自室で10年間内職を続けた男性は、決して居場所を職場にしなかった
2020年に入ってすぐ、訃報が入った。13年前に育て上げネットのジョブトレの利用を開始した、私と同年代の彼の表情は穏やかであったが、あまりにも若いものであった。
小学校時代のいじめが原因で中学から不登校となり、そこで植え付けられた人間不信の気持ちは彼を自宅に長く圧し留めることになった。完全に自室にひきこもる生活に少し変化が現れたのは10代後半になってから。親の紹介で始めた内職だった。彼は自室で音楽を聴きながらスイッチの動作確認をし続けた。
自宅で少しの稼ぎを得ながら、彼は20代前半で高卒認定を取得している。親の勧めに乗った形ではあるが、それは彼にとって大きな転機とはならなかった。平日は自室で内職を行い、週末になると繁華街に出かけることもあった。
20代後半で内職の仕事がなくなってしまう。10年続けた仕事を失い、なにもしない毎日が3年続いた。そのとき親族の葬儀があり、彼もそこにいた。そのとき、彼は集まりの場所で自分について話す親族の話を耳にする。
それを聞いた彼は、怒りよりも焦りが募り、追い込まれたような気分になった。
これが私と彼の出会いとなった。最初は親だけが相談に来ることが多いなかで、彼はひとりで相談に来た。もともと地道に仕事をこなせるタイプで、人当たりも非常によい人間だった。誰とでも分け隔てなくかかわり、周囲に自然とひとが集まって来た。
もちろん、支援の場に来たばかりのときは自ら周囲に話しかけることはなかったが、彼より先にいた若者やスタッフと気があった。
彼はそのように振り返るが、私にとっては彼の持つ雰囲気こそが、周囲が声をかけたく、話しかけたくさせるのだと思っている。穏やかな反応で、決して誰かを中傷するようなことをしない。やはり、他者を排除しない、むしろ、絶妙な距離感とタイミングで他者に話しかける(あえて話しかけない)ことが誰からも信頼される理由だったのだろう。
約7か月過ぎた頃、インターンシップ先の企業から声をかけられ、働き始める。そこでもひとに恵まれたと言うが、それもまた彼の人間性がもたらした雰囲気だったと考える。
彼と出会ってから13年、彼は毎月何度も顔を出してくれ、イベントのときには率先して活動に参加してくれた。スタッフでも、プログラムを利用している若者でもない、絶妙なポジションにいる彼は、彼のスタンスで声をかけ、また周囲も彼だからこそ悩みを打ち明けたり、心を許したりしていた。
それだけ長い間、働きながら顔を出してくれた彼にとって、ジョブトレとは大きな居場所だった。そこで出会った若者とかかわり、友人となり、プライベートで遊んだりしていた。私もスタッフも、心を許した友人であり、若いスタッフにとっては先輩のような側面もあった。何より、人間不信であった彼の経験が、同じく他者とのコミュニケーションを苦手とする若者たちにとって、ある意味、スタッフよりも話をしやすい部分があったのだろう。それくらいの頻度で足を運んでくれていた。
そんな彼も若くして亡くなってしまった。そして改めて彼にとって私たちの活動の場が「居場所」であったことを振り返ることになる。彼は対人援助職という領域でも十分過ぎるほどの包容力と人間性を兼ね備えていた。だからこそ、私も何度か本気で職員になってもらえないかと打診したが、すべて断られていた。
ときに笑いながら断られることもあれば、真剣に断られることもあった。それでも、若者を支援する場に彼のような存在はとても重要だと考えていた。しかし、ジョブトレは彼にとって、自宅でも職場でもない大切な居場所であり、この居場所を職場にしないことを彼はずっと守っていたのだろう。
最後まで彼は支援者だった。ただ、職業としての支援者ではない立場を貫いた。自分の居場所を大切にしながら、「昔の自分みたいな誰か」のために生きていた。ご家族からは、自宅ではあまり話すこともなく、笑っている姿もほとんど見たことがない。ただ、育て上げネットからいただいている写真は、見たこともないような笑顔の写真ばかりで、感謝している、との言葉をいただいた。
彼と出会い、彼がずっと居場所にしてくれた13年間は、私に「継続すること」の大切さを改めて教えてくれた。居場所の重要性はここかしこで話されているが、単年度や短期間で居場所を居場所にすることは難しい。居場所は誰でもスタートできるが、継続していくのは簡単ではない。しかし、地道に継続していくことが誰かの居場所を守ることや、未来を創ることにつながる。
彼のご冥福をお祈り申し上げます。