眞子さまのご結婚に足りないものは… 上皇ご夫妻のキューピッド役が語るキーポイント
■皇室の結婚とは
恋をして、その思いを実らせて結婚する―。恋愛結婚が当たり前となるきっかけを作ったと言われるのが、今から62年前、“テニスコートの恋”と呼ばれた上皇さまと美智子さまのご結婚だった。
上皇ご夫妻が結婚されたのが昭和34年。あの時代の皇室の結婚と、そして今、世間を賑わせている眞子さまのご結婚をめぐる事情と何が大きく違っているのだろうか?
上皇さまと美智子さまの間で、電話連絡の役目を担い結婚までの日々をずっと見守ってきた、いわばキューピッド役の織田和雄さんにお話を伺った。
「当時は皇室の男性が民間の女性と結婚するという前例がなかったですから、上皇ご夫妻のご結婚には大きなハードルがありました。上皇さまは軽井沢のテニスコートで初めて会って以来、美智子さまに強く惹かれましたが、皇太子妃として相応しい女性なのか冷静に判断された上で、ぜひお妃に…というお気持ちを固められたのだと思います」
織田さんは上皇さまの学習院の後輩にあたり、幼い頃からテニスの相手を務めてきた親しい友人でもあった。そんな織田さんは、上皇さまが皇太子時代、美智子さまと出会われた時から、お二人が親しくなっていく様子に接してきた。
当初はごく親しい友人たちとのグループ交際であったが、やがてマスコミの「お妃報道」が過熱する中、美智子さまの存在が発覚し、ご実家である正田家の周囲には連日記者が張りこむようになった。
上皇さまの意志として、はっきりとご結婚の希望を抱いていたことから、宮内庁も正田家へ内々に打診。ところが正田家は畏れ多いことだとお断りし、お二人のご結婚は破談の危機に追い込まれることになった。
■上皇さまと美智子さまのご結婚を後押しした存在
しかし、それを乗り越えるキーポイントになったものがあると、織田さんは話す。
「上皇さまの周りには、同じ学び舎で勉強し、ともに励まし合ってきたご学友の方々がいました。彼等が『こうなったら今こそ電話アタックしかない』と、上皇さまの背中を押したのです」
そこで美智子さまへの「電話の取り次ぎ係」を頼まれたのが、後輩の織田さんだった。なにしろ、ゆくゆくは天皇となられる皇太子殿下だけに、直接女性に電話をすることは、立場上、難しかった。織田さんの役割は、上皇さまから連絡を受けると、すぐに美智子さまへ電話をかけ、「今、殿下が電話の前にいらっしゃいますから、お電話してください」と合図を伝えることだった。
上皇さまと美智子さまのご結婚は、身近で応援してくれる、ご友人が果たした役割が大きかった。
■眞子さまのご結婚に足りないものは…
眞子さまのご結婚をめぐる騒動を見ていて、織田さんは次のように感じている。
「上皇さまも美智子さまも、ご結婚を後押ししてくれる素晴らしいお友達が身近にいらっしゃいました。上皇ご夫妻の時と時代は変わったかもしれませんが、眞子さまのご結婚においては、そういった存在がいないように思います」
と、上皇さまと美智子さまのご結婚を、裏方として応援してきた織田さんは語る。
確かに、眞子さまと小室圭さんの結婚を成就させようと、応援してくれる友人たちの存在が、今のところ見えてこない。国際基督教大学の同級生でもあったお二人に、協力しようという同級生や仲間はいないのだろうか。
損得抜きの友情で繋がったお友達の存在がいかに大切であるかを教えてくれた織田さんは、結婚をテニスになぞらえてこう語った。
「上皇さまと美智子さまがテニスでダブルスを組むと、お互いに声を掛け合ってどんな球も拾い、息もぴったりでいらっしゃいます。眞子さまと小室さんが結婚するなら、外から強い打球が飛んでこようと、心をひとつにして上手に打ち返さないといけません。その力量が問われているのでしょうね」
もし身近な人たちの中に、世論の逆風を意識し、お二人の味方になることで批判されることを気にしている人がいるならば、それは友情が通い合った関係とは言えないだろう。本当の友人ならば、皆で連絡をとりあって、お二人の窮地をなんとか助けたいと思うのではないだろうか。
そんな友人や仲間たちがいればではあるが……。