「世界は助けてくれない」 激しい攻撃受けるシリア・アフリンから届く嘆きの声
◆クルド人の町アフリン トルコ軍・自由シリア軍などの武装諸派が制圧
緑のオリーブ畑がつらなるシリア北西部アフリン。住民のほとんどはクルド人で、およそ50万人が暮らしてきた。内戦前に取材で訪ねたことがある。特産品のオリーブから作られるアレッポ石鹸は日本でも知られている。土色のレンガのようだが、中は美しいグリーンだ。
1月20日、「空爆で多数の死傷者が出ている」と、知り合いのアフリン住民たちから連絡を受けた。隣国のトルコ軍、そして自由シリア軍などの武装諸派が大規模な侵攻作戦を開始したのだ。(アジアプレス・玉本英子)
(参考記事 トルコ軍・武装諸派の爆撃と侵攻の恐怖におびえる住民【写真3枚】)
2月中旬、アフリン北部メダンキ村のラハマンさん(59)と連絡がとれた。ラハマンさんは妻と39歳の長男家族とともに、農家を営んできた。オリーブの木500本以上を栽培する。他の息子や娘一家は数年前にドイツやレバノンなど国外に逃れた。
砲撃や、戦闘機の爆撃で住民の巻き添えが相次ぐ。村人の中には地下室に避難したり、防空壕を掘る人もいるが、ラハマンさんたちは爆発音がすると、とにかく建物から離れようと走ってオリーブ畑に逃げ込む。そして木の陰に隠れてただじっと祈る。攻撃開始後は、孫が通う学校も閉鎖された。
トルコ軍の支援を受けた武装諸派はアフリン近郊部をとり囲むように進撃した。トルコ国境一帯の村落地域を次々と攻略し、貯蔵された村のオリーブ油も奪うなどしている。
「世界は私たちのことを知っているのでしょうか。なぜ誰も助けてくれないのでしょうか」
自由シリア軍系組織のなかには、制圧した村の住民を手厚く保護しているとする映像を公開したが、人びとの多くは信用していないという。武装諸派に元ヌスラ戦線などにいた過激な戦闘員もいるため、彼らがいつ豹変するかもわからないと不安を抱いている。
その後、ラハマンさんとの連絡は途絶えたが、一家はアフリン市内に一時避難したと彼の親戚から聞いた。3月に入り、メダンキ村は占領された。現在、親戚の元に身を寄せる。失った家や畑はどうなるのか、今後どうするのか、ラハマンさんは悲嘆に暮れていた。
クルド組織・人民防衛隊(YPG)は多数の犠牲を出しながらもアフリンでの激しい攻防を続けてきた。
主婦バデーアさん(59)と携帯電話のメッセージでやりとりした。彼女はYPGに入った息子3人を失った。2人は2月下旬アフリンで、もう1人は昨年、シリア北部で過激派組織「イスラム国」(IS)との戦闘で戦死した。
トルコは今回の攻撃の理由を、YPGが自国にテロの脅威を与えているからだとする。だが、バデーアさんは言う。
「息子たちはテロリストなんかではありません。クルドの町や村を守るため、そして世界の脅威だったISと命を懸け戦い死んだのです。
米国をはじめ世界はIS掃討作戦で私たちを利用して、終わったら見殺しにした。こんなに悲しくて悔しいことはありません」
(参考記事 アフリンでシリア武装組織がクルド女性戦闘員の遺体踏みつけ【写真6枚+地図】)
3月18日、アフリン中心部は自由シリア軍系諸派に制圧された。脱出した住民からの連絡によると、皆、車や小型トラックなどで、南部に位置するアレッポ市や、クルド人が多く暮らすコバニに通じる東部のマンビジ方面へ移動しようとしているという。
だが、道路は政府軍側によって封鎖されており、なかにはブローカーに40万シリアポンド(約9万円)を払って通過する例もあるという。避難民たちは水や食料不足に苦しんでいるが、支援は行き届いていない。
アフリンでの死傷者はすでに1000人を超えた。人びとは悲しみと恐怖のなか、故郷を捨てざるを得ない状況に追い込まれている。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年3 月20 日付記事に加筆修正したものです)