平野美宇はなぜ強くなったのか―前・女子ジュニア日本代表監督の呉光憲が語る「平野世代」の強さの秘密
29日から開幕した「世界卓球2017ドイツ」(5月29日~6月5日)。がぜん注目を集めているのが、4月のアジア選手権で世界ランク1、2、5位の中国代表3人を破って世界に衝撃を与えた平野美宇(JOCエリートアカデミー/大原学園)。
一方で、リオ五輪の女子団体で銅メダルを獲得した伊藤美誠(スターツSC)のほか、早田ひな(希望が丘高校)、加藤美優(日本ペイントホールディングス)ら若い世代の活躍にも期待が集まる。
上記4選手は、昨年12月に南アフリカで開催された世界ジュニア選手権女子団体で優勝したメンバー。だが、そのときの監督が韓国人の呉光憲(オ・グァンホン、現・ポラムハレルヤ卓球団監督)ということはあまり知られていない。
呉は2009年から卓球女子日本代表コーチに抜てきされ、13年から4年間、同ジュニア日本代表監督も兼任し平野、伊藤らを指導してきた。なぜ“平野世代”が中国を震撼させるほどにまで成長したのか。呉しか知らない女子ジュニア世代の成長秘話と隠れた才能とは――。
韓国の無名コーチが日本で”名将”へ
ソウル駅からKTX(韓国高速鉄道)に乗って約35分、忠清北道(チュンチョンプクト)の天安牙山(チョナンアサン)駅に降り立った。そこからタクシーに乗り15分ほどで目的地に到着。建物の最上階には「ポラムハレルヤ卓球団」という看板が見えた。
「はじめまして。はるばる日本からお越しいただき、ありがとうございます。お疲れでしょう」
どこからともなく聞こえてきた流ちょうな日本語。紛れもなくそれは呉光憲監督だった。彼の経歴は少し特異だ。
1995年に初来日して淑徳大学女子卓球部のコーチに就任。5年目の2000年に1部に昇格させ、同年のインカレで初優勝。さらに04年まで史上初のインカレ5連覇を達成した。13年までインカレ優勝は通算11回。
無名だった淑徳大学を名門チームへと育て上げ、いつしか“名将”と呼ばれるようになった。その実績が買われ、2009年から女子日本代表コーチ、2013年から女子ジュニア日本代表監督も兼任した。
そして、急成長を遂げた伊藤美誠をはじめ平野美宇、浜本由惟選手などジュニア選手を日本代表選手に育て、日本卓球の強化に大きく貢献したことが高く評価され、韓国人として初めて「2015年度ミズノスポーツメントール賞(※)」を受賞した。(※)ミズノスポーツ振興財団が、日本体育協会、日本オリンピック委員会と共催で日本の競技スポーツ及び地域スポーツにおいて選手の強化・育成並びに地域スポーツの普及・振興に貢献した指導者を顕彰するとともに、優秀な指導者の育成を目的に制定された。
日本で指導者として成功した呉は、開口一番にこう話してきた。
「いずれは日本の女子代表監督という道も想定はしていました。ですが、韓国の実業団チームから熱烈なオファーがあり、(伊藤)美誠や(平野)美宇たちとはしっかりとお別れもできずにここに来たのです」
少し残念そうな表情を浮かべつつも、昨年10月に新設されたばかりのチーム監督として、新たな意欲もみなぎっていた。今年4月に広島県で開催された「ひろしまオープン卓球選手権大会」では男子団体で優勝し、いきなり結果を残している。
「伊藤と平野を最初に見た時、いずれ世界のトップにランクインする可能性があると確信しました」
そう切り出し、教え子たちの成長を支えた密度の濃い4年間とその才能について口を開き始めた。
伊藤美誠は“天才肌”、平野美宇は“努力家”
13年4月にジュニア日本代表の監督に就任した呉は、新たな才能を目の当たりにした。2000年生まれで当時中学1年生だった平野美宇、伊藤美誠、早田ひなの同級生3人だ。
「彼女たちには確かに才能がありましたし。実力は申し分ない。特に(伊藤)美誠と(平野)美宇の2人の関係には特別なものがあると感じましたよ」
そう切り出した呉が二人の長所を語り始める。
「美誠は潜在力が高く、頭のなかでシステムを構成する力、相手がどのようなシステムで出てくるのかを読む力のある選手です。加えてネットプレーとレシーブで主導権を握るのが優れています。一方、美宇は接戦になっても耐えられる体力に優れていて持久力があるのが特徴。美誠は天才肌タイプ、美宇は努力家タイプと言えます」
ただ、彼女たちに才能があるとはいえ、まだ幼い中学生。決定的に足りないものがあった。
「私が当時代表だった彼女たちを指導する際、強調したのは集中力。その次に練習の雰囲気と士気を高めるように努めました。当時、練習環境が静かすぎるので、例えば『美誠、ファイティン!』と言えば、そのあとに声を上げるように指導しました」
少し笑い話にも聞こえるが、呉は13歳の少女たちを前に様々な工夫を凝らしながら士気を高めることを意識した。その中でも呉が大切にしたことが“心のコミュニケーション”だった。
「どれだけ優秀な指導者がいても、選手と心を通わすことができなければ成果はでない」――呉が日本で大事にしてきたモットーだ。
代表の練習があれば、毎日誰よりも早く来て、室内をきれいに整理して選手の練習環境を作った。合宿の最終日には必ず選手たちと一緒に焼肉を食べにいった。もちろん自腹だ。
「合宿が終わると『先生!今日はどこのお店ですか』と選手たちが言ってくるんです。楽しみーなんて言ってね(笑)」
もちろん選手だけではない。東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター近くの飲食店でコーチたちと立ち寄り、食事をしながらコミュニケーションを取った。
「もちろん練習は厳しく。でも一歩、外に出ればジュニアにとっては楽しくいられる存在でありたかった。練習が終われば、選手たちの前で面白いこと言ったり、少しバカなこともしたり……。厳しい中でも人間的な関係を構築できれば、選手はついてきてくれると信じていましたから」
こうした指導方法は何もジュニア代表監督時代に実践してきたのではない。淑徳大学の卓球部コーチとして指導者生活を始めたときから、変わらない呉の信念だ。
「守備的なプレーでは中国に勝てない」
選手から信頼を得るには、技術の向上と結果も大切な要素だった。そこで呉は選手に様々な改革をうながした。
「フォアハンドに対するスピード、ボールの回転力について強調しました。試合や練習を見ていると安全なプレーが目立つ傾向があったので、それもやめさせました。理由は安全策ばかりだと絶対に成長が見込めないからです。より攻撃的で、破壊力のあるプレーを求めました」
呉は口癖のようにこう言い続けたという。「守備的なプレーでは絶対に中国には勝てない」
才能のある選手が集まったとはいえ、中学1年生にこうした言葉をどれだけ理解できたのだろうか。ただ、何度戦っても中国に勝てない現実を突き付けられるたび、呉の指導と話を聞き始めるようになっていた。
「今まで経験したことのない幅の広い卓球を駆使するなら、体力が必要になります。それに筋力も必要。ジュニア選手はあまり体力がないので、厳しいトレーニングを課しました。選手たちは毎日 『しんどい』、『筋肉痛だ』と言っていたのを記憶しています。しかし、結果が出てくると私がやらせなくても、自発的にトレーニングするようになるのです」
成績が出ることで選手たちの意識は変わった。呉は就任から1年半、徹底して攻撃的な練習、意識を植え付けた。その結果、伊藤と平野は14年のワールドツアードイツオープンの女子ダブルスで優勝する。
「それから美誠と美宇はグングンと成長していきました。2人が活躍する姿を見たほかの選手も自信をつけていました。そうした相乗効果が代表チーム内に生まれたわけです」
ジュニア日本代表で台頭した伊藤と平野。今ではシングルでもライバルとなる2人だが、当時は“みうみま”で親しまれたダブルスのパートナーだった。だが、今回の世界選手権で、平野は石川佳純、伊藤美誠は早田ひなとダブルスを組む。
「2人は中2からダブルスのペアで、その実力は知られている通り、息の合ったいいコンビでした。ですが、今は別々のパートナーになりました。それぞれ実力がつき、互いに意見がぶつかりあうこともあったことを私は知っています。それは2人が“いい意味”で切磋琢磨するライバル関係にあるからでしょう」
強いライバルがいてこそ選手は成長する――。呉は代表コーチとして帯同したリオ五輪で、それを痛いほど感じるシーンを目撃していた。
「リオ五輪で日本女子が団体で銅メダルを獲得し、帰国する飛行機がドイツ経由だったんです。乗り換えまでに4時間くらいあったので、そこでANA(全日空)が選手たちの歓迎会を用意してくれていました。そこで美誠をはじめ、銅メダルを獲った選手たちは関係者と写真撮影に応じて楽しく過ごしていたのですが、団体代表に落選しリザーブのため試合に出場できなかった美宇にもちろんメダルはありません。彼女は静かにその場から立ち去っていきました。その姿を見ながら、『美宇はいつか勝つ』と感じていました」
このときの平野の心境を想像してみてほしい。「いつか見返してやる」と思っていたとしても決しておかしくはない。
平野美宇を強くさせた“強気”と“自信”
そうした秘めたる思いが実り始めたのか、実際に平野の快進撃は止まらなかった。
昨年10月の女子ワールドカップでは大会史上最年少となる16歳で優勝すると、今年1月の全日本選手権でも石川佳純を破り史上最年少の16歳9カ月で頂点に。そして4月の第23回アジア選手権で中国勢を破っての優勝。平野は王者・中国から脅威の存在として、いよいよ始まる世界卓球選手権に挑む。実に15年の蘇州大会以来、2回目の出場だ。
「アジア選手権での平野の快進撃は確かに驚きましたが、そうした結果が出てもおかしくはない選手。早い打点と連打、常に攻撃を仕掛ける強気なプレースタイルは健在です。ただ、今回の世界選手権で平野は徹底的に研究されていることでしょう。それでも中国の世界ランク上位3人を破ってのアジア選手権制覇は、彼女の大きな自信となりました。この“自信”がより彼女を強くさせていると思います。メダルも期待していいでしょう」
女子シングルスで日本女子が優勝すれば、1969年大会以来、48年ぶりの快挙となる。呉は教え子たちが、その快挙を成し遂げるのをこの目で見届けたいと思っている。
16年の世界ジュニア選手権大会(南アフリカ)では平野、伊藤、早田が5連覇中の中国を破り世界一に導いた。ジュニア代表監督として、最後に大仕事をやってのけた呉は、韓国に帰国して実業団の新監督としての道を歩み始めた。
「美誠、美宇、早田、加藤の4人とはちゃんとしたあいさつができなかったんです。彼女たちは世界ジュニアのあとドバイで開催されたグランドファイナルに出場したのでね……」
ただ、彼女たちは最後まで呉のことを忘れてはいなかった。世界ジュニア選手権の団体戦で優勝したときのボールにサインをして、呉へのプレゼントとして準備していたのだ。
4年間、苦楽をともにしてきた日本ジュニア選手たちからの粋な計らい。関係者を通してそれを手にした。
「これは私の一生の宝物です」と呉は笑った。
<文中敬称略>
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