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バスケットボール日本代表:6年前に土壇場で痛恨の逆転負けを喫した難敵イランをついに撃破

青木崇Basketball Writer
ファンの大声援をアドバンテージに日本は貴重な勝利を手にした(C)FIBA.com

 2012年9月22日、場所は大田区体育館。日本代表の試合を長く見ているバスケットボールファンであれば、この日のことを覚えているはずだ。それは、アジアカップ(現アジアチャレンジ)決勝で、日本がイランに51対53で負けた試合である。

 今の代表メンバーであの試合に出場していた中には、当時大学生だった比江島慎と田中大貴がいた。イランはハメド・ハダディがNBAのメンフィス・グリズリーズ所属中で不在だったといえ、アジア最強と呼ぶにふさわしいチーム。日本はベテランと若手をうまく融合して決勝まで勝ち上がったものの、残り18.3秒でアレン・ダボウディチェガニに3Pシュートを決められ、頂点に立つことができなかった。

 ホームといえイラン相手に互角に渡り合ってのアジアカップ準優勝によって、日本は将来への手応えと自信を手にしたかと思われた。ところが、翌年のアジア選手権でベスト8進出を逃して9位という屈辱を味わうなど、あの敗戦は2015年のアジアカップで4位になるまで続いた低迷の序章だったのである。現在の日本代表で欠かせない戦力に成長した比江島と田中は、低迷期の苦しさをだれよりも知っているだけでなく、長年イランに勝てない現状を何としてでも打破したいという気持を持っていた。

得点機会が少なかったといえ、勝利に導くために必要な仕事をした比江島 (C)FIBA.com
得点機会が少なかったといえ、勝利に導くために必要な仕事をした比江島 (C)FIBA.com

「あの時は(代表に)入りたてで何もわからない状態で、少し試合に出られたらいいなと思っていました。今はもう引っ張っていかなければならない立場になっての舞台でリベンジできるので、あの時から成長した姿を見せたいです。十分に勝てるチームだと思うので、その中で自分もしっかり力を出して、プレーできれば本当に最高です」(比江島慎)

「(逆転されたシーンは)あまり覚えていないんですけど、試合をやったのは覚えています。あの頃のメンバーはこちらにもあちらにもいますが、他のメンバーは変わっているので新しい戦い、あまり前のことを考えずにやりたいなと。自分もあの頃よりもいいプレーをしなければならないですけど、あの時は初めて(代表に)入ってすごくがむしゃらにやっていたという記憶はあるので、いい意味でその時の気持を見せられたらなと思います」(田中大貴)

 2018年9月17日、FIBAワールドカップアジア地区2次予選ウィンドウ4のイラン戦が行われる会場は、6年前と同じ大田区体育館。218cmのビッグセンターのハダディが33歳、チームの魂と言えるオールラウンダーのモハマド・サマド・ニッカ・バフラミも35歳と、イランは主力が高齢化。この2人は故障と個人的な理由で来日しなかったことに加え、数字に出ない部分での貢献度の高いフォワードのオシン・サハキアンは、3月に代表を引退していた。

 一方の日本は今回、24歳の渡邊雄太と20歳の八村塁という今までになかった高い身体能力とサイズ、オールラウンドなスキルを持ったフォワード陣を擁するチームへと変貌。ところが、前半はベヘナム・ヤハチャリに火がついて14点を奪われたことに加え、イランの巧みなハーフコート・オフェンスでオープンショットを打たれての失点が目立ち、2Q序盤で10点差をつけられる。また、1Qも2Qも小さなミスからブザービーターを決められ、嫌な流れでハーフタイムを迎えていた。

 そんな悪いムードを断ち切ったのは、やはりディフェンスだった。4点を追って迎えた3Q、日本は24秒バイオレーションを誘発させるなど、ディフェンスの強度が一気に上昇。オフェンスでは核となる八村と渡邊のフォワード陣が2分弱の間に2本ずつシュートを決め、8連続得点のスタートで39対35と一気に逆転に成功する。3Q残り7分に八村のスティールから渡邊が速攻でダンクを叩き込むと、大田区体育館を埋めたファンたちの歓声はさらに大きくなり、日本の勢いも増していく。

 渡邊は後半、強みであるディフェンスでヤハチャリをスローダウンさせる。田中と比江島も日本が最も警戒していたモハマド・ジャムシディを3点に抑え込む要因となり、フィジカルの強いイランのビッグマンたちには八村、竹内譲次、アイラ・ブラウンが冷静に対応していた。一方のイランは、ファウルの数と比例してフラストレーションが増幅。3Q終盤でリードを2ケタに広げられると、1ケタに詰めるだけの力は残っていなかった。

 ファイナルスコアは70対56。イランを21点に抑え込んだ後半のディフェンスは、日本が心身両面でタフなチームになったことを証明するもの。アジアカップ決勝での逆転負けから6年、長い間代表で苦しい思いをしてきた比江島と田中にとっては、打倒イランの実現が日本の前進を意味すると実感。喜びを噛みしめるように「本当に長かったです」と比江島が語れば、田中は「イランを56点に抑えたのは素直に喜んでいいのかな。この体育館で負けて悔しい思いをしていたので、今日はやり返してうれしい」と振り返る。

最後の最後までタフなディフェンスをやり続けて勝利に貢献した田中(黒ジャージーの中央)  (C)FIBA.com
最後の最後までタフなディフェンスをやり続けて勝利に貢献した田中(黒ジャージーの中央)  (C)FIBA.com

 6年前の日本戦でビッグショットを決めたダボウディチェガニは、この試合でキャプテンを務めていた。2009年のアジアカップから数々の国際試合を経験してきた32歳のベテランは、10分27秒のプレーで2点、2リバウンド、1アシストのスタッツを残して、イラン代表としてのキャリアに終止符を打ったのである。それでも、唯一の得点となった1Qのブザービーターは、アジアカップ優勝に導いた6年前を思い出したくなるようなプレーだった。

日本戦を最後にイラン代表選手としてのキャリアに別れを告げたダボウディチェガニ (C)FIBA.com
日本戦を最後にイラン代表選手としてのキャリアに別れを告げたダボウディチェガニ (C)FIBA.com

 イランを支えた一人のベテランが代表としてのキャリアにピリオドを打ったのに対し、日本は悲願のワールドカップ出場に向けて、希望が持てる大きな一歩を踏み出した。6年前のリベンジができたことは、新たなチャレンジの始まりを意味する。次のウィンドウ5では渡邊と八村の不在が濃厚も、比江島と田中がカタールとカザフスタン相手にステップアップすればいい。ウィンドウ2終了時に比べると、今の日本は自信のレベルが格段に上がった。0勝4敗という崖っ淵から這い上がってのワールドカップ出場も、決して夢物語ではない…。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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