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社会現象にもなった殺人事件、鬼熊事件

華盛頓Webライター
credit:pixabay

日本では日々殺人事件が発生しており、毎日のように新聞やテレビで報道されています。

しかし中には社会現象にあって、多くの人々から注目された殺人事件もあります。

この記事では戦前にブームを巻き起こした殺人事件、鬼熊事件について紹介していきます。

岩淵熊次郎(1892年 - 1926年9月30日)は、久賀村で荷馬車引きを営み、妻と5人の子供とともに生活していました。

彼は村の高齢者や非力な村人の仕事を手伝い、また酒を奢るなどして村人たちから信頼を得ていたのです。

しかし、女癖が悪いことでも知られ、女性関係でしばしば問題を起こしていた人物でもありました。

彼が35歳の頃、小料理屋「上州屋」を営んでいた女性、けいと深い仲になりました。

当時けいにも子どもがいたものの、岩淵は彼女に夢中になり、村の反対を押し切って親しくしていたのです。

しかし、けいは他にも情夫がいたため、村人たちは「熊次郎があばずれ女に騙されている」と噂していました。

やがて、けいに好意を抱いていた独身男性が彼女の新たな情夫となり、岩淵に対して恐喝罪や過去の女性問題で訴えが出されることになります。

3ヵ月後、執行猶予付きで釈放された岩淵は、けいの裏切りを知り激怒。ついに凶行に及びました。

1926年8月20日、岩淵はけいと彼女の情夫を殺害します。

その後、けいと交際していた男性の仲を取り持っていた菅松の家を放火し、さらにけいの働いていた小間物屋の店主も手にかけました。

岩淵は「鬼熊」と呼ばれ、逃亡を図り、警察や消防団、地元青年団など計5万人が動員される大規模な山狩りが行われたのです

しかし村人たちの中には彼に同情的であり、食事を提供したり、警察に虚偽の情報を流したりするなどして、彼の逃走を手助けしていました

また村に多数の報道関係者が訪れたことで、商売繁盛を喜ぶ村人たちもいたようです。

逃亡中、岩淵は巧みに捜査網をかわしながら、9月11日には巡回中の警官を殺害

事件は全国に知れ渡り、岩淵は「鬼熊」としてメディアに大きく取り上げられ、演歌の題材にされるなど人気が高まりました

最終的に、9月30日、岩淵は先祖代々の墓所に身を潜め、自らの復讐を遂げたとして自殺を選びます

新聞記者や知人が見守る中、毒入りの最中を食べた後、剃刀で喉を切りその生涯を閉じました

事件後、彼を匿った村人や、自殺に立ち会った記者が裁判にかけられましたが、いずれも執行猶予付きの判決が下されました。

当時のメディアでは、岩淵の復讐劇に対する同情的な報道が相次ぎ、さらに警察への反感も重なり、彼の最期は潔いものとして評価されたのです

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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