いじめられた原因をこれからは武器に。初勝利を挙げた騎手のこれまでとこれから
米国で生まれNZで育つ
4月2日の中山競馬場。最終レースでJRA初勝利を挙げたのが西塚洸二騎手。18歳になってまだ1ケ月と経っていない青年は、そのお立ち台の第一声で言った。
「Thank you very much!!!」
帰路につかずにウィナーズサークルの前に残っていたファンからは、突然の英語の挨拶に笑い声が上がった。
しかし、西塚は決して笑わせるつもりで発したのではなかった。今では「得意」と胸を張れる英語は、かつて悲しい過去の大きな要因になっていた。
“コニー”の愛称で呼ばれる彼が生まれたのは2004年3月。場所はアメリカのラスベガス。その後、引っ越した先のニュージーランドは北島のオークランドで、父・建二が乗馬クラブを経営した。
「兄と妹の3人きょうだい。母の恵と両親共に日本人ですけど、きょうだいが皆、ニュージーランド育ちだった事もあり、家庭でも英語で生活していました」
学校へ行けば当然、英語。日本人コニーの生活に日本語が食い込む余地はなく、代わりというわけではないが、競馬に触れる機会には恵まれた。
「父のクラブでしょっちゅう馬に乗っていました。競馬にも興味を持ち、現地のGⅠも見に行きました」
日本に来るのは両親の里帰りの時くらい。そんな西塚の生活が180度変わったのが小学5年生の時だった。オークランドで5年過ごした後、カウェラウで更に5年間。10歳までを南半球で暮らした後、一家で帰国する事になったのだ。
いじめられた時に助けてくれたのは?
「伯父が軽井沢で乗馬クラブを経営していて、父がそこで働く事になり帰国しました。その後、父は御殿場に乗馬クラブを開場し、家族でそちらに越しました」
そんな西塚少年に思わぬ試練が待っていた。
「日本語が全く喋れなかったので、学校で周囲に全然馴染めませんでした」
同級生から話しかけられたが何を言われているのか分からず「What’s?」と聞き返すと、次の瞬間、膝蹴りが飛んで来た。
「会話が成り立たないのでそんな事は日常茶飯事。いじめられました。友達が出来ないから給食もいつも独りぼっちで食べていました」
そんな時、助けてくれる存在がいた。
「父の乗馬クラブで毎日、馬に乗りました。週末は勿論、平日の学校へ行く前や学校から帰って来た後にも乗りました。いじめられて辛い思いをしても、馬に乗れば楽しくて嫌な事を忘れられました。見ているだけでも可愛いし、癒される。馬に助けられました」
「騎手になりたい」
小学6年の時には中京競馬場で行われたジョッキーベイビーズに参加。芝コースを走る馬の上で風を感じると、思った。
「騎手になりたい」
幼少時はサッカーや体操、水泳もやったがどれも長続きはしなかった。そんな中、乗馬だけはやめようと思わなかった。苦しい時に助けてくれた馬の上が職場になれば、どんなに良いかと思い、真剣に騎手を目指すようになった。
日本語は日に日に上達し、自分の目標に向かって邁進する姿勢に、周囲の態度も徐々に変わってきた。中学ではいじめはなくなり、同級生との会話も成立するようになった。
「ただ、その頃の生活は友達とどうこうというより、馬が中心でした。大会にも出場して好成績を収められるようにもなっていました」
そんなある日、乗馬大会の会場で1人の男を紹介してもらった。
「よく一緒の試合に出るお兄ちゃん的な存在の先輩選手に、その人のお父さんを紹介していただきました」
それがJRA調教師の鹿戸雄一だった。
初勝利を挙げて英語でスピーチ
その後、2歳年上の兄はニュージーランドへ戻って新しい生活を始めた。
「自分も兄と一緒に戻る選択肢があったので、少し考えました。でも、その頃には騎手になりたいという気持ちが強くなっていたので、寂しいけれど兄とは別々の生活をする道を選びました」
結果、中学卒業時に念願の競馬学校に合格。この春には鹿戸厩舎からデビューを果たした。
「鹿戸先生は、縁があってとっていただけたでも感謝ですが、騎手出身という事もあり、アドバイスが凄く勉強になります。競馬もよく見てくださっており、週明けに顔を合わせた時に『先週のあれはこう乗ればもっと良かったのでは?』といった感じで具体的に指摘してくださいます」
また、兄弟子となる三浦皇成のサポートも絶大だと続けて語る。
「デビュー週にフレーズメーカーに乗った時、ハナに行きたい一心で中途半端な競馬になってしまい3着に負けました。その際『レース前に立てていた作戦があったのは分かるけど、流れや相手の出方次第で柔軟に切り替える事も大事』と言っていただきました」
だから同馬の次走ではフレキシブルに構えたところ、他にハナを強調する馬がいなかったので、逃げる事にした。その結果、先頭を保ったままゴール。自身初勝利をマーク出来た。
「セレモニーでは皇成先輩が初勝利のプレートを掲げてくださいました。嬉しかったです」
その後のインタビュー。マイクを手にした西塚は「インパクトを残したかった」と英語でスピーチをした。かつてはいじめの原因となった英語だが「凱旋門賞を勝ちたい」と語る彼にとって、これからは大きなアドバンテージとなる事だろう。将来、世界の大舞台で再び彼の英語のスピーチが聞ける日が来る事を願おう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)