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レジェンド・佐竹功年の夏が終わる――トヨタ自動車が都市対抗で三菱重工Westに敗退

横尾弘一野球ジャーナリスト
笑顔が似合う佐竹功年も、試合直後のインタビューでは涙が溢れた。写真=藤岡雅樹

 5月の終わりに都市対抗予選が本格化してから、何度か夢を見た。ある時は、夏に引退だと言ったのに違うユニフォームで秋の日本選手権に投げていたり、台湾のウインター・リーグでプロチームにいたり……。そんな佐竹功年の姿だった。

 2006年に早稲田大からトヨタ自動車へ入社した小柄な右腕は、若い頃こそ自慢のストレートを弾き返されて悔しい思いをしていたものの、2014年の都市対抗で西濃運輸に補強されて優勝に貢献すると、その年のアジア競技大会で日本代表に選ばれ、2016年にはトヨタ自動車を都市対抗初優勝に導いて橋戸賞に輝く。その後も常に社会人の第一線で勝負を続け、トヨタ自動車に数々の栄光をもたらすとともに、「佐竹さんのように長く活躍したい」と若い選手たちの目標にもなっている。

 41歳になる今季も140キロ台後半の速球を投げ込み、「いったい何歳まで投げるのか」と思われていた今春、自社が運営する動画サイトで都市対抗限りでの現役引退を表明。昨年、6年ぶり2回目の都市対抗優勝を果たしたチームの連覇とともに注目されていた。

 7月19日、開会式直後に行なわれた開幕戦では沖縄電力とスコアレスの熱戦を展開。9回表二死一、三塁でエースの嘉陽宗一郎に代わってマウンドに登り、このピンチを切り抜けてサヨナラ勝ちを呼び込む。そして、25日には三菱重工Westとの二回戦を迎えた。

勝負にこだわりながら野球界の発展を思ってきた現役時代

 だが、3回表に阪神から三菱重工Westへ転籍した北條史也に先制2ラン本塁打を許すと、6回裏には主将・北村祥治のソロ弾などで追いつくも、直後の7回表一死満塁から北條に走者一掃の二塁打を浴び、さらに攻め込まれて一気に7失点。そのまま2対9で敗退してしまう。佐竹が登板することはなかった。

 大会を連覇し、佐竹を送り出そうと一丸になったものの、実力拮抗の一発勝負を勝ち抜くのは至難の業。選手たちは、悔しさをかみ殺してグラウンドをあとにした。

「トヨタ自動車が名門と呼ばれるチームになれるよう力を尽くしながら、社会人野球のさらなる発展にも貢献できれば」

 そう口癖のように話す佐竹は、昨年のアジア競技大会で中国に敗れるなど、不本意な戦いで銅メダルに終わると、肩を落とす日本代表の石井章夫監督にこう言ったという。

「金メダルを獲れなかったのは本当に悔しいけれど、中国は初めて国際大会で日本に勝ち、チーム強化にさらに力を入れるでしょう。そうやって、切磋琢磨しながらアジアの野球レベルがさらに高くなればいいじゃないですか」

 勝負には常に全力を尽くす。そのために、練習から徹底して自分を追い込む。甘さを見せたチームメイトには、「このままでは野球人生が終わるぞ」と遠慮せずに厳しい言葉も投げかける。その一方で、グラウンドを離れれば屈託ない笑顔に多くの人が集まる存在だ。

試合後、グラウンドに深々と一礼する佐竹。19年間の社会人での現役生活が終わった。写真=藤岡雅樹
試合後、グラウンドに深々と一礼する佐竹。19年間の社会人での現役生活が終わった。写真=藤岡雅樹

 そんな佐竹も、試合終了後にメディアが囲むと、大粒の涙を拭いながら心境を話し始めた。そして、19年間にわたる社会人での現役生活について、まず「楽しかった」と振り返った。ユニフォームを脱いでも……、いや、ユニフォームを脱ぐのかさえわからないが、明日から佐竹がどんな道を歩み、野球と向き合っていくのか楽しみである。

 佐竹の野球人生は、いくつもの輝きに彩られた第一章が終わったばかりだ。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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