韓国に北朝鮮ヒットマンは潜んでいる――国会議員になった太永浩・元駐英公使の警護は首相級
韓国総選挙(4月)で最大野党・未来統合党から立候補して当選した元・北朝鮮駐英公使の太永浩議員に最高水準の警護が施されている。韓国では過去、北朝鮮から亡命した要人に対する暗殺・未遂事件が起きており、韓国当局は国政を担うようになった「元北朝鮮住民」の身辺警護に神経を尖らせている。
◇「コップも個別に検査」
総選挙で太永浩氏(候補登録名は「太救民」)はソウルの選挙区で出馬して当選した。脱北者が過去に比例候補として韓国国会議員になった例はあるが、選挙区での当選は初めてだった。当選が確定したあと、太氏は涙ながらに「政府が北朝鮮の現実を直視し、持続可能な対北朝鮮政策を展開できるようすべての力を尽くす」と訴えた。5月31日、太氏はスタッフとともにソウルの国会議員会館に移った。
韓国紙・中央日報(6月1日)によると、警察当局は太氏を、重要度の極めて高い警護対象に分類しているという。ソウル警察庁の警察官が24時間態勢で張り付き、護衛の警察官は護身道具を所持したまま国会を出入りできるようにしたという。移動の際も、複数の車が同時に動く形を取り、太氏がどの車に乗ったのかわからないようにしている。国会関係者は中央日報の取材に「首相級に準じた警護」と表現しているという。
太氏自身も身の安全に神経を使い、「食事の席でもコップなどは個別に検査するほど、警護に気を遣っている」(太氏に近い関係者)という。
太氏は駐英公使だった2015年、金正恩朝鮮労働党委員長の実兄・金正哲氏がロンドンでエリック・クラプトン公演を観覧した際に随行し、その様子が外国メディアのカメラにとらえられていた。翌年7月に韓国に亡命したことから、金王朝の実態を知る人物として注目を集めた。
筆者は太氏が脱北して1年半に満たない2017年12月、ソウルでインタビューをしたことがある。待ち合わせ場所は当日になって携帯電話で指示され、太氏は3~4人の警護要員に取り囲まれながら取材現場に現れた。警備要員が遠巻きに監視するなかでの取材となり、終了後も太氏は彼らに取り囲まれて姿を消した。その際、取材場所を公開しないよう繰り返し念押しされた。
◇決して安心できない脱北高官の韓国での生活
韓国政府発表(1998年)によると、1990年代、北朝鮮には対南工作を担う組織は5つあった。
・朝鮮労働党統一戦線部(統一戦線の形成や対南心理戦を担う)
・党作戦部(破壊工作や要人暗殺の実働部隊を束ねる)
・人民武力省偵察局(武装工作員の韓国送り込みと対南軍事情報収集)
・党対外連絡部(韓国での地下組織や工作員の教育・管理)=旧・社会文化部
・35号室(海外拉致・テロを計画・実行)=旧・対外情報調査部
2009年に当時の最高指導者、金正日総書記(金委員長の父)の指示によって、党作戦部や35号室などが統合され、現在の朝鮮人民軍偵察総局となった。対外連絡部は縮小されて名称も「225号室」となり、現在は党統一戦線部の指導を受ける。
2010年に起きた韓国海軍哨戒艦「天安」号沈没事件や延坪島砲撃事件や、金委員長の異母兄、金正男氏の暗殺事件(2017年)への関与が疑われる。
韓国に亡命した北朝鮮要人らが北朝鮮側に命を狙われた例としては、金王朝の内幕を暴露した李韓永氏や、韓国に亡命した北朝鮮要人の最高位といわれる黄長ヨプ・元朝鮮労働党書記をターゲットにしたものがある。
李韓永氏は、金総書記の同居女性だった成恵琳氏の甥。スイス留学中の1982年、韓国に亡命した。金正男氏の「学友」であり、権力中枢部の情報を知り得る立場にあった。暴露本「平壌『十五号官邸』の抜け穴」を出し、金総書記を正面から批判していた。
北朝鮮による報復への懸念から、亡命の事実は長く伏せられ、名前も本名「李一男」から「李韓永」と変更して顔の整形手術まで施したとされる。だが1997年2月、京畿道城南市のアパートで銃撃され、死亡した。36歳だった。実行したのは、社会文化部所属のテロ専門家による特殊工作チームだった。
黄氏は金日成総合大学総長、最高人民会議議長、朝鮮労働党書記などを歴任した北朝鮮の最高指導者に近い存在で、指導理念である主体思想の権威とされた。1997年2月、北京で韓国大使館に亡命申請し、同年4月にソウル入りした。
黄氏も北朝鮮当局の暗殺対象となり、人民武力省所属の工作員2人が脱北者を装って韓国に入り、実行前の2010年4月に韓国で逮捕されたこともあった。2人は調べに対し「人民武力省から『黄氏が明日死ぬとしても、自然死させてはいけない』と指令を受けた」と供述したという。
その黄氏は2010年10月、ソウルの自宅浴室内で心臓まひで死亡した。司法解剖などの結果、事件性がないことが確認されている。