自民党「カジノ合法化への取り組み」を紐解く
現在、安倍政権の掲げる経済成長戦略の一環として論議が進んでいる我が国のカジノ構想。連載第一回目となる本投稿では、自由民主党におけるカジノ導入検討がここに至るまでの経緯と、先に起こりうる未来について鋭く迫ります。
自民党のカジノ導入検討の起源は、2002年に自民党所属の国会議員有志によって組成された「国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟(通称:カジノ議連)」までさかのぼります。当該議連は、石原慎太郎都知事(当時)がぶち上げた「お台場カジノ構想」など、主に地方自治体側から提案が行なわれたカジノ合法化構想に対し、国政側で法整備に向けた検討を行なうことを趣旨として設立されました。初代会長には、自民党女性議員の代表格である野田聖子議員、事務局長には岩屋毅議員がついています。
当時、野田聖子会長は議連の目的を以下のように述べています。
このような議連による地道な活動は、その後、自民党の政策検討機関である政務調査会に取り込まれる形で花開きます。2006年、自民党は政務調査会観光特別委員会の傘下に「カジノ・エンターテイメント検討小委員会」を設立。小委員長には、議連の事務局長として尽力した岩屋毅議員を付け、政府与党としての本格的なカジノ合法化の検討に入ります。本委員会は2006年、2007年と二ヵ年に渡って開催され、当時自民党におけるカジノ導入に向けた基本方針までもが発表されるに至りました。
当時、小委員会の承認を経て発表された基本方針においては、以下のようなカジノ導入の姿が示されています。
このように順調に進捗して行っていたかに見えた当時の自民党政権下におけるカジノ導入構想ですが、事態が急変したのが2007年夏の参議院選挙です。2007年7月に行なわれた参議院選において自民党は大敗、過半数割れを起こし「衆・参ねじれ現象」が発生。度重なる野党側の審議拒否や閣僚に対する問責決議の繰り返しにより政権運営に難局をきたし、結局2009年に自民党は政権から陥落することになりました。
その結果、それまで自民党政権下で進められていたカジノ合法化構想は、ご破算となってしまうのです。
自民党の「カジノ合法化への取り組み」を紐解く(2) へ続く…