日本ではなぜ安全保障戦略の転換が国会で議論されずに決まるのか
岸田内閣は12月10日に臨時国会が終わるのを待っていたかのように「安保3文書」の取りまとめに入り、1週間も経たない16日に敵基地を攻撃する「反撃能力」の保有を含む「安保3文書」を閣議決定、同時に防衛費を増額する財源として「増税」の方針を盛り込んだ税制改革大綱を自公両党が決定した。
専守防衛に徹してきた戦後の日本にとって、歴史的大転換となる安全保障戦略の変更は、国会の議論を経ずに極めて短期間で決定された。従って国民的議論が巻き起こるはずもなく、しかし世論調査によると国民の半数以上が「反撃能力」の保有を支持している。
これに対し野党は国会での議論がないまま決定されたことを批判している。しかし年内に「安保3文書」が決定されるスケジュールは野党も分かっていたはずで、自民党の方はスケジュールに合わせ4月27日に党の安全保障調査会が「反撃能力」の保有を岸田内閣に提言していた。
一方、野党第一党の立憲民主党が「反撃能力」の保有に関する見解をまとめたのは、閣議決定後の12月20日で、「政府方針には賛同できない」としつつも、「政策的な必要性と合理性を満たし、専守防衛に適合するもの」という条件付きで「反撃能力」を認めた。
仮に野党が閣議決定前に国会で議論すべきと言うのなら、秋の臨時国会で野党の方から論戦を挑むべきだった。しかし野党が臨時国会で追及に力を入れたのは、旧統一教会との関係が指摘された山際前経済再生担当大臣と細田衆議院議長、不適切発言の葉梨前法務大臣、「政治とカネ」が問題視された寺田前総務大臣に対してだけだ。
細田議長以外の3大臣をクビにし岸田内閣の支持率を下げたことで野党は満足のようだが、それは岸田内閣からすれば、国民の見えるところで安全保障の論議を行うことから目をそらすのに役立った。そのためのいわば囮の役回りを3人は演じたのかもしれない。
私の経験では、ソ連崩壊で世界の安全保障環境が激変した時に、日本の国会は「政治とカネ」の追及に明け暮れ、宮沢総理は「これで平和の配当が受けられる」と呑気なことを言い、ソ連を敵として作られた日米安保体制を見直す必要や、自衛隊配備を変更する必要について議論しなかった。
当時、米国議会を取材していた私は、対ソ戦略のために作られたCIA存続の是非を議会が3年がかりで議論し、「世界は混沌の時代を迎える」との結論からCIAの情報収集能力が強化され、また米軍の配備も見直されたことと比較し、国家の平和と国民の安全より「政治とカネ」の追及がそれほど大事なのかと呆れた。
今回、岸田内閣の方針に強く反発したのは自民党最大派閥の安倍派である。防衛力増強の財源を安倍元総理の考えと同じ「国債」で賄うことを主張した。そのためか岸田内閣は「増税」の実施時期を先送りした。つまり大方針は決めたが、具体的な中身の議論はこれから始まる。
従って2023年の国会は安全保障戦略の大転換について議論の舞台になる。だが的を射た議論になるかどうかが分からない。なぜかと言えば日本の安全保障を巡る議論には憲法9条という米国の呪いがかけられているからだ。
戦後日本を占領支配したGHQのマッカーサー最高司令官は、日本が二度と米国に歯向かわぬよう、日本を「非武装中立国家」にしようと考えた。それに吉田茂総理が共鳴し、1946年の衆議院本会議で「憲法9条2項で一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄したのであります」と答弁した。
しかしこれは第一次大戦の反省から国際社会が作り出した平和主義の考えと異なる。国際社会の平和主義は、侵略に対する自衛戦争を当然の権利として認めている。さらに侵略国に対し国際社会が協力して防衛に当たる集団的自衛権も国連憲章によって認められた。
ところが吉田の「非武装中立論」は、敗戦を経験した日本人の心を掴み、憲法9条は世界平和を目指す理想として日本社会に浸透した。だが理想は理想であって現実ではない。その証拠に世界にはスイスのような「武装中立国家」は存在するが「非武装中立国家」など存在しない。
米ソ冷戦が始まると、吉田は1950年の施政方針演説で「戦争放棄の考えに徹することは、自衛権を放棄する意味ではない」とそれまでの主張を転換した。ここから日本は9条2項を変えずに9条2項を解釈によってなし崩す摩訶不思議な「解釈の世界」に入り込むのである。
米国は第二次大戦後西ドイツと日本を非武装国家にしようとしたが、冷戦が始まると米国に逆らえない範囲で再軍備させようとする。西ドイツは米国の要求に従い、NATO軍の一員として戦前とは異なる民主的な軍隊を作る。そして国民には徴兵制を敷いた。
1950年6月に朝鮮戦争が起こると、米国はアジアの戦争にはアジア人を当たらせる考えから日本に再軍備を要求する。しかし吉田は国民に「非武装中立」の考えが浸透していることを理由にこれを拒み、代わりに米軍が出兵した後の国内治安維持の名目で警察予備隊を創設した。
それが2年後に保安隊になる。保安隊も国内治安維持が目的だが、小銃や機関銃を装備するなど軍隊並みの組織である。しかし政府はそれを警察だと言い張る。その1年後に保安隊が自衛隊になり、初めて国内治安維持ではなく侵略に対して国家を防衛する組織、つまり軍隊ができた。
ところが吉田は「自衛隊は戦力ではない」と言う。9条2項を変えないために「戦力なき軍隊」という奇妙な組織が誕生した。こうして日本の安全保障政策は理性の世界からかけ離れて迷路に入り込んでいく。
吉田内閣が倒れて鳩山内閣が誕生すると、自衛隊は自衛のための「必要最小限」の戦力は持っても良いと解釈された。ただし紛争解決や侵略戦争をするための戦力は持ってはならない。その後の歴代政権はこの考えを受け継いだ。
では「必要最小限」の戦力とは何か。三木内閣が「防衛費はGDPの1%以内」という原則を作る。岸田内閣はそれを今回「2%」に倍増する。米国がNATO諸国に要求している「2%」を日本も真似することにした。戦後日本と同じ境遇のドイツがウクライナ戦争の影響で「2%」を表明したことの影響が大きい。
しかし「1%」の歯止めがなくなっても「安保3文書」には「必要最小限」の文字が入った。「必要最小限」という文言さえ入れば、以前に憲法違反とされたことでも憲法9条の枠内となり、この国では「合憲」と判断される。
そして「2%」の増額が実現すれば、日本の防衛費は米国、中国に次ぐ世界第3位となり、軍事力でも米国、ロシア、中国、インドに次ぐ世界第5位にランクされる。それが憲法上「必要最小限しか戦力を持ってはならない」とされる自衛隊の実態である。
憲法は制定されてから一字一句変更されていない。しかし日本の防衛力は蟻が象に変わったように大きく変化した。ところが解釈で変更されてきたため、安全保障問題を国会で議論すれば、必ず「憲法解釈の迷路」に入り込み、神学論争のように誰にも理解できない議論が延々続くことになる。
私には苦い思い出がある。冷戦終結後最初の戦争となった1991年の湾岸戦争で日本が国際社会に恥をさらした時のことだ。90年8月にイラク軍が隣国クウェートに侵攻すると、世界各国の議会はこの問題にどう対処するかを議論した。
米国議会では様々な分野の専門家を喚問して200時間を超える議論を行い、最後に議員全員が一人ずつ戦争に賛成するかどうかの意見表明を行った。そして第一次大戦後に作られた平和主義の原則に従い、国際社会が結束して侵略を食い止めるため多国籍軍が結成された。
ところが日本では有識者や文化人の間から湾岸戦争に反対の声が上がる。国連が認めて国際社会が結束して侵略を防止しようとしている時に、日本ではいかなる戦争も悪だとする「絶対平和主義」の叫びが上がったのだ。
当時の外務省北米一課長は私に「国会を開けば神学論争になるだけで何も決まらなくなる。国会は開かせない」と言った。日本だけは国会を開かず、130億ドルという巨額の資金援助を政府が決定した。
ブッシュ(父)大統領から自衛隊の派遣を要請された海部総理は、憲法9条2項を盾にこれを拒否した。日本の政治家で「派遣すべき」と主張したのは、当時の小沢一郎自民党幹事長ただ一人だった。
ワシントンで私は米国人から「私は日本経済の目覚ましい成長を見て日本に一目置いていた。その日本経済の生命線は中東の石油である。ところが中東で戦争が起きているのに日本は国会を開かず、国民的議論も行わず、カネだけ出して済ませようとした。米国と肩を並べる大国になると思ったが、所詮は米国の従属国でしかない」と言われた。
国際社会から批判されたことを知ると日本政府の姿勢は一転する。自衛隊の海外派遣に前のめりになるのである。ひどかったのはアフガン戦争とイラク戦争に対し、どちらも国連が認めない米国だけの戦争なのに、自衛隊を派遣して協力した。
国連が認めた湾岸戦争と認めないアフガン・イラク戦争は性格がまったく異なる。しかし「絶対平和主義」を信仰する日本人にはその区別がつかない。イラク戦争に積極的に協力した英国のブレア首相は議会で責任を追及され任期途中で辞任した。しかし日本で小泉総理に対する非難は起こらない。日本人は真面目に戦争を考えたことがないと私は思った。
それ以来、日本の安全保障政策は米国の言いなりになった。安倍内閣が成立させた「特定秘密保護法」も集団的自衛権を解釈変更によって認めた「安保法制」もすべて米国からの要求である。今回の「反撃能力の保有」や「防衛費増額」も同様だ。
宗主国からの命令は誰が総理であっても実現しなければならない。一方でかつての米国は日本国憲法の中に「非武装」の思想を盛り込んだ。その影響を受けた国民が大勢いる。米国の相反する要求を、戦後日本は理性を超えた魔訶不思議な憲法解釈でやりくりしてきた。だからまともな議論ができない。
すべての出発点は吉田茂の「非武装中立論」だ。それでも吉田の政治路線が国民から批判されない理由は、それが日本に経済的繁栄をもたらしたからだ。吉田は防衛を米国に委ね、軍事に力を入れない代わりに経済成長に全力を挙げる路線を敷いた。
自民党は9条2項を変えさせないため、野党に護憲運動をやらせ、憲法改正させない3分の1の議席を与え、米国が軍事要求を強めれば、政権交代が起きて親ソ政権が日本に誕生すると米国に思わせた。野党に3分の1の議席を与えることを可能にしたのが中選挙区制の選挙制度である。
その仕組みを私に教えてくれたのは竹下登元総理だ。こうして日本は世界で最も格差の少ない経済大国を実現した。しかしそれは米ソ冷戦構造があったからで、ソ連が崩壊した後の米国は、日本に遠慮することなく高度経済成長で貯め込んだ金を吸い上げる作業に取り掛かった。
9条2項を維持することは日本が米国に防衛を永遠に委ねることを意味する。米国の言うままに米国製兵器を買わされ、自衛隊は米軍の二軍として肩代わりに使われ、その一方で米国は高度経済成長を支えた日本型経営を潰し、日本を「失われた時代」に導いた。
9条2項を維持する経済メリットは冷戦崩壊と共に失われた。それでも「非武装中立」の幻想は今も消えることなく残っている。吉田に次いで「非武装中立」を唱えたのは旧社会党だが、その理論的支柱だったマルクス経済学者の向坂逸郎は、社会主義政権が誕生するまでは「非武装中立」を主張するが、政権を獲得すれば武装するとの考えを表明している。
自さ社連立政権で村山内閣が誕生すると、社会党出身の村山総理は自衛隊を合憲とし、日米安保体制も認めた。日本は米国の従属国だから総理としては当然の判断をしたまでだが、これで社会党は大きく支持者を失った。
いずれにしても世界に「非武装中立国」は存在しない。コスタリカのように「非武装」を憲法に明記した国はあるが、コスタリカは防衛を米国に委ねているので中立国ではない。中立国はどの国とも同盟関係を持たず、独立独歩で他国の侵略から身を守るために武装する。だから「武装中立国」はあるが「非武装中立国」はない。
永世中立国スイスは中立を貫くためEUにも加盟しない。そして安全保障戦略の基本は「専守防衛」である。専守防衛とは他国から攻撃されても「反撃」しない。そのためスイスでは核攻撃から国民を守る核シェルターを100%完備するが、核兵器もミサイル兵器も持たない。
もし他国の軍隊が侵入すれば、国民全員が銃を取って戦う。すべての橋やトンネル、道路に爆薬を仕掛け、敵の侵入を阻止する構えを見せている。それが敵に攻撃を思いとどまらせる「抑止力」だと考えている。
1815年に永世中立国になったスイスはそれ以降一度も戦争に巻き込まれたことがない。1815年の日本は11代将軍徳川家斉の時代だが、その昔からスイスは208年間も平和を守ってきた。そこで思い出すのがマッカーサーの「日本は東洋のスイスたれ!」という言葉である。
マッカーサーがどういうつもりで言ったのか、真意は測りかねるが、私はこちらの方が日本の目指すべき道だったのではないかと思う。憲法9条2項を守ってありもしない「非武装中立国家」を目指すより、他国に依存せず自分の力で自分を守るというまともな国家を目指すべきだったのだ。
しかし2023年の国会で、安全保障問題を巡る議論に、このような視点が加えられることはないだろう。米国が日本に要求する安全保障政策と、その米国がかつて作った憲法9条2項との乖離の中で、不毛な議論が続けられ、最後は米国が要求する通りになるというのがこの国の戦後政治だからである。