「転勤族」はオワコン? これからの転勤改革
「転勤族」はすでにオワコンか?
「転勤族」という言葉を、めっきり聞かなくなりました。以前なら「転勤族」といえば……
■自己犠牲を支払った会社への貢献
■いずれ本社に戻って重用される可能性大
■たとえ本社に戻れなくとも支社のトップ人事の椅子は確約
という印象があり、飲み会の席で「俺たち転勤族だから」と言えば、「がんばれ転勤族!」と応援されるような立場であったのです。しかし、ここ最近、そのような風潮はありません。「そこまでして出世したい気持ちはない」「自分のやりたいこと、家族を犠牲にしてまで会社に忠誠でありたくない」という価値観が若者(といっても20代に限らず)を中心に広がっているからです。飲み会の席で「俺たち転勤族」と言っても、今では顔をしかめられるケースが増えたことでしょう。
「転居を必要とする配属転換」が減っているわけでもないのに、この言葉が使われなくなったのは、このような背景がある気がします。「窓際族」と同じ。すでに「転勤族」という表現そのものが「オワコン」になっているのです。
「転勤」の制度は必要なのか?
その地域で生産されたものを、その土地で消費することを「地産地消」と言います。この考えと同じように、その地域で採用した人物を転勤させることなく、本人が希望するかぎりその土地で働いてもらうということができれば、「転勤」という発想はなくなります。しかし、企業サイドからすると、そういうわけにはいきません。
企業からすれば「適材適所」というのは、能力や将来への期待度などを加味して捉えるもの。とくに全国に支店・支社のある大企業は、社員に対して、大都市だけでなく地方都市の実態も把握してほしい。同じ職種ではなく、いろいろな職種を経験してもらいたい。と考えるものです。
それに、現代は「多様性」が求められる時代です。
「大学を卒業してからエンジニア一筋です」
「25年間、本社で経理の仕事をしてきました」
「札幌支店のことなら何でもわかります」
という偏った職歴の人材を経営幹部に登用することは難しいでしょう。それなりのポストに就く人は、それなりの「俯瞰力」を備える必要があるからです。そしてもちろん、誰が幹部候補生になるかは、そのプロセス成果を見なければわからないため、「幹部になる人だけが転勤をすればいい」という発想を企業サイドが持つことはできません。
これからの転勤改革
社員の視点からすれば、「もっと社員の言い分を聞いてほしい」「もっと希望を聞いたらいい」と言いたいはず。しかし、企業の視点からしたら、それは難しいのです。社員の言い分を聞いてしまったら、
「あの土地はちょっと……」
「あそこの支社には、やっかいな課長がいると聞いてます」
「もっと便利な地域がいいなあ」
などとワガママを言われ、不人気な支店・支社が必ず出てきます。公正に転勤を促すには、社員の言い分ばかりを聞いてはいられません。これは入社したときの配属と同じ考え方です。希望が通るとは限らないのです。
とはいえ昨今は、転職希望者にとって「超売り手市場」の時代です。転勤を言い渡されてすぐに転職を希望する方も増えています。将来、転勤があるような会社には行きたくない、「転勤族」になるだなんてとんでもない、と考える就活生も多い。
前述した通り、100%社員の希望を叶えることは難しいでしょう。しかしひとりひとりと向き合い、それぞれのキャリアデザインを一緒に考える努力は企業サイドにあってしかるべきです。少なからず、1週間前に突然の転勤辞令を出したり、第一子が生まれて間もないのに容赦なく遠方への転勤を言い渡したりといった、理不尽な対応は慎むべきです。
「数年置きの転勤」は心身ともに大きなストレスを与えます。「働き方改革」の一環として長時間労働も是正しなければなりませんが、システマチックで、柔軟性に欠ける転勤制度もまた早急に見直す必要があります。