide Resistance in the Bed Bug: A Factor in the Pest's Sudden Resurgence?." Journal of Medical Entomology, Vol.44, Issue2, 175-178, 2007

※3:Jerome Goddard, et al., "Bed Bugs (Cimex lectularius) and Clinical Consequences of Their Bites." JAMA, Vol.301(13), 1358-1366, 2009

※4-1:Pascal Delaunay, et al., "Bedbugs and Infectious Diseases." Clinical Infectious Diseases, Vol.52, Issue2, 200-210, 2011

※4-2:Olivia Lai, et al., "Bed bugs and possible transmission of human pathogens: a systematic review." Archives of Dermatological Research, Vol.308, Issue8, 531-538, 2016

※5-1:Changlu Wang, et al., "Characteristics of Cimex lectularius (Hemiptera: Cimicidae), Infestation and Dispersal in a High-Rise Apartment Building." Journal of Economic Entomology, Vol.103, Issue1, 172-177, 2010

※5-2:Melissa M. Silva-Medina, et al., "Bedbugs, Cimex spp.: Their current world resurgence and healthcare impact." Asian Pacific Journal of Tropical Disease, Doi: 10.1016/S2222-1808(14)60795-7, 2015

※6-1:Roberto M. Pereira, et al., "Lethal Effects of Heat and Use of Localized Heat Treatment for Control of Bed Bug Infestations." Journal of Economic Entomology, Vol.102(3), 1182-1188, 2009

※6-2:Bjorn Arne Rukke, et al., "Temperature stress deteriorates bed bug (Cimex lectularius) populations through decreased survival, fecundity and offspring success." PLOS ONE, doi.org/10.1371/journal.pone.0193788, 2018

※7:William T. Hentley, et al., "Bed bug aggregation on dirty laundry: a mechanism for passive dispersal." Scientific Reports, Doi:10.1038/s41598-017-11850-5, 2017

※8:Michelle R. Sanford, et al., "Unexpected Human Fatality Associated with Bed Bug (Hemiptera: Cimicidae) Heat Treatment." Jouranl of Rorensic Sciences, doi: 10.1111/1556-4029.13883, 2018

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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