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木村拓哉主演『レジェンド&バタフライ』入門 織田信長が将軍・足利義昭の命を奪わなかった驚きの理由

濱田浩一郎歴史家・作家

木村拓哉さん主演の映画『レジェンド&バタフライ』が公開されています。木村さんは、史上有名な戦国大名・織田信長を演じています。信長の運命を変えた男の1人には、室町幕府の第15代将軍・足利義昭がいると私は思っています。

兄・義輝(十三代将軍)が三好氏らにより殺された後、諸国を流浪し、義昭は最終的には信長を頼ります。そして、信長は義昭を奉じて、上洛。義昭を将軍の座に就けることに貢献するのです(1568年)。義昭が信長を頼らなければ、信長の運命も変わっていたでしょう(逆に言えば、義昭の運命も信長が変えた)。

映画では、義昭が頼ってきた時の信長の驚きと感動が描かれていたと思います。しかし、信長の義昭に対する想いも、時が経つにつれ、冷めていき、ついには愚物扱いするようになるのが印象的でした。

元亀3年(1572)、信長は義昭の振る舞いに我慢がならず「17ヶ条の意見書」を義昭に奉呈しています(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記『信長公記』)。その中には「ちゃんと参内(宮中に参上すること)するように」とか「新参者に恩賞を過分に与えないように」「信長に忠節を尽くしている者に辛くあたっている」などの不満が書き連ねてありました(また、信長と義昭が不仲であるとの噂が流れていたことも記されています)。

義昭はこの意見書を見て、不満に思ったようです。そして、ついに信長に対し「謀反」を企て挙兵(1573年)。信長は当初、義昭に和議を申し込みますが、義昭が拒否したので、その御所を包囲。上京に放火します。すると義昭は和議に応じるのです(4月)。

だが、同年7月、義昭はまたもや挙兵。宇治の槇島城に籠ります。信長自ら出陣し、軍勢をもって城を攻めると、義昭はあっという間に降伏。信長は義昭を殺しませんでした。

それはなぜか?『信長公記』によると「義昭を切腹させても、天命というものが恐ろしい。そのようなことをしても、将来、思う通りに物事は運ぶまい。義昭の命を助けて、その是非は、後世の人々の判断に任せよう」というのがその理由のようです。

将軍・義昭を殺すことにより、天の怒りをかうことを恐れたこと、将軍殺しの「汚名」をきることによる不利益を勘案したのでしょう。義昭は都から追放され、ここに「室町幕府」は滅亡します。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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