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平安京さんぽシリーズ⑭ 京都の新旧が凝縮「七条通」を歩く(後編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
龍谷大学の入口。西本願寺の南に位置する(※以下の写真も全て筆者が撮影)

 河原町通を越えると左手には七条仏所跡の駒札が見えてきます。こちらは平安中期に活躍した仏師・定朝や一族・門弟が住んで集団で彫刻に励んだ場所で、「七条仏所」と呼ばれており、鎌倉時代には運慶・快慶・湛慶らが活躍し、多くの作品が生まれました。先に紹介した三十三間堂の諸仏もここで制作して運ばれたと思われます。

七条通に面して七条仏所跡の駒札が立つ
七条通に面して七条仏所跡の駒札が立つ

 烏丸通を過ぎると堀川通までは、東本願寺と西本願寺に挟まれており、日本有数の仏壇仏具店が並ぶエリアとなっています。また三条通と同じく近代建築が並んでいるのも特徴で、主なものとしては、大正4年の富士ラビットスクーター(旧日光社社屋)や、昭和5年の不動貯蓄銀行七条支店は京都中央信用金庫となり、昭和2年竣工の鴻池銀行七条支店や大正3年竣工の村井銀行七条支店は、婚礼や食事施設となっています。

旧村井銀行七条支店(きょうと和み館)。4本の円柱を備えた外観が特徴
旧村井銀行七条支店(きょうと和み館)。4本の円柱を備えた外観が特徴

 堀川通まで進むと浄土真宗の本山のひとつである興正寺が右手に見えてきます。さらに北側には明治9年まで興正寺と歴史を共に歩んできた西本願寺の伽藍も確認できます。東側には堀がしっかりと残っており、戦乱の歴史を歩んできたことを思わせます。堀川通を挟んで向かいの亀屋陸奥の銘菓である「松風」は、本願寺11代目の門主であった顕如上人が、戦いにあけくれた当時を振り返り、「忘れては波の音かと思うなり まくらに近き 庭の松風」と詠んだことから名がつきました。

興正寺の門をくぐると、左右に紅白の梅の木が迎えてくれる
興正寺の門をくぐると、左右に紅白の梅の木が迎えてくれる

 興正寺に続いて右手に見えるのが龍谷大学大谷キャンパス。西本願寺の学寮に端を発する京都でも古い歴史をもつ総合大学で、明治9年にはいちはやく洋風の様式を取り入れた校舎を完成させ、西洋建築の先駆的存在ともなりました。

正面に見える本館は明治12年建造の近代建築。現在も使われている
正面に見える本館は明治12年建造の近代建築。現在も使われている

 JR嵯峨野線の高架をくぐると右手には中央卸売市場の入口が見えてきます。平安時代から平安京には東市、西市が築かれましたが、鎌倉時代には名ばかりの状態となり、室町時代の戦乱の中でさらに衰退し、江戸時代には幕府の保護もあって復興にむかいました。明治、大正の混乱期を経て、昭和2年12月11日、全国注目の中で最初の中央卸売市場として誕生しています。

 最後に紹介したいのが市場の向かい側に小さな入口を持つ権現寺です。門前には保元の乱(1156年)で敗れて処刑された源為義の供養塔があります。「朱雀の地蔵堂」とも称される権現寺の地蔵堂には、「さんせう太夫」の物語で知られる厨子王丸の危難を救ったと伝えられる身代り地蔵が安置され、また厨子王丸をかくまったというつづらの断片が寺宝として保存されています。こうした伝説から、「災難除け」のご利益があると伝わっています。

源為義の供養塔。現在は本堂修理のため、別の場所へ移動中
源為義の供養塔。現在は本堂修理のため、別の場所へ移動中

 以上、変化に富み、新旧の歴史や建物が混在する不思議な魅力を持つ七条通を紹介してきました。JR京都駅の正面口から出て、京都タワーの横を北側に進むとすぐにアクセスできるので、ぜひ訪ねてみてください。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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