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地震が多発した平成の30年、予測困難という難題に挑む令和 「臨時情報」で被害を軽減できるか

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(提供:エアフォートサービス/アフロ)

社会も大地も激動した30年間

 平成は、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結などで幕を開けました。日本では、消費税が導入され、年末には日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭となるなど、バブルの絶頂期でした。その後の30年は、アメリカ同時多発テロ、アフガニスタンやイラクでの戦争、イスラム国のテロなど、世界は激動しました。我が国では大地も激動しました。平成の30年間はその前の30年間に比べ、被害地震が多発し、多くの人が犠牲になりました。

昭和後半に比べ地震が多発した平成

 1959年伊勢湾台風の翌年から1989年までの昭和後半の30年間と、平成の30年間を比較すると、死者100人以上の地震は、昭和後半には1983年日本海中部地震(M7.7、死者103人)だけですが、平成には1993年北海道南西沖地震(M7.8、死者・行方不明者230人)、1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、M7.3、死者・行方不明者6,437人)、2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、M9.0、死者・行方不明者約2万2千人)、2016年熊本地震(M7.3、死者269人、うち直接死は50人)と4地震もあります。

南海トラフ地震の前の活動期か?

 気象庁震度階7は、1948年福井地震(M7.1)後に新設されましたが、昭和には震度7の地震はありませんでした。一方、平成には、兵庫県南部地震、2004年新潟県中越地震(M6.8)、東北地方太平洋沖地震、熊本地震の前震(M6.5)と本震、2018年北海道胆振東部地震(M6.7)と6度も経験しました。大きな地震が近くで起きると強い揺れになりますが、東北地方太平洋沖地震を除くといずれも内陸直下の地震です。

 南海トラフ沿いでの巨大地震が発生する30~40年前から西日本は地震の活動期を迎えると言われます。平成の地震の多さは、南海トラフ地震発生の準備過程と言えるかもしれません。

北海道周辺の地震が多かった平成初期

 平成の初期には、1990~91年に雲仙普賢岳の噴火はありましたが、大きな地震は1993年釧路沖地震(M7.5)までは起きませんでした。この年には、奥尻島を津波が襲った北海道南西沖地震も起き、1994年には、北方領土を襲った北海道東方沖地震(M8.2)や三陸はるか沖地震(M7.6)が起きるなど、北海道周辺での地震活動が活発でした。

 昭和後半に起きた地震も1964年新潟地震、1968年十勝沖地震、1974年伊豆半島沖地震、1978年宮城県沖地震、1983年日本海中部地震など海で起きた地震ばかりで、発生が懸念されていた東海地震も含め、多くの国民は、地震は海でおきるものと思っていたと思います。

阪神・淡路大震災で活発になった内陸の地震

 1995年1月17日の未明、観測史上初めての震度7の揺れが阪神地域を襲いました。兵庫県南部地震では多くの建築物や土木構造物が全壊し、6000人を越す犠牲者を出しました。直下の活断層がずれ動いたことが原因でした。直後に起きた地下鉄サリン事件も含め、わが国の危機管理のあり方が問われました。また、古い家屋の耐震改修の必要性も叫ばれました。地震後には、地震防災対策特別措置法や耐震改修促進法が制定されて、危機管理体制や耐震化が促進されることになりました。「今年の漢字」は1995年に始まりましたが、この年は「震」が選ばれました。

 その後の約10年間は、2000年鳥取県西部地震(M7.3)、2001年芸予地震(M6.7)、2004年新潟県中越地震(M6.8)、2005年福岡県西方沖地震(M7.0)、2007年能登半島地震(M6.9)、新潟県中越沖地震(M6.8)など、西日本での地震活動が活発でした。芸予地震を除くといずれも活断層が関与した地震で、昭和後半以降の海の地震とは異なります。

東北地方の地震活動が活発になり東日本大震災が発生

 2003年には宮城県北部の直下で宮城県北部地震(M6.4)と十勝沖地震(M8.0)も起きました。苫小牧では、大規模なタンク火災が起き、以後、長周期地震動問題が注目されました。

 その後も、東北地方では、2005年宮城県沖地震(M7.2)、2008年岩手・宮城内陸地震(M7.2)、2011年三陸沖の地震(東日本大震災の前震、M7.3)が起き、その2日後の3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きました。沿岸を襲った大津波や福島第1原発事故、長周期地震動や液状化、ため池決壊、タンク火災、天井落下、帰宅困難など様々な被害が生じました。

 地震後も、多くの余震に加え、長野県北部地震(M6.7)、静岡県東部地震(M6.4)、福島県浜通り地震(M7.0)などの誘発地震が発生しました。

再び地震が活発になった

 誘発地震が収まったと思った2016年には、熊本地震や鳥取県中部の地震(M6.6)が起き、2018年には島根県西部の地震(M6.1)、大阪府北部の地震(M6.1)、北海道胆振東部地震(M6.7)が発生しました。北海道では、広域の土砂崩れやブラックアウトによる全道停電が話題になり、2018年の今年の漢字は「災」となりました。

新たな時代に向け理科から社会へのシフトを

 南海トラフ地震は、今後30年間の地震発生確率が70~80%と評価され、甚大な被害が予測されています。一昨年には、現状の科学の力では確度の高い発生予測は困難との見解が示され、震源域で異常な現象が観測された場合、気象庁が南海トラフ地震に関連する情報(臨時)を発することになりました。臨時情報の活用は、不確実な情報を災害被害軽減にどう活かすかとういう正解のない難題です。論理的な思考の理科の答えではなく、曖昧かつ多様な社会科の答えが必要になります。3月末には、国からガイドラインも示されました。不確実な情報ですが、命を守ることを最優先しつつ、社会機能を維持していきたいと思います。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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