母国に等しい日本から見捨てられる少女ー東京入管の冷血、法務省見解にも従わず
幼い頃に家族に連れられて日本に移住し、日本の学校教育を受けて育ったにもかかわらず、母国にも等しい日本に住むことを否定されて「帰国」させられるーそうした危機に、今、10代・20代の在日外国人が相次いで直面している。その中の一人、現在中学3年生の少女とその支援者に話を聞いた。
○アイデンティティーは日本
「5歳の時からずっと日本で育ってきました。友達も皆、日本人です。日本で勉強を続けたいです」 。都内在住の中学3年生Sさん(15歳)は、流暢な日本語でそう話す。話しているのをただ耳で聞いているだけなら、日本人と区別がつかないかもしれない。実際、Sさんのアイデンティティーは日本にあると言っても過言ではないだろう。出身こそ、バングラデシュではあるが、飲食店のコックとして日本に働きに来た父親に連れられ、母や兄らと日本に来て約11年。家族とは、彼らの母語であるベンガル語で話すものの、つい会話のあちこちで日本語が出る。来日後、バングラデシュを再訪したのは2週間に過ぎず、現地で親戚達に会った時は、いろいろ話しかけられても、上手く答えられず、泣いてしまったこともあったそうだ。
○最悪のタイミングで「追い出し」?
Sさんの生活が一変したのは、父親の務めていた飲食店が倒産してからだった。父親は新たな就職先を探したが、在留資格「技能」の活動を行なわないまま3ヶ月以上を経過し、在留資格を失ってしまったのだ。昨年5月、Sさんの父親は、Sさんら家族を日本に残したまま、帰国した。父親の帰国は、Sさん自身の日本在留も危うくさせる。Sさんやその兄、母の在留資格は「家族滞在」、つまり、在留資格があり、扶養者である父親の、家族としての滞在という扱いだった。そのため、父親が在留資格を失ったことで、Sさん含む家族全員の在留資格も消失してしまったのである。そして今、これから高校の推薦入試を受けようとする最悪のタイミングで、在留取り消しの意見聴取手続きに出頭するよう、東京入国管理局はSさんに求めている。
だが、Sさんのように、学童期や思春期を日本で過ごし、日本社会での交友関係の中で成長した子ども達・若者達は、日本文化を受容して育ち、人格形成にも多大な影響が及んでいると見るべきだろう。親の在留資格が無くなったからと彼らにとって外国にも等しい「母国」にいきなり送り返すことは、人道上、好ましくないのではないか。筆者が法務省に問い合わせると、「あくまで個別ケースではなく一般論として」としながらも「日本の中学や高校に通っている場合、『留学生』という扱いで在留を認めることはある」との回答を得た。
○整合性欠く法務省・入管の対応
だが、在留資格変更をしようにも東京入管が、Sさんを拒絶している。Sさん含む在日外国人の子どもや若者の支援をしている行政書士の秋山正紀氏が事情を明かす。「Sさん家族に同情した、さる資産家が、Sさんの生活費や学費を出すと言ってくれており、東京入管にもそれは伝えているのですが、『生活費・学費を負担するのは、血縁者に限るべき』と強硬に言い張り、在留資格を留学へ変更する申請すら受け付けないのです」(秋山氏)。
一方、筆者の問い合わせに対し、法務省内の入国管理局は「留学生の生活費・学費を負担するのは、血縁者が望ましいが、必ずしも血縁者に限定しているわけではない」と回答。つまり、法務省本局の方針に、地方部局である東京入管が従っていないという構図だ。秋山氏も「日本で義務教育を終え、高校を卒業した外国人の若者が、定住ビザへの在留資格変更できるようにと、2015年1月、法務省は通達しているのですが、実際の入管の許可判断は、かなり限定的で、柔軟性を欠くと感じさせられる事例が目立ちます」と指摘する。
○日本社会の変化に対応すべき
秋山氏は「子の立場からすれば、育つ場所は選べなかったのであり、責められる理由はありません」と語る。「Sさんのように、生活基盤も完全に日本にあり、出身国での教育も受けていない子ども達にとっては、出身国で生活することは困難です。彼らを出国させれば、日本で育った若者の将来の選択肢を奪うという、たいへん酷な結果をもたらすことになります。人道的な配慮や、日本で育った彼らを生活者として認め、受け入れていく視点が必要です」(秋山氏)。
今年の新成人における外国人の割合は、東京23区では8人に一人、新宿区では約半分を占めている。日本の社会が多様化している中で、法務省及び入国管理局の各地方部局も、社会の実態にそった対応が求められているのではないか。
(了)