【深掘り「鎌倉殿の13人」】公暁は「くぎょう」と読むのか。それとも「こうぎょう」なのか
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、公暁の存在が注目される。公暁は「くぎょう」と読むのか、「こうぎょう」と読むのか、詳しく掘り下げてみよう。
■難しい人名の読み方
歴史上の人名の読み方は、実に難しい。黒田官兵衛の妻の名は「光」というが、読み方は「みつ」なのか「てる」なのか、にわかに判断し難い。
難解な人名の場合、同時代の史料(一次史料)に読み方が書いていればいいのだが、そうでない場合は苦労する。私自身も本を書いたときに、どうしても読み方に自信が持てない人物がいたのも事実である。
実は、公暁の場合は、かつて「くぎょう」と読まれていたが、今では「こうぎょう」(または「こうきょう」)と読むのが正しいのではないかと指摘されている。その理由を先学の研究により考えてみよう。
■「くぎょう」か「こうぎょう」か?
そもそも公暁の名は、江戸時代から「くぎょう」と読まれていた。その根拠は、寛永版の『吾妻鏡』に公暁に振られた「クゲウ(くぎょう)」という読みだろう。
明治時代に刊行された、八代国治(『吾妻鏡の研究』の著者)らの編による『国史大辞典』(吉川弘文館、1908)には、「クゲウ(くぎょう)」で立項されていた。以降、何の疑問もなく、「くぎょう」と読まれていたのである。
一方、『承久記』(尊経閣文庫所蔵。16世紀半ばに成立)には「こうせう」、『承久軍物語』(鎌倉時代成立)には「こうきょう」、『承久兵物語』(18世紀後半成立)には「こうきょう」とふりがなが振られていた。疑問は深まるばかりである。
ところで、公暁の師・公胤は「こういん」、公胤の師・公顕は「こうけん」と読む。近年、公暁を「くぎょう」と読むのは違和感があり、「こうきょう」または「こうぎょう」と読むのが自然であると指摘されたのである(舘隆志「公暁の法名について」『印度學佛教學研究』61-1、2017など)。
■まとめ
現時点では、公暁を「くぎょう」と読むのは厳しく、「こうきょう」または「こうぎょう」と読むほうがいいようだ。それゆえ、大河ドラマでも「こうぎょう」を採用したのだろう。