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【河内長野市】新滝畑台に残る石碑でわかった、滝畑ダム建設当時の市長と湖底に沈む集落の住民の思いとは

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

私のように自分の意志で勝手に河内長野に移住するには問題ありませんが、強制移住となるのは、該当の方にとってはやはり不本意なのではと思います。特に1000年以上歴史があるところでは、先祖代々の土地を手放さなければならない。辛い気持ちはとてもよくわかります。

たとえば河内長野では滝畑ダムを建設するために、湖底に沈む村の集落の人たちに対して、強制移住の措置が取られました。

なぜこんな話になったかといえば、画像のチラシがきっかけです。今回は都合により参加できませんでしたが、かわちながのボランティアガイドさんのこの企画。これに書かれていたあるキーワードがとても気になりました。

気になったキーワードとは、新滝畑台です。滝畑地区から離れた北側に同じような名前がついている理由がとても気になり、調べると驚きの事実が判明しました。新滝畑台の正体は、ダム建設で水没した村の方々が移住した場所だったのです。

この動画は、大阪府南河内農と緑の総合事務所滝畑ダム分室の公式YouTubeで紹介されている滝畑ダム建設の記録映像です。詳しくはここで紹介していますが、映像の最初のほうでは水没する集落の人たちと行政側との交渉が行われて、最終的に強制移住に同意したというような内容でした。

先日滝畑ダムを見ましたが、満水ではないため、古い集落時代の橋などが見えました。かつてはここに家があって人が住んでいましたが、ダム建設ということで北側にある新滝畑台などに移住したとのこと。

というわけで、改めて新滝畑台を歩いてみることにしました。

広野交差点から北方向に歩いていきます。この広い道は旭ヶ丘に向かうバス路線です。

広野団地緑地といわれているところまで来ました。

上で紹介した動画によれば、新滝畑台は当初、広野団地と呼ばれていたようです。団地と聞けば集合住宅を思いますが、団地は区画のことなので必ずしもそうではないようですね。

広野団地緑地を北側に歩いていくと、道が二手に別れています。

道の別れる先端に地蔵堂があります。荒堀地蔵尊と書いてあります。

荒堀地蔵尊の名前の由来などの情報がありませんが、恐らくは地蔵菩薩も人々と一緒に移住して安置したものと推測されます。

荒堀地蔵尊の隣にあるのが新滝畑自治会館です。移住してきた方々の集まる場所ですね。敷地内には記念碑があります。

記念碑には当時の黒田了一大阪府知事の言葉が刻まれています。

記念碑
断ちがたき想のたけを水底に
埋めて明日への道ひらかんとす
    大阪府知事 黒田了一

その後を要約すると、昭和四十七年十一月二十八日にダム建設を容認して調印した。千年の歴史を持つ先祖伝来の場所が水没して再び見ることのない命であると。八十戸が新しい天地を開かんと決意したとのこと。

この地を第二の故郷にすることを記念し、新滝畑と命名すると書いてありました。その横には当時の人々と思われる名前が刻まれていました。

自治会館の建物の手前にも、もうひとつ碑文がありますね。

昭和47年、当時の井上喜代一河内長野市長が20日間、現地で泊まりこんで現地の人に市の発展のためにと何度も説得をしたようなことが書かれていました。市長の情熱により住民はついに決意し、新滝畑台を第二の故郷として集団転居したんですね。

自治会館の建物です。滝畑から移住して新滝畑とするのは、イギリスのヨークの支配者がアメリカ東部を支配してニューヨークにしたのにも似ていますが、むしろ明治の開拓使で奈良の十津川村から北海道の新十津川町を建設したのに近いのかもしれません。

ここまで来たので、滝畑台を少し散歩してみました。

新滝畑台の東端の部分です。上の動画ではダム建設開始前に造成が進んでいた様子が紹介していました。

地図を見る限り、森の中にはため池が3つあるようです。確認すると北から順に池谷下池、池谷中池、池谷奥池と書いてありました。

さらに歩いていくと途中に神社を見つけました。

神社名などは載っていません。社の手前にも何か祀られています。

神社名もわからないので由来などは全く不明ですが、考えられるとすれば、ダムに沈むので住民と共にこの地に移動して来たのではということ。

最初のボランティア企画のチラシを見ると、新滝畑台・瀧口明神という名前があったので、もしかしたらここは瀧口明神という名前なのかもしれません。参拝をさせていただきました。

振り返ると鳥居の後に昭和五十五年の銘があります。鳥居の前の石燈籠にも鳥居と同じ年に建てられたと刻まれていました。

というわけで、新滝畑台を歩きました。先祖代々の土地がダムによって水没と聞けば誰もが驚くし反対しますが、当時の市長の熱意により集団移住を決意したということ。また新天地に石碑を刻んで第二の故郷にしようという当時の人たちの熱い思いが強く感じられました。

実際に河内長野と富田林の一部の地域では滝畑ダムの水を中心に飲み水に使いますが、それ以外の大阪府内は南部も含めて琵琶湖に頼っているそうです。水は必需品なので、リスク分散の意味としても、滝畑ダムの存在はとても重要。強制移住に同意してくださった当時の住民の皆さんの決断の大きさを感じました。

荒堀地蔵尊・新滝畑台自治会館

住所:大阪府河内長野市小山田町

アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 畑集会所前バス停から徒歩1分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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