「出会い系バー」問題 共有したい大前提
あなたは「現場」に出る官僚をどう思いますか?――こう聞けば、たいていの人は「評価する」と答えるのではないか。
霞が関の机の上に座ってるだけじゃなくて、現場に行って、課題を肌身で感じて、それで大事な税金をどう使うか考えて欲しい、と。
じゃあそれが「出会い系バー」だったら?――話は変わってくる、のか?
私は、貧困問題全般に関心を寄せる中年男性だ。
中年の男性なので、若い女性の貧困問題が出てきたときは、実際どうなっているのか、今一つわからないと感じ、知りたいと思った。
家出少女などを支援する仁藤夢乃さんがやっている女子高生サポートセンターColaboの主宰する「夜の街歩きスタディツアー」に参加した。
繁華街で、仁藤さんが「あの人も(キャバクラなどの)スカウト、あの人も…」というのを聞いて、全然わからなかったと思った。自分自身が声をかけられたことがないので、声をかけられた人たちが経験的に「わかるようになった」ことがわからない。
10m歩くたびに声をかけられるような感じだったら「声をかけてくる人たちはそういう人たち」と思うようになっても不思議はないだろうと感じた。
JKビジネスの店舗が林立する界隈で、数メートル間隔で立っている女の子たちに話しかけて、どんな思いで働いているのか、感触を知ろうとしたこともあった。『性風俗のいびつな現場』の著者・坂爪真吾さんには、機会があれば連れて行ってくれるように頼んだこともある。
それなりにわかったつもりでいても、現場に行ってみると新たに気づくことがある。その蓄積が、問題を多角的に見る目を養い、大きくは間違えないようにしてくれる。だから、できるかぎりいろんな人を現場に連れて行こうとしてきたし、官僚の人たちにも、積極的に出向いて、政策に反映させてほしいと思ってきた。
声をかけられる人からどう見えているかがわからなければ、その人にどうアプローチしていいかもわからないのだから。
それについての肌感覚を持っていないから、「こうなるはず」と時に現実味のない政策を打ってしまうのだから。
偉くなっても現場に出る官僚、いいじゃないか。
それなのに、どうして「行ったこと自体が問題だ」とか「淫らな行為をしてないからいい」とか、「行くのは良くない」という前提で話が進んでいるのか。
前川氏がどういうつもりで行ったのか、私は知らない。知らないことを「こうに違いない」と決めつけるつもりはない。
しかし大前提として「現場から学ぼうとする姿勢は大切だ」というところから、話を始めてほしい。「ただ目的が違っていたら話は別」という話が続いてもいい。要は、大前提を共有して話してほしい。
いいところだけ、きれいなところしか見ない官僚が、厳しい人たちの気持ちに寄り添う政策を作れると思えないから。
願わくば、現官僚の人たちも、臆することなく、必要と思うところには、アヤシイと言われるところであっても、どんどん出かけて欲しい。自分の視野を広げるために。
そして上司の人たちは「時節柄、誤解を招きかねないところへ行くのは慎むように」とか言わないで欲しい。そうやって無難にやり過ごすだけでは、本当に「響く」政策はつくれないと思う。
加計学園問題の「本質」と違う話であることは承知している。
それでも、「出会い系バーに行った」ことの取り扱われ方にどうしても納得できないものを感じたので、ひとこと言わせていただいた。
(10:26一部修正)