梅雨明けをもたらす太平洋高気圧、昔は小笠原高気圧と称していた理由
北日本と西日本で雨
前線が北日本から日本海南部を通って対馬海峡に達しているため、北日本と西日本では雨となり、特に西日本では、下層に南から暖かくて湿った空気が流入しているため、大気が不安定となって、局地的に大雨となっています。
一方、太平洋高気圧が張り出している関東地方は、晴れて気温が高くなっています。
今後、太平洋高気圧は勢力を増して日本の広い範囲を覆ってきますので、明日以降は、広い範囲で晴れて暑い日が続きます(図1、図2)。
週間天気予報によると、関東から西の地方では概ね晴れて気温が高い日が続き、北日本と北陸地方では雨の日が続きます(図3、図4)。
現在、梅雨明けしているのは、沖縄地方と鹿児島県奄美地方だけですが、天気図から見ると、東北地方と北陸地方を除いた全国で梅雨明けです(梅雨のない北海道を除く)。
6月29日11時追記:気象庁は6月29日11時に関東甲信地方で梅雨明けしたと発表しました(速報値)。6月の梅雨明けは統計をとり始めた昭和26年(1951年)以降、初めてのことです。気象庁では9月に梅雨期間の見直しをして確定値を作っていますが、数日前から晴れて暑い関東地方ですので、確定値では、6月29日より早まる可能性もあります。
小笠原高気圧
夏の日本を覆って暑い日をもたらす太平洋高気圧は、小笠原高気圧と呼ばれることがあります。
というより、日本付近の気象がわかりはじめた大正時代、小笠原高気圧と呼ばれていました。これは、当時の天気図の東端が小笠原諸島であったからです。小笠原高気圧の東の様子は全くわからなかったからです。
このため、太平洋高気圧の張り出しを、小笠原諸島付近の気象観測でとらえていました。
昭和9年(1934年)創刊の中央気象台測候研究会編纂「天気と気候」では、8月の天気について、一般向けに次のように説明していますが、その説明に使われた天気図の範囲が、当時作られていた天気図の範囲です(図5)。
八月の気象暦 大谷東平・村瀬宗夫
夏の気圧配置
本邦の東方洋上にある高気圧の一端が小笠原方面から沖縄迄達し低圧部が大陸方面に根を下すと天気は安定し晴れ勝ちとなる。高気圧から吹き出す南寄りの季節風は日本を経て大陸に流れ込む。高気圧の末端が図にある様に鈎形にまがつて居ると此の配置は仲々崩れず連日好晴の日が続く。登山に海水浴に絶好の夏の日和となる。
ここでいう「鈎形の天気図」は、今でいう「鯨の尾形の天気図」です。太平洋高気圧のさらに上空に、チベット付近からチベット高気圧が張り出し、猛暑が続く時の地上天気図の形です。
小笠原諸島
19世紀になると欧米の捕鯨船が寄港するようになった小笠原諸島は、文政10年(1827年)にイギリスが領有を宣言し、安政4年(1857年)にはペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命しています。
万延元年(1861年)に徳川幕府は小笠原の領有を宣言、明治9年(1876年)に日本の領有が確定し、それまでの住人は日本の国籍を取得しています。
つまり、明治時代からは日本領の東端は小笠原諸島でした。明治39年(1906年)に中央気象台が小笠原観測所を設置していますので、日本付近の気象を解明しつつあった大正時代、船舶からのデータが入手できないことから、天気図の東端は小笠原諸島でした。
太平洋の船舶からの観測を即時的に入手し、天気図に書いて利用するようになったのは戦後になってからです。そして、次第に太平洋のことがわかるようになり、小笠原高気圧という名称に変わって、太平洋高気圧という名称が使われるようになりました。
図1、図2、図3、図4の出典:ウェザーマップ提供。
図5の出典:天気と気候(昭和9年(1934年))、中央気象台測候研究会編纂、地人書館。