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仕事で、介護で「体を洗う」ことになったソープ嬢を主人公に。風俗と介護を結びつけて考えた深い理由

水上賢治映画ライター
現在制作が進行中の映画「うぉっしゅ」の岡﨑育之介監督 筆者撮影

 ソープ店で働く女性が、認知症の進む祖母の介護を1週間だけすることに。店ではお客の身体を、実家では祖母の身体を<ウォッシュ=洗う>二重生活(ダブルワーク)に入った彼女からなにが見えてくるのか?

 こんなどう受けとめていいのか少々戸惑う設定に果敢に挑んだ映画の制作が現在進行中だ。

 映画のタイトルは「うぉっしゅ」。長編デビュー作「安楽死のススメ」が2023年に公開予定の岡﨑育之介が監督を務め、主人公の加那役はモデル・女優として活躍する中尾有伽が演じる。

 「風俗」と「介護」という到底結びつきそうもない題材からひとつの物語を紡ぎ出し、そこで何を描こうというのか?岡﨑監督に訊く。(全三回)

「うぉっしゅ」イメージビジュアル
「うぉっしゅ」イメージビジュアル

なかなか社会が目を向けない、見て見ぬふりをしてしまうような存在や問題に

焦点を当てて、自分自身もそのことと真剣に向き合いたい

 はじめにやはり気になるのは、「風俗」と「介護」をつなげて考えることになった経緯だ。

 どのような発想から始まったのだろうか?

「まず、僕は作品を作るにあたって常に、弱者といってしまうと語弊がありますが、弱い立場に立たされている人、社会からどこか切り離されている人、差別や偏見にさらされている人などに目を向けたい。なかなか社会が目を向けない、見て見ぬふりをしてしまうような存在や問題に焦点を当てて、自分自身もそのことと真剣に向き合いたい。そういう気持ちがあります。

 その中で、なかなか社会的に理解されているとは言い難い風俗で働く女性の物語を描いてみたい気持ちがありました。2~3年ぐらい前から、そのような想いがあって、取材の場を作って、カフェで実際にソープランドで働いている女性からお話をお聞きして、その取材をもとに脚本を少し書いてもいました。

 一方で、同じころ、『介護』についても深く考えさせられていました。というのも、これまでに両親が祖父母の介護をする日々を目の前で見ていた。また、ここにきて父方の祖母の認知症がかなり進んできていて、ますます深く考えるようになったんです。

 それで、このことをテーマにした映画を作ってみたい気持ちが生まれました。

 このような形でまずは『風俗』と『介護』というテーマに向き合うことになりました」

相反するものと思っていた「風俗」と「介護」がつながっていた

 当初は、この2つを結びつけることはあまり考えていなかったという。

「どちらのテーマも興味深い。でも、みなさんそうだと思いますけど、『風俗』と『介護』を結び付けて考えることはできなかったです。

 やはり懸け離れているというか、相反するというか。イメージとしては対極のところにあると思うんです。介護が『表』だったら、風俗は『裏』みたいな。

 だから、はじめは共通項があるようには思っていなかった。

 ただ、いろいろ調べていったときにソープランドのお店で使われる、股間の部分がくぼんだ椅子、通称『すけべ椅子』がもともと介護用品として生まれたものであることを知ったんです。介護で股間周りを洗いやすくするためにあのような形のアイテムとして発明された。

 そのとき、思ったんです。相反するものと思っていた『風俗』と『介護』が、こんなところで『つながっているんだ』と。

 さらに考えると、ソープランドも介護も他者の体を洗うことが仕事の中に入っている。でも、世間一般で言うとまったく意味が違ってくる。どちらも股間を洗うけれど、その意図がまったく違う。ただ、行う作業としては体を洗うだけであって、あまり変わらない。

 ソープランドで洗うこと、介護で洗うこと、この二つを並べてみたら、なにかいろいろなことが見えてくるのではないかと、ここで思いました」

認知症って孤独がすごく深くかかわっているかもしれない

 そこから「ソープ嬢と要介護おばあちゃん」という一見正反対の存在を念頭に脚本を本格的に書き始めていったという。

 その過程ではこんなことを考えていた。

「いま祖父母と同居しているご家庭は少ないと思うんです。

 おそらく1年に1回会うぐらいという人が多数を占めるのではないかと。

 お正月やお盆に会って、一緒の時間を過ごすけれども、そのほかの364日って、あまり意識していないのではないかと思うんです。

 僕自身も祖母どころかいつでも行ける距離に実家はあるけど、年々、母や父と会う時間は減っている。弟も結婚したこともあってどんどん縁遠くなっている。

 で、さきほど話したように祖母となるとさらに縁遠い存在で。認知症が進んでいて正直、話も通じない。僕のことがわからない。だから、いけないことかもしれないけど、会ったところで意味があるのかと思ってしまうところがある。老人ホームにいちいち予約を取ってまでいくことなのかと、冷たいかもしれないけどちょっと思ってしまう。

 ただ、会わなければ会わないほど、その存在も薄れていってしまう。『これでいいのか?』という自分もいる。

 そのときに、おじいさんやおばあさんは、社会から家族からどんどん忘れ去られていく存在ではないかと思ったんです。悲しいけどそういう社会にいまなっているのではないかと。

 そういう中で、認知症についてのドキュメンタリーや文献に目を通していたら、藤沢市で〈あおいけあ〉という介護施設を経営する加藤忠相さんのインタビューをテレビのドキュメンタリー番組で目にしました。

 そこで加藤さんはこのような趣旨のことを語っていました。『認知症の原因はいまだ医学的にわかっていません。ですので治療法もありません。が、私はその原因は“孤独”だと思っています。だから私は、入居者さんの“大切な人”になりたい』と。

 この言葉は腑に落ちたというか。

 認知症は人を忘れる病気とされていますけど、おじいちゃん、おばあちゃんが実は忘れているのではない。むしろ僕ら孫や娘や息子がどんどん親や祖父母のことを忘れることが大きく影響しているのではないか。

 意識する時間が減っていく、会っていない、だから祖父母もどんどん忘れてしまうのではないか。

 医学的なことはわからないけど、認知症って孤独がすごく深くかかわっているかもしれないと思ったんです。

 たとえば、よく仕事をやめると、一気に老け込む人がいると聞きますけど、それもいままであったコミュニティーがある日突然なくなってしまう。人と会うこともなければ、人を意識することもない。そうなったときのメンタリティが大きく影響している気がする。

 で、自分のことを顧みると、僕は母方の祖母とはしょっちゅう顔を合わせていた。一方で、いま話に出てきている父方の祖母とはもともとあまり会っていなかったんです。

 食事会とかなにかセッティングされたときにちょっと顔を出すだけだった。近くに住んでいるけど会う頻度も少なかったし、意識もしてこなかった。

 なので、認知症で僕のことをわからないから行ってもしかたないと思っていたけど、実はそうじゃない、逆だなと思ったんです。

 祖母が僕のことを忘れたのではない、僕が祖母のことを忘れていたんだと気づいた。

 そして、僕は会ったときだけ、祖母の前で孫を演じていたというか。いつも意識しているわけではないのに、『いつも愛しているよといったふり』をしていたところがあった。そこでこうも思ったんです。『これってソープ嬢とお客さんの関係に似てはいないか』と。その瞬間だけの関係でしかない。一瞬だけ愛しているフリをする。

 そう考えると、ソープ嬢と老人の置かれている立場が実はすごく似ているんじゃないか、その孤独の在りように共通点があるように思いました」

(※第二回に続く)

「うぉっしゅ」イメージビジュアル
「うぉっしゅ」イメージビジュアル

「うぉっしゅ」

監督・脚本:岡﨑育之介

出演:中尾有伽/研ナオコ

関連写真はすべて(C)Ikunosuke Okazaki

「うぉっしゅ」プロモーションムービー

岡﨑育之介監督第1作「安楽死のススメ」 予告編

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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