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【富田林市】今日から日曜までは錦織・彼方のだんじり!目玉は甲田若衆による46年ぶり天誅組にわか奉納

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

先週は河内長野で秋祭りが行われました。そして今週と来週はいよいよ富田林で秋祭りが開催されます。

河内長野のだんじり10月7日撮影
河内長野のだんじり10月7日撮影

河内長野は全域で同日(7・8日)に開催されましたが、富田林は錦織神社を中心とした地域と美具久留御魂神社を中心とした地域とは1週間ずれて開催します。

日程が分かれている明確な理由ははっきりしませんが、開催している地域を見比べると、富田林がかつて旧石川郡と旧錦部郡(にしごりぐん)に分かれていたころの地域とほぼ一致しているようだったので、それが関係しているような気がします。錦織神社と春日神社は旧錦部郡にあります。

それに対して美具久留御魂神社などは富田林市の中でも旧石川郡に属しているので、同じ富田林市なのに日程にずれがあるような気がします。

いずれにせよ、富田林は2週連続で秋祭りモードになります。祭りは本来土日ですが、前日に当たる本日金曜日の夜は各地域で試験曳きが行なわれますので、本日から祭りモード全開です。

昨年、錦織神社や彼方春日神社に宮入りするだんじりの様子を撮影しましたので、それを紹介しながら秋祭り気分を盛り上げていきましょう。画像は祭り当日の近鉄川西駅ですが、法被を着た子供がいました。

錦織神社です。的屋さんも出ていて秋祭りモード全開です。

境内に入ると既にだんじりが鳥居をくぐろうとしています。昨年はまだ感染対策の関係もあり、だんじりは一台ずつ神社境内に宮入りするスタイルでした。そして俄(にわか)の奉納もありませんでしたが、今年は本来のスタイルに戻るとのこと。

いつも見る錦織神社の鳥居を見て「高いなあ」と思っているのですが、石川型と称される大型のだんじりが通過するのはギリギリの高さです。

天井の屋根に登っている大工方の人たちもしゃがみながら鳥居をくぐりました。

昨年はイレギュラーの為、だんじりは神社の入り口で待機していました。

富田林のだんじりは大型なので、河内長野でやっているぶん回しや岸和田や三日市町でやっているやり回しのようなものは行わないようです。ただし、左右上下には激しく動かします。その代わり小さな舞台になっていて、俄(にわか)の披露・奉納が行われるわけです。

遠くからだんじりが向かってきている様子が見えました。

富田林のだんじりは曳き唄を歌いながら曳行するのが特徴です。

雰囲気を少しでも味わっていただこうと動画も撮りました。

こちらは宮入りをしただんじりの様子です。神社の宮司さんとのやり取りをしているシーン。

常に賑やかなイメージのあるだんじりもこの時だけは静かです。

順番に境内に入ってくるだんじり、大型なので本当に多くの人がだんじりに乗っています。大工方も3名確認できますね。

最初にも書きましたが、今年はこのスタイルではなく、すべてのだんじりが午前中に一斉に境内に入り、神事が行われた後、順番ににわかが奉納される予定です。

ところで実に46年ぶりに復活する予定の歴史を舞台にしたにわかが奉納されるという情報を得ました。それは甲田地域で天誅組(天忠組)のにわかが奉納されるというのです。

歴史を舞台にしたにわかは、特に人気があるように思います。昨年美具久留御魂神社で奉納された楠木正成のにわかは特にインパクトが強い印象があります。

府指定史跡の水郡邸
府指定史跡の水郡邸

天誅組河内勢の首謀者は水郡善之祐(にごり ぜんのすけ)です。彼は甲田の水郡邸に住み、水郡神社(現:錦織神社)の神主でした。大庄屋という甲田地域の有力者の地位にいました。

※10/15訂正:水郡善之祐が神主(宮司)及びその他神職(禰宜など)の職にはついていないという情報をいただきました。確認したところその件は間違いないと、吉年宮司からの確認もありました。情報が誤りであったことを謝罪し謹んで訂正いたします。

錦織神社は明治40年以前は水郡天王宮と呼ばれていた
錦織神社は明治40年以前は水郡天王宮と呼ばれていた

「水郡家諸記録」水郡家(南甲田)によれば、1752(宝暦2)年の段階でだんじりがすでにあったとのこと。つまり秋祭りになれば善之祐が神社に宮入りする地域のだんじりと対面し、神事を執り行ったと考えられます。

その後善之祐が後に京都で起こった天誅組(天忠組)と呼ばれる動きに賛同し、河内の仲間を募って京都からの本体と合流し、奈良・五條に向かったのです。

今年は天誅組決起160年という記念すべき年です。この絶妙なタイミングで、水郡善之祐が住んでいた甲田地区の若衆(青年団)が46年ぶりに天誅組に関するにわかを復活させようというのですから、とてもすごいことですね。

本番に向けての練習が行われていると聞いたので、とても気になった私は今週の初めに甲田の集会所に行きました。甲田若衆のみなさんは、昼間仕事や学業を持っているので、夜に練習を行います。

甲田のだんじり小屋の前にある集会所の前に人が集まっていますね。さらにだんじりの賑やかな音が聞こえてきました。

甲田のだんじりの練習をしています。

富田林を含めた南河内地域の名物の曳き唄も聞こえますね。祭りはまだ始まっていませんが、ここはもう始まっています。

そして、この普段とは違う夜の雰囲気に興奮しているのが子どもたち。元気に走り回っています。

46年ぶりなので、1977(昭和52)年以来となります。さらに興味深い情報として、1982(昭和57)年~1990(平成2)年の間は甲田のだんじりが休止していたとの情報を得ました。代わりに子供だんじりを出していたそうです。

これは美具久留御魂神社の場合ですが、昭和50年代のころには宮入りするだんじりが3つしかなかったそうなので、甲田のにわかが行なわれなくなった頃というのは、だんじり不毛の時期だったのでしょう。

集会所の2階でにわかの練習が行われます。演じるのはこちらの若者ふたり。浦田さんと平松さんです。初めてにわかを演じる役者をするよう指名された時には驚き、正直なところ演じられるのかとても心配だったそうです。

それでもふたりは集会所に集まって練習が始まった1週間で、にわかのセリフを覚えたそうです。今日は本番を想定し、舞台衣装も着用してのリハーサル。

今回は46年ぶりの天誅組にわか復活なので、下水分社喜楽座座長の尻谷さんご夫妻が、自分の氏地(うじち)ではない錦織神社の祭礼の為に、一役買ってサポートをしています。

用意したもの、例えば上の髷のかつらひとつをとっても、尻谷さんからの意見が飛びました。「今回のにわかの登場人物の立場で、かつ幕末の天誅組決起直前の頃にそんな髪型はしていない。ざんばらの髪型の可能性が高い」という風にです。

真ん中が河下さん
真ん中が河下さん

尻谷さんの意見を真剣に聞いているのは、今回のにわかの台本を書き責任者でもある河下さん。本業はサラリーマンです。河下さんが今回天誅組にわかをやろうと思ったのは、天誅組河内勢は地元甲田の誇りであり、今年決起160年のタイミングでやらなければならないと思ったからとのこと。

尻谷さんは次に顔にメイクを施します。舞台役者に施すドーランのようなものですが、みたところ市販の化粧品を使っているようです。

このように顔が白塗りになりました。尻谷さんは本番では本格的なものにするとのこと。尻谷さんによればにわか舞台のメイクひとつをとってもやり方を実際に見てもらい、それを若衆の中で実践しながら学んで欲しいと伝えます。

今回はメイクの施しとその取り方の説明です。メイク落としを使えば驚くほど簡単に白塗りが取れます。

この後いよいよリハーサルです。にわかが始まると、それまでと違った南河内の言葉を話すふたり。それ以上に声が大きく、遠くまで伸びるような声で演じます。

肝心のにわかの内容は、もちろん天誅組決起のことについてのことが話題に盛り込まれ、またチリンサンという集会所の目の前にある信仰対象での存在でのやり取り、さらに途中で歌も歌います。短いながらも変化がある内容です。

そのあと最後のオチの部分がありますが、それは当日神様の前で奉納するまでは、公開が禁じられているのでここでは書きません。気になる方は当日錦織神社に行きましょう。

河下さんの話ではだんじりの宮入は14日土曜日の朝に行われ、神社内での儀礼が一通り終わった12時15分からにわかが始まります。最初に錦織のにわかが奉納されてから、いよいよ甲田のにわかが奉納されます。

リハーサルでは見事ににわかを演じたふたり。当日は神様や多くの人々が見守る中、緊張が入るかもしれませんが、見事に46年ぶりに復活したにわかを演じてくれると思われます。

幕末を前に夢を果たそうと決起した水郡善之祐、その歴史的事実をにわかという形で、地元甲田の若衆が夜に練習を重ねています。善之祐が草場の陰で若衆のにわかを楽しみにしている、今回練習風景を見てそのように想像しました。

さて、昨年に話を戻しましょう。錦織神社のほかにも彼方(おちかた)春日神社で、彼方のだんじりの宮入が行われていました。

神社の階段を上ると既にだんじりが境内に入っていく様子が見えます。

彼方のだんじりが宮入りする時間に間に合いました。

神職が儀式を行います。

宮入りの儀式が終わったあと、だんじりは神社を後にしていきます。

そしてそれを見守る神職や地域の顔役の様な方の姿。これは昨年も思いましたが、だんじりを見守る姿に親(氏神の代理である神職)が子(だんじりを曳く氏子)を温かく見送っているように見えました。善之祐も天誅組に参加する前年の秋祭りまでは、地域の顔役としてだんじりを見送っていたのでしょう。

こうしてだんじりは再び町を練り歩いていきました。

という事で昨年のだんじりの様子をご紹介しました。地域により多少の差はあるようですが、今日金曜日の夜から試験曳きが始まり、明日は宮入(本宮)、明後日が最終日(後宮)という日程です。46年ぶりに復活する天誅組にわかも楽しみですね。

錦織神社
住所:大阪府富田林市宮甲田町7-2 
アクセス:川西駅から徒歩6分

彼方春日神社
住所:大阪府富田林市彼方329
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩14分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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