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トランプ旋風にみる民主主義の光と影―A.トクヴィル『アメリカのデモクラシー』が示すもの

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

アメリカ大統領選の予備選挙で共和党のドナルド・トランプ候補の勢いが止まりません。「トランプ旋風」をめぐっては既に多くの識者がさまざまな観点から論じています。人種差別的な発言や、ムスリムの入国規制の提案、メキシコとの国境に壁を建設する提案、中国や日本の経済・通商政策を罵倒するなど、いわば放言・暴言といえるものを連呼しながらも、その一方で「アメリカを再び偉大な国にする」と叫び、アメリカの利益を最大化することを再三にわたって強調するトランプ候補は幅広い支持を集めています。

8年前、オバマ大統領が就任した際、アメリカの「チェンジ」が期待を集めました。しかし、格差の拡大や対テロ戦争での苦戦だけでなく、オバマケアをめぐって政党間の対立が過熱し、連邦議会が予算の計上すらできない事態が発生するなど、アメリカ政治は混迷を深めています。これらに鑑みれば、トランプ候補の躍進の背景に、国民の幅広い不満と怒りや、ワシントンの既存の政治家に対する不信感を見出すことは容易です。さらに、あるアメリカ人研究者の言い方で言うと、そこに仕草や舞台装置など、視聴者や支持者のマインドに働きかける非言語コミュニケーションの徹底的な計算があることもまた、確かです。

その一方で、トランプ旋風はアメリカの民主主義が一つの節目を迎えたことを象徴します。それはもともと民主主義が備えている「多数者な専制」に陥る危険性に、アメリカが遂に直面し始めたことを示します。

自分たちで自分たちのことを決められる社会

民主主義(そもそもdemocracyの訳語として「民主主義」は誤りで、aristocracy = 貴族政の対義語として、「民主政」と呼ぶべきという意見もある)は、とかく議論の多い概念で、特に日本では立場によって、無条件に善いもの、善くないものとして語られがちです。前者は安倍政権あるいは自民党に無条件に批判的な人に、後者は「戦後民主主義」という用語を好んで使う人に、典型的にみられると思います。

しかし、人間が作り出した原則、理念、制度である以上、民主主義もまた不完全なものとならざるを得ません。つまり、民主主義は完全に善、完全に悪と決めつけられるものではなく、そこには光と影があるといえます。

民主主義の光とは、各人の同意に基づく支配を打ち立てられる点です。誰かに一方的に支配されることを拒み、自分(たち)の将来を自分(たち)で決めることを望むのは、凡そほとんどのひとに共有される理念だといえるでしょう

革命以前のフランスでは、王侯貴族の所有する馬や犬を、たとえ不注意であったとしても傷つけた使用人は、下手をすれば処刑の対象でした。個々人が権利として平等な、民主的な社会になったことは、各人が国家や社会を律するルールの策定に参加でき、異議申し立てをする機会を得たといえます。このような社会をアメリカの政治学者ロバート・ダールは「ポリアーキー」と表現し、「参加と公的異議申し立て」の機会が制度化されることを、その基準として打ち出しました。つまり、民主主義のもとでは各人が政治にかかわることが認められるのであり、それはひいては一人ひとりが自分たちの社会の行方にかかわれるといえます。

民主主義と「独裁者」

民主主義の光の側面については、一般的にもはや自明のものと扱われがちなので、ここではこれ以上触れません。ただし、その一方で、民主主義には影の側面があることも見逃せません。

まず、そもそもあらゆるシーンで「民主的に決めること」がよいかは疑問です。「成績のつけ方までも教員が学生と民主的に決めることは善いことか」と問われれば、否と答えざるを得ません。学生の賛成多数によって「全員に優(あるいはS)をつけること」が可決された場合、それは民主的かもしれませんが、能力や結果で個々人を評価するという観点からみた場合、不公正な決定になります。

さらに問題なのは、民主主義が「民主的な手続きで民主主義を放棄することに同意できる」点です。つまり、多数のひとが「民主主義をやめる」ことに同意すれば、それによって特定の個人に権力を集めたり、反対派の少数派を排除したりすることも、民主主義の名のもとに正当化されるのです。これは「民主主義の逆説」と呼ばれます。

人種差別的な発言を繰り返すトランプ候補に関しては、メキシコ大統領がヒトラーになぞらえて批判しています。ヒトラーに限らず、古代ローマのカエサルやフランス革命後のナポレオンなど、「独裁者」として歴史に名を残す人々は、基本的に「人々の支持に基づいて」独裁的な権力を握りました。

今も昔も、議員が国益より自分の選挙区あるいは支持基盤の利益を優先させることは珍しくありません。また、そこまでいかなくとも、議論を積み重ねようとすればするほど、外敵の襲来や経済的な変動など、社会情勢が極度に不安定化したとき、議会は対応しきれなくなります。ナチズムの根幹には、議会における理性的な議論の否定と、英雄的な指導者による「決断」の称揚がありました

そして、議会に不信感を抱き、生活に疲れ果てた有権者が、「英雄的な指導者」と自らを心理的に一体化させ、「この人こそ他の政治家と違って『我々の味方』」とイメージしたとき、人々の支持に基づく「独裁者」は生まれます。この場合、多数の人々の支持に基づいて、反対派を排除したり、強権を発動したりすることは容認されます。ユダヤ人の虐殺も法に則って行われたことです。つまり、「独裁者」のもとにある人々の全てが「自分が虐げられている」と考えるとは限らず、むしろ「指導者が自分たちの意思を体現する、これこそ民主主義」と捉えることも、稀ではないのです。

民主的な社会による抑圧

一人の特定の人間に権限を集中させることがなかったとしても、民主主義の発達によって人々が抑圧されることはあり得ます。これをいち早く指摘したのは、フランス革命を批判した18世紀のイギリスの政治家で思想家のエドマンド・バークでした。

バークによると、民主主義の最大の危険は「つねに市民のなかの多数派が少数派に対し最も残酷な抑圧を行使できる」ことであり、王政であれば暴君に抑圧されても受難者は人民の支持や賞賛を得る可能性が残されている(横暴な代官と戦った伝説的英雄ロビン・フッドが典型)ものの、民主主義のもとでは「彼らは人間全体の陰謀に打ちひしがれ、人類に見捨てられたように見える」【E.バーク, 『フランス革命の省察』】。つまり、「多数派が正しい」という価値観が浸透すれば、それは裏を返して「少数派は誤っている」という判断を生みやすく、それが少数派を問答無用に排除することすら可能にする、しかもそれが道義的に正しいことであるようにみえやすいため、少数派にとっては救いがない、というのです。

実際、バークが指摘したように、フランス革命では「反革命的」とみなされた人々が「天下の極悪人」として断頭台の露と消えました。そのなかには、王族や王政支持者だけでなく、ブルボン王朝のもとで徴税人を務めていただけの人々までも含まれました。そして、その処刑は「革命のため」という大義のもとでむしろ道義的にも正しいことと捉えられたのです。つまり、「多数派と少数派の意見の違いは、選挙や議論における支持の多寡の違いに過ぎず、そこに倫理的、道徳的な価値の高低はない」という価値観をぬきに民主主義を全肯定すれば、必然的に多数者による抑圧は「正しいこと」になり、どんな非人道的なこともまかり通ることにさえなり得ます

その結果、それまで一人の人間、あるいは少数の人間によって支配されていた社会が民主化したとき、「自分(たち)の将来を自分(たち)で決める」権利を得た人々による要求が噴出することで、多数派と少数派の間の亀裂は逆に深まりがちです。2010年末にチュニジアで始まり、その後中東・北アフリカ一帯に広がった「アラブの春」の顛末からも、ほぼ同様のパターンが見受けられます。

「アメリカのデモクラシー」

少なくとも19世紀までの欧米諸国では、民主主義を「多数者の暴政」をもたらすものと忌避する傾向がありました。ソクラテスやキリストが「多数者の要望に沿って、合法的な手順で処刑された」ことは、「モノをよく分かっていない多数者が寄り集まって結論を出すことは危険」とみなされる一因となりました。さらにフランス革命後の混乱は、ヨーロッパ各国政府による民主主義への警戒を強めました。多数者が多数者であることをよりどころにして少数者を抑圧する状況を、フランスの政治哲学者アレクシ・ド・トクヴィルは「多数者の専制」と呼びました。

ところが、大西洋の向こうのアメリカでは、事情が異なりました。1831年、フランスの判事として独立間もないアメリカ合衆国に赴いたトクヴィルは、その時の知見を『アメリカのデモクラシー』として著しました。これはいまだに、アメリカ社会を知る最良の手引書の一つとしての評価を得ているものです。

トクヴィルの関心は、「アメリカでは民主主義が発達しているのに、なぜ革命後のフランスなどヨーロッパ各国のように『多数者の専制』が生まれないのか」でした。この点においてトクヴィルが注目したのは、アメリカにおける住民自治の習慣でした。

アメリカというと「自由の国」と思われがちですが、トクヴィルがまず目を向けたのはアメリカにおける「平等」でした。イギリスの植民地だったアメリカには封建制や身分制の歴史がなく、人間が「平等」であることは自明として扱われてきました。特に、開拓期のアメリカでは連邦政府の力が弱く、人々は学校の建設から道路の整備に至るまで、自分たちのことを自分たちで決めて実施せざるを得ませんでした。そのためアメリカでは、身の回りのことを「平等な」近隣住民同士で話し合って決める地方自治の習慣が根付いたのです。

平等に基づくこの習慣は、アメリカで自由が花開く素地となりました。自分たちの町のことを話し合うなかで、自由に意見を言い合うことは当然としても、それで相手を人格的に否定したりすることや、まして意見の違いによって、相手の生命や尊厳を脅かす争いに発展させてはいけないという配慮をも身に着けさせることになったのです。つまり、トクヴィルの言い方に従うと、地方自治によって人々は自己決定という「自由」の味を知り、その平穏な利用に慣れるのであり、これが「多数者の専制」を防ぐ効果があったのです。

トクヴィルの議論の核心は、「平等」な人々によって成り立つ民主主義(皆が平等だからこそ、一人一票で、なおかつ頭数の多い側に優先権が与えられる)が「多数者の専制」に陥らないようにするためには、外からの圧力を跳ね返して独立を維持する「自由」の理念を確保する手段や制度が欠かせない、というものでした。三権分立や地方自治が、その典型です。

現代でもアメリカでは、個人の内面や精神は何があっても脅かされるべきでないという固い信念が普及しており、だからこそ例え多数派の決定であっても少数派の権利が脅かされることには拒絶反応が強く、政府命令に対して個人が最高裁に提訴することなどが珍しくないのです。

ヨーロッパと異なり、封建制や身分制の歴史がないアメリカでは、「平等」の原則がいち早く実現しただけでなく、その歴史的経緯もあって「自由」も早くから定着していました。その意味で、現代の世界において重視される自由と平等の理念は、他に先駆けてアメリカで形作られたといえます。これに鑑みれば、貴族政が崩壊しつつあった当時のヨーロッパを振り返ったトクヴィルが「私はアメリカにアメリカを超えるものをみた」と記したことは、決して大げさなものではなかったのです。

隠微な「多数者の専制」

ただし、さすがにというべきか、トクヴィルはアメリカにある種の普遍的なものを見出しながらも、手放しで賞賛したわけではありませんでした。むしろ、『アメリカのデモクラシー』の後半は、革命後のフランスのような剥き出しの「多数者の専制」でなくとも、一見したところ平和で繁栄した社会における、真綿で首を絞めるような、隠微な「多数者の専制」についての洞察にあふれています。

そこでキーになるのが「大衆社会」です。権利の観点から平等な社会が実現し、人々が一定の生活水準を手に入れると、個々人の間の違いが不明確になってきます。立場が平等であるだけに、少数派は多数派からの影響を受けざるを得なくなります。トクヴィルによると、「民主的な社会において多数者は、強制もせずに、個人を説き伏せてしまう」

アメリカと言えば「個人主義」というイメージがあるかもしれません。しかし、アメリカ人ほど「どんな商品が『たくさん』売れているか」、「どんな映画(あるいは小説)が『より多くの人に』鑑賞されているか」に注意を払う国民も少ないでしょう。それはつまり、多数派の影響力を自発的に受け入れる素地があるということです。

さらに、個人主義は「多数者の専制」に拍車をかけます。カースト制があるインドや地主制が残るラテンアメリカのように不平等が当たり前の社会では、むしろ不平等に対して鈍感になりがちです。ところが、アメリカのように「人間はみな平等」という観念が強ければ、少しの不平等にも我慢できなくなりがちです。その結果、少しでも他者より優位に立つために、経済的な成功などに邁進することになります。その結果、確かにアメリカは豊かな国になり、ヨーロッパに先駆けて中産階級を生んできました。

ところが、産業化が進み、中産階級が増加したことは、生活を守るために大きな政治変動を望まない人が増えたことを意味した一方、私生活に関心を集中させる状況をも生み出しました。それは住民自治の伝統も徐々にすたれさせ、人々が協力して行っていたことも政府が行わざるを得なくなっていきました。こうして、「自由の味」を忘れた人々の背後から、「巨大な後見的な権力」が生まれるとトクヴィルは予見したのです。1830年代にトクヴィルは、ヨーロッパほどでないにせよ、アメリカでも「多数者の専制」が生まれる可能性をかぎとっていたといえるでしょう。

「特別な国」から「当たり前の国」へ

とはいえ、アメリカでは長く、ヨーロッパ的な「多数者の専制」や、ましてや独裁者が生まれることはありませんでした。トランプ候補や多くの候補が強調するように、そして多くのアメリカ人が自負するように、仮にアメリカが偉大な国であるとしても、彼の地で自由と平等の理念が結実した背景には、やはりある意味で「特別な条件」がありました

トクヴィルが指摘したように、アメリカに地方自治の伝統があり、これが「民主主義の小学校」として、意見の相違に基づいて相手を排除しない、民主主義の健全な発達を促す土壌になったことは確かです。しかし、白人が追い散らかしたネイティブ・アメリカンは居留区に押し込められ、当然民主主義の頭数には入れられてきませんでした。さらに、トクヴィルが訪問した頃のアメリカでは奴隷制が存続していました。

つまり、少なくとも『アメリカのデモクラシー』が刊行された頃のアメリカでは、社会的に優位に立つ白人、特に中間層以上の白人の間でのみ、自己決定という自由は謳歌され、それが「多数者の専制」を防ぐ防波堤になっていたといえます。そして、その状況は、基本的につい最近まで続いてきました(当時スーパースターだったマイケル・ジャクソンがゴールデンタイムのテレビ番組に出演できなかったのは、ものの30年前の話です)。いわば、ヨーロッパ諸国などで目につきやすかった貧困や格差が表面化しにくいなかで、アメリカでは自由の価値が「公式に」称揚されていたといえます。

しかし、この社会環境は21世紀の現代において、大きく変化しています。白人が無条件に優位に立つ時代でなくなっただけでなく、アメリカのジニ係数は40を超え、先進国中最悪のレベルにあります。社会主義的な政策を打ち出している民主党のサンダース候補がクリントン候補を追う位置につけていることに象徴されるように、格差が大きくなり、中産階級が減少したことは、しかしかつてのような住民自治などに拠り所を求めるよりむしろ、「巨大な後見的な政府」への期待を大きくしています

つまり、アメリカ自身が推し進めてきたグローバル化によって、アメリカでこれまでになく「平等」が意識され、それと入れ違いにアメリカのいわば「公式の教義」である「自由」の影が薄くなっているといえます。先述のように、他の国と異なり、アメリカでは「自由」の理念が「多数者の専制」の歯止めになってきました。しかし、その公式の教義が弱体化していることは、これまで特別な歴史的条件によって免れてきた「多数者の専制」に陥る危険性がアメリカでも高まっていることを示します。冒頭で述べたように、少数派の権利の制限を当然と捉え、特定の国や集団を「悪魔化」して糾弾し、「選挙で勝てば何でもできる」と言わんばかりのトランプ候補が、少なからず支持を集めていることは、その象徴といえるでしょう。

先述のように、トクヴィルは「アメリカにアメリカを超えるものをみた」と言いました。実際、今の世界で異論をはさむことが難しい自由と平等の理念は、アメリカでいち早く形になりました。そして、冷戦終結後は、そのことの賛否はあれ、世界に民主主義を広める伝道師としての役割を果たしてきました。

一方、現代の世界を見渡せば、ヨーロッパをはじめ、世界各国で「選挙を経た多数派」によって少数派の意見が封殺され、さらに排除されることすら珍しくなくなりつつあります。ヨーロッパにおける移民排斥の動きは、その象徴です。その多くでは、これまでにも「多数者の専制」がみられました。

しかし、トランプ旋風が加速する状況は、アメリカでも民主主義の影の側面が大きくなりつつあることを象徴します。歴史上、アメリカでは1920年代の禁酒法や1940-50年代の「赤狩り」など、思想信条の観点から「多数者の専制」が生まれることはありましたが、トランプ候補の場合、「とにかくアメリカ人の生活をよくする」ことに主眼があります。つまり、物質的な満足感を引き上げることが最優先なのであって、それが支持を集めること自体、アメリカの変化を象徴します。のみならず、そこからは「多数者の専制」を抑制していた自由とその担い手だった白人中間層の衰退をもうかがえます。これらに鑑みれば、トランプ候補が「偉大な国」を連呼すればするほど、そしてそれが支持を集めれば集めるほど、いわば「特別な国」だったアメリカが「当たり前の国」になりつつあることを示すのであり、それはひいてはアメリカで「多数者の専制」がこれまでになく大きくなる可能性をも示しているといえるでしょう

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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