新トレーナーと共に築いた勝利への方程式。ルーティーンを踏襲し、大坂なおみは全米決勝へと向かう
選手が大会中に継続するゲン担ぎやルーティーンは、彼らの勝利にかける逼迫感や、アスリートの繊細さや人間性を物語るサイドストーリーとして、往々にして成功物語に花を添える。
かつて、あるアニメを目にした日に良いプレーが出来たため、毎朝同じアニメを見続けて、そのままグランドスラムを制した選手が居た。
ヒゲをそらない、毎日同じレストランに行き同じ物を食べるなども、お馴染みのゲン担ぎだ。
大坂なおみも、初めて全米オープンを優勝した時は、毎朝ニューヨーク名物のベーグルを食べていたという。
それから2年――。再び全米決勝に勝ち上がった彼女は、「今大会でもゲン担ぎがあるか」と聞かれると、少し考えた後に「試合のない日に練習をしなくなったのが、これまでのグランドスラムと違う点かしら」と言った。
「でもそれも、痛めている足を休める側面が大きい。ルーティーンと呼べるものは特にないかな」と述懐した後に、こう続ける。
「ルーティーンと言えるものがあるとすれば、毎回、同じウォームアップをしていることかな」…‥と。
「僕としては、なおみと一緒に迎える初めての大会。その中でトレーナーとして何ができるかを考えた時に、まずはルーティーンを作ることでした」。
そう語るのは、今年6月から“ストレングス&コンディショニングコーチ”として大坂のチームに加わった、中村豊である。中村は、マリア・シャラポワやIMGアカデミーの専属トレーナーを歴任した、この道の第一人者。その彼が、USオープンの前哨戦であるウェスタン&サザンオープンで大坂に初帯同した時、「試行錯誤しながら」徐々に築き上げたのが、ルーティーンとしてのウォームアップだった。
矛盾するようではあるが、中村は「ルーティーンとは壊すものだ」との信念の持ち主でもある。いかに優れたトレーニングや練習メニューも、長く続けるとマンネリ化し、徐々に刺激や意味合いも薄れていく。だからこそ「壊していくべき」と信じるが、それはルーティーンの存在が大前提にあり、壊すためには、まずは作らなくてはいけない。
ルーティーンを築く過程とは、選手を知るプロセスでもあると中村は言う。
「試合前に、縄跳びなどで瞬発性をあげるのが効果的か、あるいは柔軟を増やした方がいいのか。メディシンボールにしても、試合前のアップでは重いのがいいか、軽い方がいいのか……それは選手によって違いますから」
前哨戦では、そのあたりの見極めに時間と神経を費やした。そうして出来上がったルーティーンは選手にとって、精神と肉体を戦闘モードへと整える、有る種の儀式にもなるのだろう。
また、ウォームアップをさせる際に留意するのが、決してそれが「機械化しない」ことである。
表層的な動きをなぞるだけでは、意味がない。選手や指導者の中には、「ウォームアップは身体を温めるもの」ととらえる者も居るが、中村と大坂は違うという。
対戦相手のプレースタイルに応じ、前に走りドロップショットを拾う動きか、あるいは左右に走りスライディングする技術かなど、必要な要素も変わってくる。だからこそ中村は、一見同じに見えるセットメニューの中でも、意識や身体の動かし方をつぶさにチェックし、必要に応じて助言を与えていった。
現地時間の9月12日、16時――大坂にとって通算3度目の、グランドスラム決勝の舞台が待つ。
試合の日は、ウォームアップを40~45分ほど行ない、食事を取り、そして試合前に再び30分ほどアップをしてから、コートに向かう最後の5分は自分と対話する時間を持つ。
決勝の相手のビクトリア・アザレンカは、大坂のコーチであるウィム・フィセッテがかつて指導した選手。“プロフェッサー”の異名を取る名参謀の頭には、対戦相手の情報が整理されているだろう。それらのデータを中村に伝え、その上で中村は、アップのどの動きを重点的に行うべきか緻密にチェックしていくはずだ。
ゲンはもう、担がない。
合理性と、チームスタッフの経験と知識に裏打ちされたルーティーンをこなし、大坂は3度目のグランドスラムタイトルを、その手につかみ取りに行く。