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名門復活へ手応え 池田

森本栄浩毎日放送アナウンサー
池田が甲子園に帰ってきた。初戦を逆転サヨナラで制し、名門復活を確かなものにした

27年ぶりのセンバツ。夏を合わせても22年ぶりとなる甲子園で、池田(徳島)が躍動した。1回戦は海南(和歌山)との名門対決。センバツの1回戦としては異例の4万4千のファンでスタンドは埋まった。試合は海南のペースで推移する。主戦の故障を全員野球でカバーしようと一丸になり、中盤戦を制して池田は追い詰められた。海南の左腕・神崎稜平(3年)に7回までわずか1安打に抑えられ、敗色濃厚。スタンドのファンからもため息が漏れた。

スタンドが池田を後押し

8回、池田が突如目を覚ます。下位打者が奮起して、あっという間に1点差に詰め寄る。スタンドが一気に盛り上がった。海南も大応援団を繰り出していたが、ネット裏から外野まで、甲子園のファンが皆、池田の勝利を願っているような雰囲気になる。これに海南の選手たちが動揺した。8回こそショート空山(あきやま)侑太朗(3年)の美技併殺で逆転を免れたが、9回には耐え切れなかった。再三の好守を見せていた空山が、投手の神崎がミスを連発して追い詰められると、池田の林涼平(3年)の打球は、ファンの願いが乗り移ったかのように、ショート空山の横を抜けていった。かつての「やまびこ打線」の片鱗が、ファンのものすごい後押しで少しだけ垣間見えた。海南は試合に勝って、勝負に負けた。というより、ファンに負けた。これが高校野球、これが甲子園だ。

1回戦の再現ならずもファンは満足

2回戦は、延長の末、優勝候補の日本文理(新潟)にサヨナラ勝ちしている豊川(愛知)と。初出場と思えない戦力とたくましさを持ったチームだ。2回、エース名西宥人(3年)が2死から集中打を浴び、4点を失う。攻撃は牽制死や併殺などでつながらない。中盤は、耐える状態が続いた。8回、初戦のラッキーボーイ林が突破口を開く。アルプススタンドはこの日も満員。

スタンドは初戦に続いて満員。選手たちにパワーを送り続けた。
スタンドは初戦に続いて満員。選手たちにパワーを送り続けた。

海南戦の雰囲気が漂い始めた。しかし豊川の田中空良(そら=3年)は落ち着いていた。1点は返したが、連打を奪えない。9回も上位打線が沈黙した。3回以降は守りきったが、最後まで「やまびこ打線」は勢いを見せることができなかった。1-4での敗戦にも、アルプススタンドでは、ファンが温かく迎える。1回戦に続いて観戦したOBの宮内仁一(まさかず)さん(46)の姿もあった。宮内さんは阪神を退団後、大阪で少年野球を指導している。この日も教え子たちを連れて熱心に応援した。池田のOBとして誇らしい気持ちだったに違いない。長い空白を解消した選手たちに、スタンドからの拍手は鳴り止まなかった。

夏にもう一度

岡田康志監督(52)は、「終盤勝負と思っていたが、早い回に4点も取られたら今のウチには重すぎますね。もっと打線に力をつけていかないと」とふり返った。

健闘した池田の選手たちにねぎらいの拍手。ファンも名門復活を見届けた
健闘した池田の選手たちにねぎらいの拍手。ファンも名門復活を見届けた

主将の三宅駿捕手(3年)は、「甲子園で諦めない気持ちを学びました。僕たちは以前の(強打の)池田を知らないんで、守って勝つ、新しい池田を見せられたかなと思います」と少しだけ胸を張った。そして、「あれだけ多くの人がスタンドに足を運んでくれてうれしかった」とファンに感謝の言葉も忘れていなかった。かつての池田を知らない選手たちも、初戦のスタンドの雰囲気で、『IKEDA』のユニフォームがいかに愛されていたかを実感したはずだ。「8回の1点は今後につながる1点になって欲しい。これで満足していては終わりです。夏にまた来てこそ、だと思います」と全盛期を知る岡田監督は、完全復活を誓った。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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