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「標的の村」三上智恵監督はなぜ琉球朝日放送を辞めざるをえなかったのか

篠田博之月刊『創』編集長

最近、いろいろなシンポジウムでパネラーを務めることの多い「標的の村」三上智恵監督だが、所属の琉球朝日放送をこの5月に退社した。昨年は沖縄の闘う住民たちを追った映画「標的の村」が大ヒットし、社長賞まで受賞しながら、いったいなぜ?と思う人も多いだろう。実はこの退社劇にこそ、現在のマスメディアをめぐる様々な問題が内包されているといえる。沖縄の新聞・テレビは極めて進歩的だと言われているが、そうはいってもいろいろな変化が生じているようなのだ。この問題については、『創』7月号の映画特集の中で、「ドキュメンタリー映画の新たな可能性」と題してレポートした。その記事の中の三上さんに関する部分をここで公開しよう。なお映画特集全体は、『創』のホームページにアクセスすれば読むことができるようになっている。興味のある方は、こちらへアクセスしてほしい。

http://www.tsukuru.co.jp/

では、以下、三上智恵さんがなぜ琉球朝日放送を退社したかのレポートだ。

昨年公開されて大ヒットした琉球朝日放送製作のドキュメンタリー映画「標的の村」の三上智恵監督に話を聞いた。彼女がこの5月いっぱいで局を退社すると知ったからだ。

「標的の村」は沖縄でのオスプレイ配備と普天間基地の辺野古移設反対運動を追ったドキュメンタリーだが、昨年8月公開以降、ロングランを続け、全国の劇場で2万3000人を動員した。自主上映も予約を含めて240件が既に決まっているという。その時期に監督が退社するというのはどんな事情があったのか。三上さんの話を紹介しよう。

「『標的の村』は、元々2012年10月のオスプレイ配備直前の9月に、テレビ朝日系の『テレメンタリー』というドキュメンタリーの枠で30分番組として放送されたものです。琉球朝日放送では、それを再度1時間の番組にして3カ月後の12月に放送しています。それがネットに勝手にアップされた時に全国でアクセスした人が3万もいました。基地問題は視聴率がとれないと言われがちですが、こんなに知りたいと思っている人がいることに勇気づけられ、何とかして全国の人たちに見てほしいと思いました。

地方局が作ったドキュメンタリー番組は、よく賞をいただいたりするのですが、なかなか全国ネットにかからない。『標的の村』もたくさんの賞を受賞し、そのことで局内で社長賞もいただいたのですが、その受賞式の場で社長に直接、『映画にさせてください』と申し上げたんです。そしたら社長は『そんなことができるのか、とりあえず調べてみては?』とおっしゃったので、お墨付きを得たとして映画化を始めました。配給会社の東風に見てもらったら、ぜひやりたいという返事でした。そこで2013年の8月から劇場公開が決まったのです。最初はどのくらいお客さんが来てくれるのか不安もありましたが、ポレポレ東中野では公開当初、満席で入れない人も出るほどで、異例のロングランになりました」

三上さんは、毎日放送で8年半、琉球朝日放送に移ってから19年と、計27年間も夕方のニュース番組でキャスターを務めてきた、今年49歳のベテランだ。それがなぜ退職することになったのか。

「もともと沖縄の放送局は、反基地というスタンスでしたが、少しずつ変化はあるのです。私が基地反対という姿勢を強く出して放送をしていることに対しても、ブレーキをかけようとする動きはありました。でも私自身は1995年の少女暴行事件から毎日、この顔で伝えてきたことで、今さらトーンは変えられませんと言ってきたのです。

昨年から『標的の村』の自主上映が全国で始まり、私は足を運ぶようになったのですが、上映会を支えてくれるのは原発問題やダム建設問題、人権問題に取り組んでいたりする人たちで、そこで話をすると私の伝えたいことが思った以上に多くの人に届いていることが実感できました。しかも昨年以降、安倍政権が今のような状況になり、マスメディアもきちんと批判しない中、この映画の内容は沖縄の問題ではなく自分たちの危機だと多くの人が捉えるという空気ができていきました。

だから私は週末は上映会に飛び回るということを続けてきたのですが、それに対して次第に会社は本業に差し障ると捉えるようになり、受賞式は仕方ないが、それ以外は控えるように言われました。デスクや、中間管理職など年齢相応の業務も避けきれなくなり、取材に行きにくい状況の中で、次回作を作るチャンスも絶望的でした。私としては、何も作らず、定年まであと10年過ごすのは耐え難いという気持ちになってきたのです」

退社後の生活は大変だが、それよりも急を告げている辺野古の問題を含め、何とか沖縄の実情を多くの人に伝えたいという気持ちなのだという。映画については配給会社の東風がこれまで通り業務を続ける。ただ、配給収入は、琉球朝日放送には入るが三上さんのもとへは入らない。

ドキュメンタリー映画は、劇映画以上に作り手の思いが反映される作品だ。製作や配給などの仕組みは改善され、クラウドファンディングなどのシステムも出来つつある。しかし、制作者の思いを実現するには、まだ改善の余地はあるといえる。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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