気象予報士を悩ませる「低気圧は赤・高気圧は青」となっている天気図の色の理由
気象庁の発表する天気図の色
令和3年(2021年)12月9日は、関東の南東海上で発生した低気圧が東海上に去り、大陸から移動してきた高気圧の後面に入って、西日本や北海道を中心に晴れる所が多くなる見込みです(タイトル画像参照)。
タイトル画像のように、気象庁が発表する天気図には、低気圧が赤、高気圧を青で記入されています。
気象予報士が困る一般の人からの質問の一つが、この天気図の色の理由です。
「温暖前線は赤、寒冷前線は青、停滞前線は赤と青で書くのは温度との感覚からわかるが、低気圧は雨が降るから青、高気圧は日が照るから赤でも良いのではないか」などという質問です。
気象庁の記入指針には色指定がありますが、理由を書いたものがないために、説明に苦慮しているのです。
分からないとしながらも、「暖まった空気が上昇すると低気圧になるから赤」とか、「低気圧は風水害を起こすから警告の意味で赤で、高気圧はそれがないので青」ではないかと独自の仮説を言わざるを得なくなるからです。
戦前・戦中の天気図の色
戦前・戦中の資料で、天気図をカラーで書く旨の記述があるのは、昭和16年(1941年)に中央気象台(現在の気象庁)の大谷東平技師(のちに満州国中央観象台長、大阪管区気象台長をへて気象研究所長)が河出書房から出版した「天気図と天気予報」だけのようです。
そこには、「国際的には図のような記号が用いられており、最近の外国の天気図は殆ど皆これを使用してる」としています(図1)。
つまり、多くの国では前線を赤や青の色を使って書くが、日本では採用していないということを言っています。
停滞前線の記述はありませんし、低気圧や高気圧の色については言及がありません。
日本では、当時、前線と言う概念がなく、黒で不連続線(風向などが大きく変わる線)を記入していました。
中央気象台の天気図に、初めて前線が書かれたのは、昭和20年(1945年)12月17日になってからです。
アメリカ空軍の天気図
戦後、昭和26年(1951年)に、中央気象台の高橋浩一郎技師(のちに気象研究所予報部長などをへて気象庁長官)が気象協会(現在の日本気象協会)から出版した「最近の気象学(第一集)」が、筆者が調べた範囲では、天気図の色についての最初の記述です。
当時の天気図の記入は、中央気象台が作った予報業務規程「天気図類記入規定」に従って行っていましたが、この規定には色の記載がありませんでした。
高橋浩一郎氏は、国際的に正式に採用しているものではないが、現在米空軍が使用しているものを、この本で紹介しています(図2)。
ここでいう米空軍とは、戦後日本に進駐してきたアメリカ空軍の第43気象隊のことです。
中央気象台は、この気象隊の傘下に入り、中央気象台の職員は第43気象隊に出向いて一緒に予報作業を行っていました。
そこでは、高気圧は青鉛筆で、低気圧は赤鉛筆で書いていたのです。
昭和26年(1951年)9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌27年(1952年)4月28日に講和条約が発効すると、日本の主権が回復しています。
中央気象台も、独立して業務を行うことができるようになりましたが、第43気象隊が行っていた方法は、天気図の色などを含めてかなり取り入れています。
日本で天気図の低気圧を赤・高気圧を青としたのは、昭和26年(1951年)以降で、アメリカ空軍が使用しているのを取り入れたということができますが、アメリカ空軍がなぜこの色を選んだのかという理由は、謎のままです。
ただ、日本人の発案ではなかったというのは推定できます。
若いころ、出向いて作業をしていた予報官から、「アメリカ軍が赤青鉛筆(色鉛筆の半分が赤の芯、反対側の半分が青の芯の鉛筆で、両端を削って使う鉛筆)を用いて天気図を書いているのを見て、日米の国力の差を感じた」と聞いたことがあります。
日本は色鉛筆を自由に使えないほど貧しいなか、戦争を行い、負けたのです。
各国の天気図の色
日本やアメリカだけでなく、世界各国で天気図が作成されています。
寒冷前線や温暖前線などの色は日本と同じですが、高気圧と低気圧の色については、各国様々です。
高気圧や低気圧のマークは黒色が多く、低気圧を赤、高気圧を青としているのは、主要国では日本とアメリカだけです。
イギリス気象庁のホームページにある説明図の中には、高気圧が赤、低気圧が青のものもあります。
多くの国では、低気圧や高気圧に特定の色を付けるという発想がないのかもしれません。
タイトル画像の出典:気象庁ホームページ。
図1の出典:大谷東平(昭和16年(1941年))、天気図と天気予報、河出出版。
図2の出典:高橋浩一郎(昭和26年(1951年))、最近の気象学(第一集)、気象協会・新日本社。