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直行便で行くフィジー。世界遺産の町レヴカで南太平洋最古(?)のホテルに泊まってきた!

寺田直子トラベルジャーナリスト 寺田直子
開業1860年代。「ロイヤルホテル」は今も現役で営業中/筆者撮影

フィジーといえばダイビングやリゾートライフのイメージが強いだろう。だが、300を超える島々からなり、さらに19世紀にはヨーロッパによる南洋貿易・開拓にも大きくかかわった背景から実は歴史探訪がおもしろい。今回は1874年から1882年のわずか8年間、英国領フィジーの首都となったレヴカを訪問。当時の史跡が現存することから2013年にフィジー初のユネスコ世界遺産に登録されている。

スヴァからはNorthern Air Servicesの小型機で。片道約15分/筆者撮影
スヴァからはNorthern Air Servicesの小型機で。片道約15分/筆者撮影

レヴカがあるのはオヴァラウ島。日本からの直行便が到着するビチレヴ島ナンディから国内線で現在の首都スヴァへ。そこから小型のコミューター機に乗ってオヴァラウ島に向かった。スヴァからバスやフェリーを使っていくことも可能なようだが、時間がかなりかかるので今回は飛行機を利用。

オヴァラウ島ブレタ空港。看板がなければ見過ごしてしまう/筆者撮影
オヴァラウ島ブレタ空港。看板がなければ見過ごしてしまう/筆者撮影
ブレタ空港の施設。レヴカまでここから車で約1時間。ホテルに頼むなど送迎は事前手配を/筆者撮影
ブレタ空港の施設。レヴカまでここから車で約1時間。ホテルに頼むなど送迎は事前手配を/筆者撮影

なんとものどかすぎるオヴァラウ島の空港に立つとはるばる来たと感慨深い。空港からレヴカまではさらに車で約1時間。ホテルのチェックインまで時間があるので、まず町の散策をとメインストリートで降ろしてもらう。海に面したメインストリートは距離にして1キロに満たない。ここに商店、住居などが並ぶ。

レヴカのメインストリート。19世紀の家並みがそのまま残る/筆者撮影
レヴカのメインストリート。19世紀の家並みがそのまま残る/筆者撮影
フィジーを代表するスーパーMHの第一号店は現在資料館に。向かいに新しいMHが営業している/筆者撮影
フィジーを代表するスーパーMHの第一号店は現在資料館に。向かいに新しいMHが営業している/筆者撮影

まず目をひいたのが「モリス・ヘッドストローム商会」の木造の建物。1868年建築でフィジアンなら誰もが知っている有名チェーンスーパーマーケットMHの記念すべき1号店とのこと。内部は資料館を兼ねた地元のコミュニティスペースになっている。そう、レヴカには「フィジー初」と呼ばれる施設が数多いのだ。

1871年開局したフィジー初の郵便局。かつてはレヴカ~スヴァを鳩郵便で結んでいた/筆者撮影
1871年開局したフィジー初の郵便局。かつてはレヴカ~スヴァを鳩郵便で結んでいた/筆者撮影
郵便局の内部。記念に絵ハガキを買って日本へ送ってみたら1週間程度で無事届いた/筆者撮影
郵便局の内部。記念に絵ハガキを買って日本へ送ってみたら1週間程度で無事届いた/筆者撮影

レヴカの歴史はこうだ。

※フィジー共和国大使館のパンフレットから引用

「19世紀初期にはヨーロッパの貿易商商人たちが航行途中の水や食料補給のためレヴカを訪れるようになった。その後、ココナッツオイル、真珠、捕鯨などの基地として発展。1874年、フィジーがイギリスに譲渡され首都として英総督府が置かれる。当時、レヴカには3000人ものヨーロピアンが暮らし、メインストリートにはホテルや郵便局、銀行、新聞社など公共施設などが建ち並んでいた。」

1882年、首都がスヴァに移ったことでレヴカはゆるやかに忘れられた存在になっていった。転換するのは1964年、日本の支援を得て缶詰工場が建てられたこと。これをきっかけに水産加工生産拠点となっていく。現在は米国企業PAFCOがツナ缶、冷凍魚の製造を行いフィジーの重要な産業のひとつになっている。

1920年に誕生した警察署。現在も使用され中では警察官たちが勤務する/筆者撮影
1920年に誕生した警察署。現在も使用され中では警察官たちが勤務する/筆者撮影
町のレストランで頼んだフィジー伝統料理ロロ。ココナッツミルクで魚介、肉などを煮込んだもの。奥のふかしたキャッサバと一緒に食べる/筆者撮影
町のレストランで頼んだフィジー伝統料理ロロ。ココナッツミルクで魚介、肉などを煮込んだもの。奥のふかしたキャッサバと一緒に食べる/筆者撮影

レヴカに残るフィジー最古の施設には以下のようなものがある。

・銀行(1876)

・郵便局(1871)

・公立学校(1879)

・病院(1882)

・タウンホール(1898)

・新聞社(1869)

そしてフィジー最古であり南太平洋最古といわれ現役営業するのがロイヤル・ホテル。今回の旅の最大の目的がこのホテルに泊まることだった。

メインストリートから見たロイヤル・ホテルの外観。年季が入っているのがわかる/筆者撮影
メインストリートから見たロイヤル・ホテルの外観。年季が入っているのがわかる/筆者撮影
ロイヤル・ホテルのラウンジエリア。最も雰囲気が保たれている部分だ/筆者撮影
ロイヤル・ホテルのラウンジエリア。最も雰囲気が保たれている部分だ/筆者撮影

ロイヤル・ホテルの詳しい開業年は不明。公式サイトでも1860年代とのみ記されている。資料から現存する最古のホテルとうたわれ、大使館のパンフレットにもそう記載されている。ただ、同じく南半球オーストラリアのシドニーに1841年創業の最古のホテルが現存する。ということであくまでもフィジー最古と捉えたほうが賢明のようだ。

コテージの室内。奥にベッドルームがある/筆者撮影
コテージの室内。奥にベッドルームがある/筆者撮影
キッチン付きのコテージ。大型冷蔵庫の存在感がありすぎだがビールを冷やすのに役立った/筆者撮影
キッチン付きのコテージ。大型冷蔵庫の存在感がありすぎだがビールを冷やすのに役立った/筆者撮影
バスルームもかなり経年劣化。お湯は出るが水圧は弱かった/筆者撮影
バスルームもかなり経年劣化。お湯は出るが水圧は弱かった/筆者撮影

ホテルがあるのはメインストリート北部。予約は直接ホテルのサイトへメールで行った。ひとり利用の場合、1泊35.20フィジードル(約1800円)と回答がきた。不安になる安さだ。。さらに、「その料金の部屋は水のシャワーです。99ドルのコテージなら温水シャワー付きでオーシャンビューです」と続いていたので迷わずコテージを予約。それでも1泊5000円程度だ。

実際、宿泊してみて安さも納得の老朽化ぶりだった。清掃などはされているがほとんど手をかけていないのがわかるレベル。フィジーは台風(サイクロン)の被害が多い国なので改装してもまた壊れることを想定しているのかもしれない。

実際、2016年に史上最大といわれた「ウィンストン」がフィジー全土に深刻な被害をもたらした。レヴカも被害にあい町を歩いていると半壊状態のものも少なくない。1869年創刊、フィジー初の新聞社「ザ・フィジー・タイムス」の建物もなくなっていた。自然災害による被害に加え、フィジー政府の文化遺産保護への経験不足、予算不足などもあり、レブカの世界遺産は非常に脆弱な環境にあると実感した。

山側には住宅地が広がり子供たちが遊んでいる姿も/筆者撮影
山側には住宅地が広がり子供たちが遊んでいる姿も/筆者撮影

帰国の朝、空港で飛行機を待っていたら入れ替わりにJICA、北海道大学の調査チームと出会った。地元の人たちが暮らしながら「生きた遺産」としてレヴカの史跡をどう保護し活用するかのフィールドワークを行っているとのことだった。

2018年、日本とフィジーを結ぶ直行便が9年ぶりに再開した。週3便、所要時間は約9時間。南の国らしいのんびりしたムードや個性ある島々と、フィジーの魅力は奥深い。手頃なタイプから最高級リゾートまで宿泊施設も充実。今後、日本から安定して観光客が訪れることで雇用、経済活性につながることを期待したい。

<データ>

フィジー政府観光局・日本語サイト

外務省 海外安全ホームページ(フィジー)

トラベルジャーナリスト 寺田直子

観光は究極の六次産業であり、災害・テロなどの復興に欠かせない「平和産業」でもあります。トラベルジャーナリストとして旅歴40年。旅することの意義を柔らかく、ときにストレートに発信。アフターコロナ、インバウンド、民泊など日本を取り巻く観光産業も様変わりする中、最新のリゾート&ホテル情報から地方の観光活性化への気づき、人生を変えうる感動の旅など国内外の旅行事情を独自の視点で発信。現在、伊豆大島で古民家カフェを営みながら執筆活動中。著書に『ホテルブランド物語』(角川書店)『泣くために旅に出よう』(実業之日本社)、『フランスの美しい村を歩く』(東海教育研究所)、『東京、なのに島ぐらし』(東海教育研究所)

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