社会を変える方法を、米子の小さなケーブルテレビ局に教わった。
ギャラクシー賞報道部門大賞に輝くケーブル局・中海テレビ
先ごろ授賞式が行われた第57回ギャラクシー賞。放送業界で権威あるこの賞で今回「報道活動部門」の大賞に輝いたのは、鳥取県米子市の小さなケーブル局、中海(ちゅうかい)テレビだった。2001年から放送してきた番組をまとめた「中海(なかうみ)再生への歩み」がその対象で、番組の枠を超えたまさに「報道活動」が評価されたのだ。NHKや全国の地上波局をおさえてのケーブル局の受賞は快挙だ。
20年間の放送をまとめた特別番組を見ることができたので、その概要を紹介したい。そこから見えたのは、社会を変えるために動いたメディアの姿だった。
「10年で泳げる中海へ」をスローガンに掲げてしまった人びと
中海は鳥取県と島根県に挟まれた汽水湖。昔は赤貝の大漁場であり、子どもたちが泳いで遊べる豊かな自然のひとつだった。ところが昭和の半ばから生活排水で水が汚れ、また国の事業として干拓と淡水化がはじまったことも加わり、とても泳ぐことのできない水質になってしまった。
中海テレビでは2001年1月から月に一回、「中海物語」の放送をはじめた。市民の中には中海の浄化に力を注ぐ人びとがいて、その人たちを取り上げることで中海の環境問題を訴える番組だった。その志は一定程度伝わり、番組は一年で終了した。
その番組終了に待ったをかける人物がいた。放送ジャーナリストの、ばばこういち氏だ。中海テレビは「中海物語」について度々ばば氏に助言を求めてきたが、「いまこの番組を終わらせていいのか」と言って来たのだ。そこで中海テレビはこれまで出演してくれた人びとを中心に会議を開催。その場でばば氏は集まった地元の人びとに「あなたたちは何をやっていたのか」と檄を飛ばした。
そして「10年で泳げる中海に」というスローガンをぶち上げ、半ば強引に会議のメンバーに共有させた。いささかムッとする人もいたのが面白い。その場にいた人びとは当時を振返り「とてもできない」と思ったそうだ。何しろ、子どもたちが「ゼラチンが入ってるみたい」と言うほどねっとりした汚い水なのだ。10年で泳げるなんて無理に決まっていると誰しも感じたという。
鳥取と島根がひとつになりアダプトプログラムを実行
だがとにもかくにも、それまでバラバラに浄化活動をしていた人びとが「中海再生プロジェクト」としてまとまり、力を合わせることになった。参考にしたのが浄化活動の先輩、長野県の諏訪湖だ。アダプトプログラムという手法で市民や団体に参加を募り、分担を決めて浄化活動に努めて成功した。これに習おうと中海でもアダプトプログラムをスタートさせたがそう簡単にはいかない。
中海は島根県と鳥取県の長年の対立の場でもあった。浄化活動でも県と県の対立が壁となり容易に進まない。そこにラムサール条約の話が出てきて状況が変わった。宍道湖と中海が湿地保全のラムサール条約に登録されることで、島根と鳥取が中海浄化に共に向き合う状況ができたのだ。手に手をとって中海をきれいにしよう。気持ちがひとつになってからは周辺の自治体や団体がアダプトプログラムに参加してくれ、清掃作業などに多くの人びとが参加するようになった。
オープンウォータースイムを開催、泳げる中海の実現へ
2008年、「10年で泳げる中海に」のスローガンの期限が3年後に迫る。ここでエポックメイキングなイベント実施が決まった。2011年に、オープンウォータースイムの大会開催を誘致したのだ。プールではなく海や湖で泳ぐ競技で、オリンピック種目でもある。2001年の番組開始からまさに10年で泳げる中海にしないわけにはいかない、思い切った決断だ。
2011年6月、いよいよやって来たオープンウォータースイムの開催日、水質はなんとか基準をクリア。全国から集まった参加者が泳ぎ切り、「水はキレイだったよ」と言ってくれた。「10年で泳げる中海に」のスローガンが本当に達成できたのだ。みんなが無理に決まっていると言っていた水の浄化を、みんなが力を合わせることで実現した。ただ、人びとをけしかけたばばこういち氏は、前年腎不全で亡くなりこの快挙を見届けることはなかった。
中海浄化はその後も進み、オープンウォータースイム大会も毎年開催され、年々参加者を増やしているという。
3つの役割に感じる既存の報道のうさん臭さ
ジャーナリストと呼ばれる人たちは、よく報道の役割として以下の3つを掲げる。
・事実を伝えること
・権力を監視すること
・弱者に寄り添うこと
それを聞くたびに私は「事実を伝えること」に尽きるのではないかと疑問を抱いていた。権力監視や弱者寄り添いは事実を伝える過程であり、それが役割だとことさらにジャーナリストが言うことにいささか上から目線を感じるのだ。そこには「正義感」がある。だが正義の主張ほど危ういものはない。
私は、中海テレビには実は2年前に取材している。その時のことを業界誌「GALAC」に書いたのだが、こちらにその転載記事があるので興味があれば呼んでほしい。→「米子のケーブル局、中海テレビはなぜギャラクシー賞大賞を受賞したか」
人びとと共に暮らし課題解決に巻き込む中海テレビ
取材して感じたのは、中海テレビの報道姿勢と先のジャーナリズムのちがいだ。上から目線ではなく、市民と共に生きる姿勢。問題を見つけたら悪者を探すのではなく、どうすれば解決できるかを模索する。方向性が見えたら市民を巻き込んで行政を動かしていく。ソリューションジャーナリズムという概念があるが、中海テレビの姿勢はまさにソリューションへ向かい自らも動くのが理念だ。
課題を解決するならメディアではなく政治家になればいい、という人もいるかもしれない。だが「中海物語」は点在していた活動者を顕在化させ、ひとつに結びつけた。バラバラだった人びとを同じ志で結ぶのは、メディアならではの力だと思う。また番組の中である人は、アダプトプログラムが広がっていく際に「テレビに映る意識も大きい」と言っていた。自分たちがそこにいて、みんなと一緒に参加している地域の一体感。それを広げることにもメディアの大きな役割がある。結びつけ、広げる。それによって中海を取り巻く社会を変えることができたのだ。
いま、新聞やテレビのようなオールドメディアにせよ、ネットに登場した新しいメディアにせよ、その役割が揺れ、本来何のためにメディアがあるのか問われている。中海テレビは、ひとつの答えをくれる気がする。人びとと共に生き、コミュニティの課題を一緒に解決する存在。そこにメディアの重要な役割がある。そしてそんなコミュニティにおける役割は、ネットの時代に逆に必要性が高まるのではないか。すべてのメディアにとってのモデルを、中海テレビに見ることができると思う。