空襲や再開発を乗り越え…東京23区にも実は17駅に残っている木造駅舎
昔ながらの駅の姿を留める木造駅舎、と聞いて多くの人が思い浮かべるのは地方のローカル線の小さな駅だろう。逆に都会、特に東京23区内の木造駅舎というと、惜しまれつつ姿を消した原宿駅の木造駅舎の印象しかない人も多いはずだ。実際、東京23区内には木造駅舎があまり多くない。約490ある駅のうちわずか17駅にしか残っていないのだ。比率にすると0.03パーセントの駅にしかないことになる。
だが、逆に見方を変えてみれば、駅設備の新陳代謝が激しい中で16駅「も」残っているとも言えよう。この記事ではそんな23区内の木造駅舎16を紹介していく。
まずは、山手線から。山手線では近年、原宿駅や新大久保駅から木造駅舎が消え、その他の駅でも改良工事が積極的に行われている。言わば日本でも有数の新陳代謝の激しい路線だが、鶯谷と田端の2駅には奇跡的に木造駅舎が残っている。
鶯谷駅の南口駅舎は昭和2(1927)年10月に建てられたもので、今年で築97年。上野台地の高台側に面した出入口で、京浜東北線の線路上に人工地盤を設けて、その上に建てられている。駅前には徳川将軍家も眠る寛永寺霊園が広がっており、駅舎を建てる用地がなかったことから、このようにしたのだろう。今では都市部で数多く見られる「橋上駅舎」の元祖とも言うべき存在だ。ちなみに日本で初めて橋上駅舎が建てられたのは山手線の目白駅である。
鶯谷駅の3駅隣、田端駅にも木造駅舎が残る。こちらも上野台地の高台に面した出入口だが、鶯谷駅と比べるとかなりこじんまりとしている。建物財産標によれば昭和3(1928)年に建てられたものだ。丘の上の住宅街から不動坂を下ったどん詰まりのような立地で、とても山手線の駅とは思えないほどひっそりとした雰囲気だ。駅舎内は無人で、狭い空間に自動改札機や券売機など都会の駅の最低限の設備が詰め込まれている。
東武伊勢崎線では堀切駅に木造駅舎が残る。下り北千住方面ホーム側の西口駅舎は赤い屋根の素朴な木造駅舎だ。築年は不詳だが、現在地に移転したのが大正13(1924)年10月1日なので、それ以降のものと見るべきだろう。駅東側には荒川河川敷の堤防が迫っており、「三年B組金八先生」のロケ地としても有名だ。
東武亀戸線では亀戸水神駅と東あずま駅に木造駅舎が残る。亀戸水神駅の駅舎は一目見ただけでは木造駅舎だとは気付かないが、注意深く見てみると、木造駅舎の周囲に増築したものだとわかる。元の駅舎は昭和21(1946)年12月5日の駅移転時に建てられたものだろうか。
かな混じりの駅名が印象に残る東あずま駅の駅舎は一部二階建ての木造モルタル駅舎だ。昭和31(1956)年5月20日の開業に合わせて建てられたものだろう。駅名は旧地名の「吾嬬(あづま)町」に由来し、漢字が難しいことからひらがな表記としたのだろう。
東武東上線では北池袋駅、下板橋駅、中板橋駅、ときわ台駅、下赤塚駅に木造駅舎が残る。北池袋駅の駅舎は昭和26(1951)年9月1日開業時からのものと思われるが、前面に増築されているため、あまり古さは感じさせない。当駅の開業以前、同一地点に東武堀之内駅があったが、戦災の影響により廃止されている。
下板橋駅の北口駅舎は切妻屋根の木造駅舎だ。当駅も昭和20(1945)年4月13日の東京大空襲で全焼しており、駅舎は戦後再建されたものだが、詳細な築年は不明。「板橋」と付くが、駅の所在地は豊島区だ。元は板橋区内にあったものの、昭和10(1935)年3月13日に現在地に移転している。
中板橋駅の南口駅舎も古い木造駅舎だ。夏季は駅前の木々によって駅舎が隠されてしまうので、駅舎の全体像をよく見たいなら冬期がおススメだ。駅前も含めて昔ながらの大都市近郊の私鉄駅らしい雰囲気を色濃く残しているが、開かずの踏切解消のために将来的には高架化することが検討されている。
ときわ台駅は東武鉄道が開発・分譲した「常盤台住宅地」への玄関口として昭和10(1935)年10月20日に開業した駅で、当初は「武蔵常盤」を名乗っていた。北口駅舎は開業時のもので、昭和30~40年代に増築が行われていたが、平成30(2018)年5月30日に開業時の姿に復元された。スペイン瓦の青い屋根と大谷石張りの壁面が瀟洒な印象を与える駅舎で、東武宇都宮線の南宇都宮駅にも似た駅舎が残っている。
下赤塚駅の北口にも木造駅舎が残るが、現在は駅舎としての機能はなく、テナント併設の入口として使われている。駅の開業は昭和5(1930)年12月29日だが、駅舎の築年は不詳。
東急の支線である池上線と多摩川線(通称:池多摩線)も立体交差化があまり進んでいないだけあって、木造駅舎が多く残されている。
多摩川線の武蔵新田駅では、上り多摩川方面ホームに面して木造駅舎が残っている。右側が入母屋、左側が切妻の「片母屋」の見るからに古そうな駅舎だが、築年は不詳。単なる偶然だろうが、東北本線の新田駅(宮城県登米市)の旧駅舎も片母屋の造りだった。
隣の矢口渡駅にも木造駅舎が残る。こちらは切妻屋根で、入り口部分に屋根が増設されている。小さいながらも間口の広い駅舎が利用者の多さを感じさせる。駅名は、戦後まで存在していた多摩川の渡し船「矢口の渡し」に由来。
池上線の久が原駅でも上り五反田方面ホームに面して木造駅舎が残っている。正面にATMが設置されているため、全体像は踏切の反対側から撮った方が分かりやすいだろう。壁面には六角形の窓があり、レトロな雰囲気を醸し出している。開業は大正12(1923)年5月4日で、築年は不詳。
御嶽山駅の上り駅舎は一部二階建ての切妻屋根の木造駅舎だ。築年不詳だが、改装されているのであまり古そうには見えない。駅名は、木曾御嶽山で修業した行者が中興したと伝わる御嶽神社に由来する。
石川台駅の下り駅舎も木造駅舎だ。二方向に三角形のファザードがあり、小さいながらも風格を感じさせる。開業は昭和2(1927)年8月28日で、当時のものである可能性もある。駅周辺はドラマのロケ地としてよく使用されるため、ドラマの中で当駅を見たことがあるという人も多いだろう。
洗足池駅にも木造駅舎が残る。赤い屋根の駅舎は昭和9(1934)年8月に建てられたもので、まもなく築90年を迎える。エレベーターが設置されたことを除けば、古くからの設備がよく残っており、戦前の都市私鉄の高架駅らしい雰囲気だ。駅名は東京都指定名勝の洗足池に由来。
商店街で有名な戸越銀座駅にも木造駅舎が残る。築年不詳の一部二階建てで、原型は御嶽山駅と似たような形だったが、平成28(2016)年12月11日にレトロ風に改装された。駅舎内だけでなくホーム上屋にも多摩産の杉材がふんだんに使用されている。
以上、東京23区内に残る17の木造駅舎を紹介してみた。かなり路線的な偏りはあるが、それだけにまとめて巡ることも容易である。東京に住んでいる方は休日のお出かけに近場の木造駅舎を巡ってみるのはいかがだろうか。