歳内宏明投手、3年目の初勝利
■大好きなじぃじが見守ってくれた初勝利
「じぃじが力を貸してくれたのかもしれへんね…」―。祖母の初子さんは思わず呟いた。
7月30日、歳内宏明投手が初勝利を挙げた。プロ入り3年目。待ちに待った初勝利だった。
“じぃじ”とは13年前、歳内投手が小学2年の時に他界した祖父の信治さんのことだ。学校帰りにじぃじの家に寄るのは日課だった。「毎日、二人で銭湯に行っていたのが一番の思い出かな」と語る歳内投手は、じぃじのことが大好きだった。
後半戦が始まる直前の同18日、歳内投手は妻の佳奈さんと4月に生まれた娘、そして初子さんとともに信治さんのお墓参りに行った。暑いだろうからと初子さんと娘を車で待たせて、若い夫婦二人で念入りにお墓を掃除し、その後、一緒に参った。娘の小さな手にも歳内投手が手を添えて、ともに手を合わせた。
その直後、1軍に昇格し、2試合目の登板でプロ初勝利。初子さんはじぃじの見えない力を感じずにはいられなかった。
出番は四回、場面は2点ビハインドの1死満塁だった。まずは先頭のピッチャーをオールストレートで見逃し三振に仕留めた。
「打つ気がない感じやったので、カウントを悪くしないことだけを気をつけた。1球も振らなくて、それで緊張がほぐれました。あとはランナーを気にせず、バッターに集中しました」。
続いては“因縁”の山田哲人選手。高校2年の夏の大会で本塁打を浴びた選手だ。思いっきり腕を振った。カウント2-1からフォークで追い込み、最後もやはり落として空振り三振を奪った。思わずガッツポーズが出た。そして森岡良介選手は1球でセカンドゴロに抑え、絶体絶命のピンチを3人斬りした。
ファームで走り込み、ウェイトトレーニングの量を増やして磨きをかけてきたストレートは、プロ入り最速の147キロを計測した。
「まっすぐでカウントを整えられたのがよかった。まっすぐでファウルや空振りを取れたのが成長かな」。
だからこそ、「高さを意識した」というフォークも生きた。
この流れが裏の攻撃に繋がった。今成亮太選手の同点打、鳥谷敬選手の逆転打で2点のリードを奪った。そしてそのままリードを保ったタイガースが勝利し、勝ち投手には歳内投手が輝いた。が、本人はまるで気づいていなかった。
「榎田さんだと思っていました」と言い、自分が勝利投手だと告げられても「嬉しいけど、1イニングしか投げてないから、全然実感がないです」と試合後もまだ、表情には戸惑いの色が残っていた。
そういえば余談だが、1年目にファームで初勝利を挙げたときも「自分個人に勝ちがつくとか、ピンとこないんですよね」なんて、高校生ルーキーらしく不思議そうな顔を見せていたっけ。
1軍での初勝利となると、当然「お立ち台」が待っている。そのことにいち早く気づいたのは家族だった。幸いにも近所に住んでいる。すぐに車を飛ばして駆けつけたのは佳奈さんと娘、母の美佐子さん、妹の彩文さんという歳内家の女性陣だ。
甲子園に到着すると、ちょうど七回裏のジェット風船が舞い上がっていた。娘は生後4ヶ月弱にして甲子園&ジェット風船デビューをしたのだ。そしてパパのヒーローインタビューも、三塁アルプスでちゃんと起きて聞いていた。もちろん、全く覚えていないだろうが。
■スプリットじゃなくてフォーク
高校時代から注目を浴びてきた。スプリットが代名詞のように言われてきたが、「ホントはスプリットじゃないんですよね。フォークです。取材された時に先輩が『スプリットって言ったらカッコイイな』って言っちゃったので、いつの間にかスプリットになったんです」と笑う。そしてそのフォーク自体にも、さしてこだわりはないという。
球種ではないのだ。歳内投手の真骨頂はやはり、この日のような時に発揮される強心臓だろう。ピンチで慌てず落ち着いているのは高校時代からだ。
山田選手に甲子園でホームランを打たれた時もそうだ。「投げる瞬間、ホームランあるなって思ったんです」と冷静に見ていた。もちろん打たれないに越したことはないが、打たれてもその後、ズルズルと崩れない。心の準備が出来ているからブレないのだ。
その山田選手との対戦は、さすがに全く意識しなかったということはなかっただろうが、空振り三振に抑えてガッツポーズしたことには「山田さんだからしたわけじゃないし、ガッツポーズをしたのも覚えていない」と意地を覗かせた。
■先発での勝利を目指して・・・
全く実感がないという初勝利から中7日を空けて、実感が伴うであろう勝ち星を懸けて歳内投手は先発マウンドに上がった。家族はテレビの前で声援を送った。娘もわからないながらも何かを感じたのか、食い入るように画面を見つめていた。
初回からストレートは力強く、走っていた。三回までは粘って得点を与えなかった。捕まったのは四回だ。同点とされてなおも1死一、三塁から、森岡選手にライトスタンドへ運ばれてしまった。他球場なら、おそらくライトフライであろう。神宮球場の狭さや形状、そして風によって、「甘くはなかった。コースも良かった」と思ったボールなのに、サク越えを許してしまった。
これにはさすがの歳内投手も少なからず動揺したのか、2死からピッチャーにヒットを許し、山田選手にも連打を浴びて降板となった。
悔しい思いを抱えて帰阪したが、山口高志ピッチングコーチは「ボールに気持ちを乗せることはできていた。バッターに向かっていっていたし、強いボールを投げられていた」と評価した。そして「あとは緩急やな。フォームの緩急、ボールの緩急、気持ちの緩急」と、今後の課題を挙げた。
これで終わったわけではない。天国からじぃじも「もっと頑張れ!」と見ていてくれている。月命日の8月3日、じぃじの仏壇にウィニングボールを供えた。必ず近いうちに、その隣に先発勝利のボールも並べてみせる。