元プロ野球選手がアンパンマンのおもちゃを販売!坂本一将氏(元オリックス)のセカンドキャリア
■オリックスでやってました!
いつでもどこでもスタイルは変わらない。自分のキャラ全開で突き進む。周りもいつの間にかそれを受け入れ、自然と彼のペースに巻き込まれていく。それはユニフォームを脱いでスーツに着替えても同じだ。
元オリックス・バファローズの内野手・坂本一将氏が野球人生にピリオドを打ったのは昨年の秋。そしてすぐにサラリーマンとして働きはじめた。その転身の早さには誰もが驚いた。
現在、おもちゃを扱う株式会社セガトイズで営業マンとして飛び回っている。はじめて訪れる取引先ではまず、“中途半端な時期の途中入社の新人営業マン”がどんな人間だろうかと、探りが入る。
「スポーツやってたの?」「へ〜、野球?」「いつまで?」「えっ!プロ?」「どこで?」というような会話の運びに「オリックスです!」と答えると、得意先の担当者はみな一様に驚く。そういうことも坂本氏はおもしろがっている。
今では法人の営業として担当企業を持たせてもらい、ひとりで得意先を回っている。「無知で入ったので、こうして仕事ができていることが嬉しい」と笑顔をこぼす。
■考えすぎたプロ1年目
どんなときでも常に楽しむところは、選手時代から変わらなかった。浦和学院高校、東洋大学、セガサミー…と、野球界のエリートコースを歩んできた。しかしやはり目指すのはプロ野球だ。
そこでNPB(日本プロ野球機構)に進むためにセガサミーを辞めてBCリーグ(独立リーグ)の石川ミリオンスターズに移籍した。そして1年でNPBドラフトの指名を受けた。2016年、オリックス・バファローズから育成4位の指名だった。
プロ1年目はアマチュアとの違いを痛感させられた。「これまでは一日楽しもうって、やりきっていた。でもはじめて『やんなきゃいけない』って思った。はじめて『結果』というものを考えた」。
それまでももちろん結果は求めていた。しかし「開き直ってやれていたし、勢いでできていた」と振り返る。ポテンシャルだけでは通用しないと感じたし、このままでは後悔すると思ったという。
そこで、これまでの“我が道をいく”スタイルを改め、「はじめて聞く耳を持つようになった」と、コーチのアドバイスに耳を傾けた。
それによって、「これまでは感覚でやっていて、考えてやれてなかった」と、自分が無知だったと気づき、野球の知識を深めるようになった。
しかし何かが違った。うまくいかなかったし、結果も出なかった。
そこで1年目のシーズンが終了してすぐにセガサミー時代の黒川洋行コーチの家を訪ねた。奈良在住であることから、ウエスタン・リーグの試合もよく見にきてくれていた恩師だ。
すると「なんやねん、この1年!全然オマエらしくない!バカなんだから考えたら終わりや!」と一喝された。
どうやら「プロだし考えないとなと思い込んで、考えすぎて、きれいにやろうとしていた。プロ仕様にしようとして、変えなくていいことまで変えてしまっていた」ようなのだ。
それに気づくと、だんだんとバッティングの感覚もよくなってきた。高知の秋季キャンプメンバーにも選ばれ、2年目の春季キャンプでも首脳陣に注目された。1軍のオープン戦にも呼ばれた。
しかし自分でも覚悟はしていた。この2年目に支配下になれなければプロ野球人生が終わりを告げることを。そこで辻竜太郎2軍打撃コーチと話をして、「1年間、これだけはやり通す」ということを決めた。
■辻竜太郎コーチと取り組んだ2つのチェックポイント
「これだけはやり通す」と決めたチェックポイントは2点…左足の使い方と、バットの出し方だ。毎日、試合前のティーバッティングでチェックしてもらった。辻コーチはよかったら何も言わず、少しおかしくなってきたときだけ「今、こうなっている」とアドバイスをくれた。あれこれ考えず、とにかくその2点に絞って日々見てもらった。
「左足はよく『回せ』って言われるけど、僕は回したくなかった。竜さんも『回すのではなく、擦っていいよ』って言ってくれた」と、坂本氏に合った使い方を助言してくれた。
「バットの出し方は平行に、平行に。今まで『ゴロを打て』って言われて育ってきたから、どうしてもぶった切っちゃうんで…」。
足の速い小柄な選手にありがちだが、坂本氏も例に漏れず「フライを上げるな」と、ずっと口酸っぱく言われてきたのだ。そこでレベルスイングを体に叩き込み、しっかりボールをとらえるようにした。
それを辻コーチは付きっきりで見てくれた。日々の結果で言うのではなく、ただ毎日じっくり見て、その変化だけを伝えてくれた。
シーズンに入ると「手応え、ありまくりっすよ」と快調に飛ばした。ウエスタンの打撃ランキングにも常に名前を連ねた。
しかし好事魔多しだ。5月上旬、坐骨神経痛に襲われ、離脱を余儀なくされた。3週間ほど戦列を離れなければならなかったが、それでも復帰してからも好調を維持し、7月31日の時点でも3割をキープしていた。
■失意の中で得た小谷野栄一氏との時間
7月31日―。育成契約から支配下登録される期限だ。運命の日、坂本氏のもとに吉報は届かなかった。
8月1日の朝になった。「やる気ないっすよ。だってもうクビだもん」。自分が一番よくわかっている。年齢的にも「もう1年」なんて、あるはずはないだろう。その後、遠征メンバーにもいっさい入らなくなり、それが何を意味するのかを悟った。
そこで切り替えた。決して気持ちを切らすのではなく、「あと2ヶ月。今まで応援してくれた人たちを呼んで、その人たちにいいところを見せよう」と、より練習に没頭し、試合ではより全力プレーを心がけた。
当時、ファームには素晴らしい先輩がいた。小谷野栄一氏(現在は東北楽天ゴールデンイーグルス・打撃コーチ)だ。「ずっと小谷野さんに野球の話聞いて、それを人生に活かそう、次の仕事に活かそうって、そういう思考にシフトチェンジしていった」。
「小谷野栄一」という選手は、坂本氏によると「心構え、準備をする人」だという。「技術的なことより、どういう心境でやってんすかとか、緊張とか、そういう話をたくさん聞いた」。
この夏、小谷野氏から聞いた数々の話は坂本氏の心に深く刺さり、今も大切な宝ものになっている。
■佐々木章人社長のもとで働きたかった
実際に“宣告”を受けたのは10月4日だ。しかしそれまでの間、坂本氏はすでにセカンドキャリアを考えていた。「サラリーマンをしたい」。それは明確だった。
「野球を嫌いになったわけじゃない。野球でいろいろ経験できたから、次はサラリーマンをしたいと思った」。
社会人や独立リーグ、企業の軟式野球チームなど数々声はかかったが「どうしようかな、またやりたいと思うかもしれないっていうのも、まったくなかった」。坂本氏の中では野球に対してキッパリとけじめをつけていた。
実は坂本氏には働きたいと心に決めていた会社があった。それが株式会社セガトイズ(玩具の企画、開発、製造および販売)だった。
社会人野球のセガサミーでプレーしていた当時から、関連会社であるセガトイズの佐々木章人社長は「小っちゃい体でがんばっている。ガッツあるな」と応援に来てくれていた。佐々木社長に気に入られた坂本氏は、所属会社でもないのにセガトイズの飲み会にまで呼ばれるようになった。そんな選手は前代未聞だったようだ。
セガサミーを辞めて石川に入るときも挨拶にいくと、業務時間内であるにも関わらず社員全員を集めてエールを送ってくれた。照れくさかったが、佐々木社長の気持ちがとても嬉しかった。
社長だけでなく現在の直属の上司である佐瀬新哉氏も、石川やオリックスの試合を見にきてくれ、しょっちゅう電話もくれていた。
「会社に何回も来てたし、明るい雰囲気で、こういうところで働きたいって思っていた」。ほかにも数社からの誘いがきていた。しかし「佐々木社長以外、ピンとこなかった。豪快だし、もっとも尊敬できる人。そういう人のもとで働きたいと思って…」。
けれどセガトイズから「来てくれ」と請われたわけではない。社員募集の告知があったわけでもない。それでも「ここしかない」との思いで自身を売り込み、“社長面接”までこぎつけたのだ。
部屋に通され、座った瞬間だ。「入りたいです」。この6文字だけを口にした。すると佐々木社長は「変わってねぇな」と笑い、「変なゴタク並べたら断ろうと思ってたよ」と快く受け入れてくれた。「坂本一将」という人間を買ってくれていたのだ。
即座にその2日後の11月1日から出社することが決まった。
■愛されキャラで懐に飛び込む
今、坂本氏はやる気に満ち満ちている。「どんどん新しいことをやる会社なんで、僕も常に挑戦したい。ナンバー1営業マンになって、会社や社長に貢献したい」。生き生きと目を輝かせて話す。坂本氏のキャラは社風にもピッタリのようだ。
「独立リーグのバス移動のほうが、よっぽどつらかったすよ(笑)」と、きつい出張の日程もまったく苦にならない。入社してすぐのクリスマス商戦では、大型量販店の店頭にも立った。アンパンマンのエプロンを着けておもちゃの販売をすることも喜んでやった。
「野球しかしてこなかったから、真っ白なんです」。だから、いろんなことを吸収できる今が楽しくてしかたない。しかしその一方で、己の無力さを痛感しているという。
「何もわからないんです。パソコンの操作も知らないし、まず、机の前に一日座ってるのも、はじめはきつかったぁ。こんなに一日座ったことないから(笑)」。それでもそういう苦労でさえ、楽しんでいるように窺える。
野球部で培った“能力”も役立っている。「僕ね、人を覚えるのは得意なんです。大学のとき、全先輩の名前と出身校を覚えなきゃいけなかったんで」。
現在は電車に乗ったときなど、ちょっとした時間にも電話帳に登録した人を確認して覚える作業に勤しむ。社内の人にも必ず名前で呼びかけ、覚えるとともにコミュニケーションを深めるよう務めている。
そもそもが根っからの“愛されキャラ”だ。人の懐に入り込むのが早い。社内の週報もほかの社員とは違い、時候の挨拶などを盛り込んだ手紙のようなスタイルで書く。本人は真剣に書いているのだが、それが笑いをとり、一躍その存在感を定着させることとなった。
■すべての経験を糧にして―
独立リーグで厳しい環境を経験したことによって、社会人まで恵まれた中で野球をしてきたありがたみを実感した。そしてプロに入ってからは、一流選手の過ごし方や心構えを間近で見ることができた。「一緒にやらないとわからない」ということを身をもって経験できた。
「すべてがプラスのいい体験になった」。新しい世界で働く今、それが随所で活きている。
今後のことを尋ねると、「まだビジョンを描ける段階じゃない」と表情を引き締めた。まずは与えられた仕事をきっちりやることから始め、積み重ねながらいずれはナンバー1営業マンに―。
それが、ずっとかわいがってくれている佐々木社長への恩返しになると信じている。
(表記のない撮影はすべて筆者)
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