【富田林市】南甲田のチリンサンとはナニモノ?名前の謎、古来の民間信仰と富田林の民話をご紹介!
とある所用で、近鉄長野線川西駅周辺を歩いていたときのこと、「チリンサン」と書かれた不思議なスポットの目の前を通りました。チリンサンとはいったいなに?不思議に思ったので、調べてみることにしました。
場所は南甲田地区。近鉄川西駅から東高野街道が東北の方向に続いており、そのまま寺内町に達します。この辺りは古くから集落の名残りがあり、道も細くてやや複雑です。
チリンサンのあるところは、東高野街道から坂道を上ったところにあります。南甲田地区の町民会館や甲田のだんじり倉庫があるので、これを目印にするとわかりやすいかも。この反対側にチリンサンがありました。
こちらがチリンサンです。チリンサンについていろいろ調べてみると「賽(さえ)の神とか道祖神(どうそじん/しん)」と呼ばれるもので、村や集落の端にあって外から入り込んでくる悪い邪気などを追い払って、村や集落の人を守っていた神様とのことなんだそうです。
同様なものが、近くにある佐備神社と板茂神社にもあるそうです。ただ、どちらも行きましたが、賽の神らしいものは見つけられませんでした。ひっそりしたところにあるためでしょうか?私はまだまだ調査不足。でもチリンサンは、道の目の前にあってわかりやすいですね。
賽の神について他の場所の画像を確認しましたが、小さな祠があり、そこに丸石が詰められ、そこからはみ出たりしていました。ところがこのチリンサンの場合は祠がなく、祠の代わりの小さな石の家と、その外の両側に石が5個ずつ置かれています。
かつて、目の前の道路の坂を整備したことがあり、その際にチリンサンをいったんこの場所から別の場所に移したとのこと。そして再び鎮座させたときに、新たに作られたもののようです。そして、立派な石碑も置かれました。
ところで「チリンサン」という名前そのものについてはその由来などはよくわかっていません。いつ頃から祀られていたのかもはっきりしないそうです。朝鮮半島の百済の文化が影響しているのではという説もありました。
日本書紀に、この地域を「下百済河田村」と呼んでいるとの記載があり、渡来人が住んでいた可能性があります。周辺に古墳が多いのも、これと関係しているのでしょう。
この丸い石は和泉砂岩(いずみさがん)で、近くの石川から拾ってここに鎮座したものと思われます。賽の神は、外から集落を守るとともに、子どもも守ってくれるとか。
子どもがイタズラをして石を別の場所に動かしても、翌日には元の場所に石が戻っているという伝承があるのだそうです。
さらに、このチリンサンは、現在も「葬儀の際には通ってはいけない」という決まりがあるとか。そして目の前の坂は、チリンサンの坂と呼ばれていて、ここに神様がいるそうです。
葬儀という「穢れ(ケガレ)」が神様の前を通過することが問題ということ、あるいは賽の河原(三途の川)と賽の神が融合している関係という情報もあるようですが、こちらも明確な理由は不明。
古くからの民間信仰なので、おそらく誰にもほんとうのことがわからなくなっているようです。
さて、チリンサンには「ちりんさんの坂」という富田林の民話がありました。
1999(平成11)年3月、富田林民話研究クラブ編著による「富田林の民話・総集編」より引用します。
なおこの民話が収蔵されている書籍は、富田林市立中央図書館、中央図書館東分室、富田林市立金剛図書館で借りられます。これを機会に、地元富田林の古くからの民話や民間信仰を探してみてはいかがでしょうか?
チリンサン
住所:大阪府富田林市甲田2丁目16
アクセス:近鉄川西駅から徒歩4分