「増税」・「賃下げ」の危機 生保基準引き下げが庶民に与える影響
過去最大の生活保護基準引き下げの衝撃
厚労省は12月8日、生活保護基準部会(厚労省の諮問機関)において、生活扶助基準(生活保護費のうち生活費の部分)を最大13.7%引き下げる方針を示し、14日には部会がその方針を大筋で承認した(その後、影響が大きいとして下げ幅を最大5%にする方針が示されている)。
原案では都市部の夫婦と子ども2人世帯で13.7%、都市部の高齢(65歳)夫婦世帯で11.1%もの引き下げ幅となっており、2013年から実施された生活扶助基準引き下げ(平均6.5%、最大10%)を超える、過去最大の下げ幅が示されていた。
実は、生活保護基準の引き下げは、生保受給者以外の多くの人たちに影響する。生活保護基準は日本で唯一の「ナショナルミニマム」の指標であり、多くの制度と「連動」しているからだ。にもかかわらず、その事実が認識されているとは言いがたい。
そこで今回は、生保基準の切り下げが多くの国民にとって、「対岸の火事」では済まされない実態を解説していこう。
基準引き下げは一般の労働者の労働条件を引き下げる
冒頭で述べた通り、生活保護基準は日本で唯一の「ナショナルミニマム」の指標である。つまり、「日本社会ではこれ以上の生活水準が保障されていなければならない」あるいは「これを下回る生活水準は認められない」という基準となっている。
そのため、実は生活保護基準と連動する制度は多くあり、その影響は広範囲に及んでいる。いくつか重要な制度について見ていこう。
(1)各種の「支援」が受けられなくなる
第一に、世の中には、ナショナルミニマムである「生活保護基準」を指標にして、対象者を決定している支援制度が数多く存在する。
就学援助や大学の授業料・入学金などは「生活保護基準の1.3倍の収入」などという形で基準が定められている。例えば、一橋大学の「授業料免除及び徴収猶予選考基準」では、収入と成績の二つを評価し、授業料免除と授業料徴収猶予の判定を行なっているのだが、そのうち、「生活保護世帯あるいはそれに準ずる世帯」などに対して、成績評価を緩和する措置をとっている。
また、医療機関ごとに無料や定額の診療を行う場合があるが、その場合にも生活保護が基準とされている。市町村ごとに医療保険の保険料や自己負担額の申請減免が行われていることもある。
つまり、「生活保護基準の引き下げ」は、「さまざまな行政支援の適用が厳しくなること」と同義なのだ。言い換えれば、社会が「支援すべき人」の対象そのものを狭めていくということである。
(2)増税
第二に、生活保護基準の変更は、課税のあり方にも影響を与える。住民税非課税も生活保護基準を参照して、地方税法で定められているからだ。つまり、今回の生活保護基準の引き下げにより、課税されていなかった世帯が課税されることになる、あるいは増税の対象になるといったことが生じる可能性がある。
また、「課税世帯かどうか」によって負担が変わってくる制度は非常に多く、下記の制度の適用対象が変更になる可能性もある。
医療保険の高額療養費制度(負担限度額の区分)、入院中の食事療養費・生活療養費(標準負担額の区分)、高額医療・高額介護合算療養費制度(負担限度額の区分)、社会福祉法人による介護保険サービスの負担額(軽減の要件)、養護老人ホームへの入所(対象になるかどうかの基準)、未熟児養育医療(負担限度額の区分)、保育料(徴収金の区分)、幼稚園の就園奨励費補助金(補助限度額の区分)、母子生活支援施設・児童入所施設の利用(徴収金の区分)、ひとり親家庭への日常生活支援事業(利用料の区分)、ひとり親世帯の教育訓練・高等職業訓練の給付金(支給額の区分)、NHK受信料の免除(障害者のいる世帯の場合の基準)
(3)賃金の引き下げ
そして、最低賃金も生活保護基準と連動されているため、生活保護基準が下がれば、最低賃金も下がりかねない。
そもそも、日本の最低賃金は先進国の中でも低い。日本労働政策研究・研修機構『データブック国際労働比較 2016』によれば、イギリスは6.70ポンド(886円)、ドイツは8.5ユーロ(964円)、フランスは9.6ユーロ(1,089円)、アメリカの連邦最低賃金7.25ドル(727円)に対し、日本は823円(2016年度)である(尚、米国では州ごとの最低賃金が定められており、ニューヨーク州、カリフォルニア州など大都市部では、時給15ドルへの引き上げを決定している)。
最低賃金が低いために、特に非正規雇用の世帯では、働いているにもかかわらず貧困に陥ってしまう「ワーキングプア」の状態に置かれてしまっていることも多い。生保基準の引き下げは、「働く貧困者」をさらに増大させる結果になりかねないだろう。
それだけではない。正社員の多くも影響は免れない。なぜなら、今日では多くの正社員の賃金も「最低賃金」に連動しているからだ。
典型的には「ブラック企業」の正社員だ。例えば、「日本海庄や」などを運営する外食大手の株式会社大庄では、新卒者の最低支給額を19万4500円としながら、実際には80時間(厚労省が定める「過労死ライン」に相当)の残業代を含み込んでおり、本来の最低支給額は12万3200円だった。
これは時給換算すると770円程度で、当時この地域での最低賃金ギリギリであった。一見すると「月給制」の正社員も、実は最低賃金を基準として、残業代をたくさん含ませている場合が非常に多い。外食だけではなく、小売り、介護、保育、ITなどでは、こうした「固定残業代」の制度が幅広く普及している。「業務手当」「職務手当」などの名称で残業代扱いにしている場合も見られる。
もし生保基準の引き下げに伴い最低賃金が引き下げられれば、同じ月給の額でも、より多くの「固定残業代」の部分を含まされる可能性があるのだ。例えば、時給800円の最低賃金であれば、残業代は1時間あたり1000円になる(25%増し)。月給のうち、5万円分が固定残業制にされていれば、50時間分が残業代にされてしまう。これが時給700円に引き下げられた場合、残業代は一時間あたり845円となり、5万円で60時間近く残業させることができてしまう(図を参照)。
さらに、現在は固定残業代が導入されていない社員でも、日本社会全体の「賃金基準」が引き下げられることで、全体としての賃金引き下げ圧力の影響を受けることは避けられない。生活保護基準の引き下げは、すべての労働者に影響するのである。
「ナショナルミニマム引き下げ」の悪循環の恐れ
ところで、今回の基準引き下げの根拠として、厚労省は、生活保護受給世帯と所得階層下位10%の消費実態を比較し、前者が後者を上回るため、生活保護基準を引き下げるとしている。このような生活保護基準の決め方は「水準均衡方式」と呼ばれ、1984年から導入されている。
しかし、そもそも生活保護の捕捉率(生活保護基準を満たしている者のうち、実際に受給している者の割合)は2割にも満たないとされ、後藤道夫都留文科大学名誉教授の試算によれば、生活保護基準に満たない可処分所得の世帯人口が3000万人近くにも上る。つまり、基準が引き下がることが最初から分かっている手法を採用しているのである。
この点について、部会報告書(案)においても、「一般低所得世帯との均衡のみで生活保護基準を捉えていると、比較する消費水準が低下すると絶対的な水準を割ってしまう懸念があることから、これ以上下回ってはならないという水準の設定についても考える必要がある」と述べられている。
ただでさえ補足率が低い中では、「一般の生活水準が低いからナショナルミニマムを下げる」→「ますます賃金が下がる」→「ナショナルミニマムを下げる」という下降の循環が繰り返されてしまう可能性が高いのだ。
ナショナルミニマムは最低生活費である以上、これを下げ続ければ、社会全体が陥没しかねないのである。むしろ、補足率や最低賃金の引き上げこそが必要だろう。
具体的な引き下げの影響
最後に、ナショナルミニマムの陥没が、どのような貧困を「容認」してしまうのか、その現実を紹介したい。
私が代表を務めるNPO法人POSSEの生活相談窓口には、「生活保護費が足りない」という相談が月に必ず数件寄せられている。例えばそれは次のようなものだ。
関東地方50代女性
現在住んでいるアパートの家賃4万円台、保護基準(家賃分)が3万円台であるため、差額の1万円を生活扶助部分(生活費分)から支出しなければならない。その結果、10ヶ月間ガスが止まっており、もうすぐ電気も止まってしまう。
九州地方50代男性
障害年金と保護費で合わせて約10万円が支給されているが、お金が足りない。家賃が4万円(基準を7000円オーバー)、電気代1万円、ガス代7000円(冬)、水道代2000円
携帯電話5000円、インターネット代5000円、自動車の任意保険代5000円、その他車検代、ガソリン代、オイル交換代など、7.4万円以上が固定支出としてかかる。食費が足りず、月末には何も買えなくなる。
北海道20代男性
生活扶助の冬季加算(冬の暖房代のための加算措置)が20%引き下げられ、冬の間に暖房をほとんどつけられなかった。家の中の水が凍ることもあった。
また、生活保護受給者や支援者で構成されている「全大阪生活と健康を守る会」が実施した受給者284人へのアンケート調査では、以下の結果が示されている(括弧内は前回の基準引き下げ前の2012年のデータ)。
Q 生活保護費の中で節約しているものはなんですか
・食費をけずる:90.14%(→2012年80.02%)
・衣服の購入をけずる:92.25%(→2012年82.90%)
・交際費・冠婚葬祭費をけずる:87.68%(→2012年76.70%)
・水道・電気・ガス代をけずる:76.76%
・文化・教養費をけずる:84.15%(→73.00%)
このようなケースや数値からは、現在の生活保護基準でさえ、かなり生活を切り詰めなければならないことがわかる。よく報道されているような「無駄遣い」をしていない場合でも、ライフラインが停止してしまうことすらあるのだ。
基準の引き下げは、この最低生活をさらに耐えがたいものにするだろう。そして、繰り返しになるが、そのような貧困を認めることで、ますます働く人びとの生活も脅かされていくということを知っておいてほしい。
追記
尚、基準部会の報告書案では「今回の検証では、世帯人員別の指数の算出方法について複数の方法を 示しているが、理論的にみていずれかの方法のみに絞り込めなかったこ とに鑑みると、従前からの検証方法やその結果を踏まえつつ、個々の世 帯の生活に急激な変更を生じさせない視点からみた配慮が重要である。 このような視点を含めて、現在生活保護を受給している世帯や一般低所 得世帯への影響に十分配慮することはもとより、生活扶助基準を参照す る他制度への影響にも配慮することが重要である」との記述がある。