どうなる「月100時間」残業上限規制……「長時間労働」が日本の貴重な資源であるなら
経団連前の抗議デモは異常か?
政府が検討している「残業時間の上限規制」について、経団連と連合が「特に忙しい時期」の上限規制として「月最大100時間」とする方向で最終調整に入りました。
連合側が「月100時間未満」と主張するいっぽうで、経団連側は「100時間残業もやむなし」としています。これを受けて経団連会館の前に100人を超える労働者が集結。大規模な抗議デモを行いました。社民党の福島瑞穂議員も駆け付けたと言います。
正直なところ、エスカレートしすぎでしょう。抗議デモにまで発展した一連の「月100時間も残業させるなムーブメント」に関して、私はかなり冷めた目で見ています。昨年から「働き方改革」をテーマにしたニュースやコラムを取り上げ続けているメディアに踊らされている感じがするからです。
ある一方の視点だけで物事をとらえていても、根本的な問題は解決しません。「自分さえよければいい」という自己中心的な言動は控え、相手の立場に立って物事を考えるべきです。政府は国民の立場に立ち、経営者は労働者の立場に立ち、そして労働者は経営者の立場に立って、冷静に物事をとらえるべきです。
企業経営における3つの課題
これからの将来、日本企業が経営するうえで直面する重要なファクターは3つです。
1)少子化
2)働き方改革
3)AI、ロボット等の進化
2014年のデータですが、日本の「生産年齢人口(15~64歳)」はついに8000万人を割り込んでいます。政府が掲げる「一億総活躍」のキャッチフレーズはいいですが、生産年齢人口はとっくに一億人を大きく下回っています。
さらにいえば、日本は世界の少子化ワースト2位(合計特殊出生率が1.4人)の国ですから、「生産年齢人口」がさらに減り続けることは確実。「一億総活躍」どころか「七千万総活躍」としなければならない日が来るかもしれません。
いっぽうで、現在の「働き方改革」が進めば、1人当たりの労働時間が相対的に減っていきます。したがって「生産年齢人口」の減少とダブルパンチで、将来に向けて「日本人の総労働時間」が極端に減っていくことは明白です。
資源の少ない日本が、ここまで経済発展できたのは「勤勉な国民性」と「長時間労働」であると考えると、この流れは日本の国力に深刻なダメージを与えることは間違いありません。とはいえ、賃金には「下方硬直性」がありますから、労働時間が減ったからといって雇用主が賃金を減らすことなど簡単にはできない。
ということは、単純に”短い時間でより高い成果”を出せるように工夫することが求められます。誰が? 雇用主である経営側でしょうか? もちろん違います。
「一億総活躍」(本当は一億ではありませんが)と言うぐらいですから、働く者全員が創意工夫してこの直面している問題を解決しなければならない、ということなのです。
働く者すべてがさらなる活躍を?
現場に入ってコンサルティングをしている身からすると、そんなことはキレイゴトです。労働を「肉体労働」「事務労働」「知的労働」の3種類に分類したなら、「肉体労働」「事務労働」の従事者に大いなる創意工夫を求めるのは現実的ではありません。定められたルーティンワークを指定された時間内に淡々とこなす労働は社会システム上、重要なポジションを得ています。雇用を維持するうえでも、排除してはならない領域です。(これまでより1.2倍、1.5倍創意工夫しても、成果が1.2倍、1.5倍にはなることはありません。ちょっとした工夫ぐらいでは、短くなった総労働時間を補うほどの成果を企業側は手にできません)
また「生産年齢人口」が減っても、女性や外国人に活躍してもらえばいいと考えるのは短絡的です。AIやロボットの進化が、目の前に立ちはだかっているからです。
AIやロボットの技術進展に伴い、まずは「事務労働」が奪われていくと言われます。「肉体労働」も徐々に職を奪われていきます。
収益を確保できなければ、企業は生き残っていくことができません。人間よりも正確に物事を処理し、疲れることを知らないAIやロボットが普及したら、経営者は誰を雇いたいと考えるでしょうか。賃金や体力やストレスに関係なく、――そして何より文句も言わずに――働いて成果を出してくれる”者”に活躍してもらいたいと願うのが普通でしょう。
性善説で物事を考えない限り、ダイバーシティとかは関係がなく、相対的な「技術的失業率」は増えていきます。こうなると、労働者はさらに反発を強めることでしょう。
日本人の「総労働時間」が日本の貴重な資源だったと考えるなら、その資源に代わる何かを見つけなければ日本の未来はない。
日本に足りないのは明らかに「イノベーション」です。
今大切なことは、経団連会館の前でシュプレヒコールをすることではなく、日本の未来を見据えた革新的なアイデアを日々生み出そうとする精神なのです。反発し合っては、その土壌を作ることはできません。