愛と官能の10年が、芸術家をどう変えたのか。『ロダン カミーユとの永遠のアトリエ』
今回は、芸術の秋!ということで、彫刻家のオーギュスト・ロダンの没後百年のタイミングで公開された『ロダン カミーユとの永遠のアトリエ』を、ジャック・ドワイヨン監督のインタビューを交えてご紹介します。
私の世代だとロダンと言えば、映画『カミーユ・クローデル』で描かれた弟子カミーユ・クローデルとの愛人関係のイメージが強くあります。この映画の舞台も同じ時期なのですが、アプローチが全然異なっていて、そのことがその時期の芸術家としてのロダンにどんなふうに変えていったかを描いています。
東京近郊に住んでいる人にとってすごくいいのは、この映画に登場するロダンの代表作「地獄の門」「カレーの市民」(国立西洋美術館前)「バルザック像」(東京芸術大学構内)が、上野でタダで見られること。監督のお話を聞くと、映画と彫刻、合わせてより深く楽しむことができるはず!というこで、まずはこちらをどうぞ!
1890年、映画はロダンの代表作『地獄の門』の制作過程から始まり、愛人のカミーユと内縁の妻ローズそれぞれとロダンの関係を描いてゆきます。ロダンの芸術性に理解も関心もなく女中のように尽くすローズに対し、カミーユはロダンの最大の理解者。それを表すのが『カレーの市民』をめぐる会話です。
『カレーの市民』は、百年戦争でイギリスに包囲された海辺の町カレーを救うため、命を差し出した英雄6人をかたどった彫像なのですが、「英雄なのにまるで罪人みたい」(実は私もそう思ってしまいましたwww)と散々に言われてしまうんですね。これをカミーユは「傑作」と言ってくれるんです。
そして映画は、ロダンの作品の中で最も重要な『バルザック像』の制作へと入ってゆきます。
ジャック・ドワイヨン:ロダンが「常に進化し続ける芸術家」だったことが、私にとって重要でした。
『地獄の門』はロダンが彫刻家としての地位を確立した頃に作られた作品です。彼はこれを作った後、この中の人物を取り出し、拡大し、解釈しなおして、いくつもの彫刻を作っています。その後のロダンの主要な作品のほとんどがこの作品の中にあります。ですがその生き生きとした素晴らしさは、非常に19世紀的なものです。
これに対して『バルザック像』の“完成までのプロセス”は、ロダンが「近代彫刻」へと変化する過程を示しています。これがなければロダンは「近代彫刻の父」と呼ばれてはいなかったでしょう。
さてここで監督が言う“完成までのプロセス”とはどんなものか。実は1890年に一度完成しているバルザック像は、いたって写実的なもの。ロダンはバルザックが注文していた仕立て屋を突き止め、小柄で大食漢で放蕩三昧だったその体型をリアルな裸像として再現します。ところが発注主であるフランス文芸協会はこれを却下。「首がない」「睾丸が出てる」「太りすぎ」と文句をつけまくるんですね。そして最終的に出来上がった像は、コートを着せてすべて隠した、太巻きの上に頭が乗っているような姿なんですねー。
ドワイヨン:バルザック像をつくる際に妊婦をモデルにしたと何かの本で読み、映画にもその場面を入れました。ロダン美術館の学芸員は「あり得ない」と言われましたが、映画的には完璧な場面だと思います。
いずれにしろ最初に作られた『バルザック像』は単なるポートレートにすぎません。それを進化/深化させ、バルザックという人物が持つ巨大なエネルギーそのものを彫刻のなかに封じ込め、表現しようとしたのが最終形の『バルザック像』です。当時の彫刻の因習や決まり事をすべて破って作られたこの像は、当然ながら酷評されましたが、その一方で20世紀の新しい彫刻の世界――抽象彫刻の世界を開いたといわれています。
この像についてはフィリップ・ソレルスと言う作家が面白いことを言っています。『バルザック像』で、服の中にある手は自分のモノを触っているのではないかと。私はロダンがそうした挑発的なことをするタイプだとは思いませんが、これに同意する人もいますね。
この映画は彫刻家としてのロダンとともに、その人間味も描いた作品です。監督は映画を作るにあたり多くの文献にあたったそうですが、その私生活は資料によって記述が異なり、それが逆に自由に描くことができたとか。特にカミーユとの関係においては、『カミーユ・クローデル』とは全く違うアプローチで描いています。
ドワイヨン:『カミーユ・クローデル』はロダンとカミーユのことをメロドラマとして描き、だからこそ成功した作品です。脚本を書いたのはレーヌ=マリー・パリス、カミーユの姪です。あの映画で最も問題だと思うのは、カミーユの狂気が悪い男=ロダンにつかまったせいだと言っていることです。
私は二人について書かれた著作、当時のものから今のものまでほぼすべて読みましたが、そのうえで思うことは、カミーユの狂気の責任はクローデル一家にあるのではないかということです。彼女のパラノイアの根本には母親の愛情の欠如があり、発病してからは、姉の才能に嫉妬する弟が結託して、彼女を精神病院に閉じ込めました。親類が彼女の死に誰も立ち会わなかったので、亡骸は共同墓地に放り込まれたのです。レーヌ=マリー・パリスは、カミーユの狂気の責任を家族以外の誰かにかぶせる必要があったのです。
私はふたりの関係においては、ロダンの方がより愛していたと思っています。別離もカミーユからですし、その後もロダンは2~3年ごとに彼女をモデル彫刻を作り、様々な形で金銭的な援助も続けています。彼女が精神病院に入れられた時も、すぐに面会許可を申請しています。これはクローデル家により取り消されてしまいましたが。
映画を作るときに、前の作品を反対して映画を作ると言う事はありません。ただこれまで描かれてきたバカバカしい男は忘れて、自分の考えるロダンを描こうとしました。
映画はカミーユと別離後のロダンが、官能的なデッサンをそれこそ百本ノックのように描く姿も描いています。この時に言われていることは、ロダンがもはや手元を見ずに描いていること。それはロダンが「写実」とは異なるものへと移行していた証拠。そこにはカミーユとの日々が影響していたのかもしれません。
ドワイヨン:私が興味をひかれたのは、彼の彫刻のなかに見られる生命、躍動、そして人間の肉体というよりも肉そのものです。重要な事は、ロダンにとって最も重要な10年間を、カミーユと真の情熱で愛し合い、ともに仕事をしたということだと思います。
【関連記事】
ぞくぞく公開!粒ぞろい!カンヌ国際映画祭2017コンペティション作品
私の命が救われるために、家族の誰を殺すべきか?『聖なる鹿殺し』
退屈な「女の園」に転がり込んだイケメンは、「飛んで火に入る夏の虫」『ビガイルド/欲望の目ざめ』
奇跡の映像だらけ!地上版『ゼロ・グラビティ』が問う、ヨーロッパの難民問題『ジュピターズ・ムーン』
(C)Les Films du Lendemain / Shanna Besson